恋はハートで。仕事はマジで! |
意味のないこと。 経営戦略コンサルタントを長年やっていると、 様々なクライアントさん、検討課題に出くわす。 とても前向きで、 お手伝いする側としても 「やる気」になるクライアントさんもいれば、 「コンサルタントが来たために 平穏無事な生活が乱される」だとか 「改善なんかしてもしなくても給料は変わらないのに、 プロジェクトに参加すれば仕事が増える。 たまったもんじゃない」 という感じの方もいらっしゃる。 また、行け行けドンドンで 成長戦略を検討するプロジェクトもあれば、 人件費も含めたコスト改善を推し進めなくてはならない プロジェクトもある。 こうした中、コンサルタントとして最も頭を悩まし、 また個人的にも苦手なクライアントさん、 もしくは課題は、 なんといっても「規制産業」「お役所」関連。 何を言っても 「それはそうなんですが、規制があってできません」 あるいは 「規制があるのでこうやっています」 などと返され、全く身動きができない状態。 実は、規制があるからこそ 「これまでは」得られてきた うまみがあるために規制をネガティブに 捉えていないところに一番の問題があるのだが、 それすら気づいていない。 きっとこういう方々の言い分もあるのだとは思う。 「規制がなければ秩序が乱れる」、 「こうした、営利目的ではない領域がないと 実現されないこともある」 などであろうか。 確かに規制、ある程度のルールは どんな世界にも必要ではあると思う。 ルールあっての自由であることは承知できる。 しかし、だ。 ルールとは、全ての尊敬に値する努力、 もしくは冒したリスクの大きさに対して、 澱みなく正当に報いるためにあるものである。 決して、抜きんでた努力を無にするため、 言い尽くされた言葉で言い換えるなら 「出る杭を叩く」ためにあるわけではないし、 リスクを取らない安穏族を誉でるために あるわけではない。 「闘う」ことが必要である。 「戦う」ではなく、奮闘する、 という言葉にも使われる「闘う」の方である。 闘う対象は、勿論ライバルもあれば、 自身という場合もあろうし、また「できない状態」、 「不可能な状態」という抽象的な概念かもしれない。 とにかく立ち向かうことが必要である。 その際、特に複数のチャレンジャーが 同じ系に存在する場合にはルールが要る。 それは、決して「規制」ではない。 いい加減に意味のないことはやめてもらたい。 これは、切に望むことである。 |
2001-02-25-SUN
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