第13回
By definition,「楽しい仕事」などない!
その1
久しぶりにウェブに戻ってきた。
この2ヶ月というもの、このイトイ新聞の関係者であるにも
かかわらず、殆どこのサイトにアクセスすることもなく
(というよりも仕事以外でウェブを使うことが
一切なかった)、まるで仙人のような生活をしてきた。
アンナが別れたことも知っているし、だんご三兄弟が
熱いということだって知っているのだが、
これは単に「目覚ましテレビ」を6時から6時半の間だけ
時計代わりに使っているから、ということに過ぎない。
全く仕事以外のことには時間が「割り当てられない」
2ヶ月だった。
「今仕事が楽しいんだ」とか言うヒトがいるが、
私に言わせれば、そういう輩は「遊んでいる」
若しくは「本当の『仕事』をしているとは言えない」、
あるいは「本当に『楽しい』ことを知らない」、
のだと思う。
「仕事が楽しい」と言うと、格好よく聞こえる。
何かしら「仕事ができるヒトかなあ」とも思う。
しかし、だ。
仕事という限りは、それに対する対価をもらっている
ということであり、「楽しい」などというものではない筈。
正確に言うと、恐らく多くの場合、
「仕事が楽しい」=「それ以前には大した仕事を
していなかった or それ以前には上司が馬鹿で
理不尽な仕事をやらされていた」という、
単なる比較論にしか過ぎないのではないか。
仕事が楽しい・充実している、と思っている方、
胸に手をあてて考えてみてほしい。
私は、経営コンサルタントという仕事をしているが、
これまで一瞬たりとも、仕事をしている時に
「楽しい」などということは思ったことがない。
常に「辛い」「どこかに消えてなくなりたい」
「もっとうまくやれた筈だ」としか思って来なかった。
勿論「うまくいって良かった」と思う瞬間が
ないではないが、それは飽くまで「瞬間」である。
次の瞬間には、また越えるべき壁がやってくる。
はっきり言って、「楽しい」と思った瞬間、
それであなたの成長が終わると考えて良い。
「次」がない人生だ。
ごしゅうしょうさま、という感じだろうか。
常に自分が出来ることより少し難しいことをやって、
常に「しんどい」と思っていないと、
出来ることしかやらない「くず人間」になってしまう。
私は、以前告白した通りごく最近離婚したのだが、
相手の女性(元妻)は以下のような過ちを重ね続けていた。
土曜の明け方3時ころに帰ってきて、
土曜の朝8時ころに再度オフィスにトンボ返りする、
ということがよくあるのだが、そういう時にはいつも
「そんなに仕事をして馬鹿じゃない。
あなたは鬼よ。私はどうなるの」
と罵声を浴びせかけられ
たものだ。
ここで、再び「しかし、だ」。
私のこれまでの人生においては、
皆がやりたくないことを頑張ってやった場合、
ほめられこそすれ、非難されたことなど一度もない。
子供のころには、大好きな少年野球の時間を削って、
皆が嫌がる「勉強」に注力した。
親、友人、兄弟は、それを見て、誉めることはあっても
決して批判はしなかった。
ましてやそれを阻止するなど、あるわけがない。
なのに「仕事」を一生懸命やるとどうだろう。
家族には非難されるのだ。
しかも、唯一心身ともに休めたい自分の家でだ。
何故そうなるのか。答えは明白だ。
彼女は、「旦那は仕事をして『楽しい』のだ」と
勘違いしていたのだ。
自分は土曜の朝8時から家に置いてきぼりをくって、
孤独な週末を過ごさなくてはならない。
一方、旦那は「楽しい」仕事に吸い寄せられるようにして
オフィスへ行ってしまう。
だから週末の早朝から罵声を浴びせる
という愚行に出たのである。
(つづく)
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