第18回
地域性について(1)
日本には大きくわけて2つの文化圏がある。
こういうと、
「いやそんなことはない、もっとある」と言われそうだし、
実際その通りである。
しかしながら、ここでは簡単のため、
「2つ」とさせていただきたい。
そう、関東と関西である。
これは「宿命の対決」であり、
「判官びいき」という言葉で表現されるように、
関東が1番で関西が2番手である。
巨人と阪神の争いで代表されることかもしれない。
私は、はっきり言って「思いっきり関西人」である。
京都生まれ、京都育ち、
子供のころ3、4年エジプトにいたことと、
1年くらい東京にいたことがあること以外、
社会人になるまで京都で過ごした。
大の阪神ファンだし
(前監督の吉田監督の実家は私の実家の町内)、
そばよりうどんの方が好きだし、
うどんも「薄い」狐色のつゆが好きである
(ただし更科そばにはいつも脱帽させられる)。
しかし、東京で本格的に暮らして7年が経ち、
父親が東京の人間であることもあり、
いまや「東京フリーク」。
もはや、六本木、西麻布、それと青山1丁目
(私の心のふるさと、Hondaの本社があるところ)
なしには、生きてはいけない。
仕事仲間のアメリカ人、ヨーロッパ人に言わせても、
「単体でこれほど大きく、エキサイティングな街はない」
とのこと。
しかし、だ。
これほどのattachmentがある「東京」でさえ、
極めて疑問に映ることがある。
これは、関西人の目から見た「疑問」であるため、
少々のバイアスがあるのはお許し頂きたい。
「関西」にも『かなり』おかしいところがあるので、
そちらの方はまた今度、
ということにさせていただきたい。
食い物屋
まずは、食い物屋、特に「安物」
(悪い意味ではなく親しみのある、という意味)の
中華料理屋に問題がある。
東京はさすがにinternational cityである故、
いかに安物であっても、
本場の中国人の方が調理されていることがあり、
味ははっきり言って大阪なんかよりも上。
これには大満足なのだが……
オペレーションに問題がある。
例えば餃子とラーメンをオーダーしたとしよう。
そうするとどうなるか。
結果から言うと、まずラーメンが出てきて、
ラーメンを食べ終わったころに餃子が来る。
これは、明らかにconsumer-orientedではなく
product-outなために起こること。
調理に要する時間は圧倒的に餃子の方が長い。
客がやってきて、オーダーをしてから「用意ドン」で
調理し始めると、ラーメンの方が先に出来てしまう、
という構図なのだ。
モスバーガーばりに、
「オーダーがあってから調理いたします」的な
「目的」があってのことなら文句は言わない。
しかしながら、彼らの多くは、
「能動的にそうやっている」ことは少なく、
単に「成り行き」だから「そう」であることが多い
(これは想像ではなく、こういうことがあるといつも
調理長とおぼしき方に真意を聞いているのだが、
その結果である)。
もし、これと同じことが大阪で起きたらどうなるか。
試してみたわけではないが、私の経験からいうと、こうだ。
まず、オーダーしてから餃子が出てこないことに苛つく。
次に餃子を期待しているところに
ラーメンが出てきたことに対して、憤りを感じる。
この時点で客は
「きっと餃子はオーダー漏れだなあ」と感じ、半ば諦める。
そこに、満を持して餃子が登場してしまったなら、
星一徹よろしく机をひっくり返すことこそないにせよ、
まず、キャンセルするだろう。
曰く「ラーメン食った後に餃子食えるか」、である。
では、なぜこういうことが起きるのか。
消費者がそれで満足であるからである。
これは、東京の人が上品であるから、とか
そういう「情緒的」な問題ではなく、
需要が供給を上回っているため、という
極めて「論理的」な事象に起因すると思う。
要は、圧倒的に供給側、すなわち店側が
優位であるということ。客は、自然と店に対して
「諦め」を抱いているのではなかろうか。
これは「ここで店に文句いうと恥ずかしい」という、
比較的「弱い」理由からではなく、
「ここで文句言ったら、飯なんか食う店はなくなる」
という、差し迫った「強い」理由からであろう。
(つづく)
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