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自分はかわいいか

私の親しい友人に、最近子供ができた。
彼は、子供が出来るまでは、
「はっきり言って、自分は子供なんて要らない」、
と豪語していたものだ。
しかしどうだろう、いざ息子が生まれると、
手のひらを返したように子煩悩になってしまっている。

自分の意志を貫き通せなかったために
浴びせかけられる罵声に対し、彼はこう応える。
「子供は自分の体の一部のようなもの。
 よって、自分のことが好きでたまらないナルシストほど
 子供のことも可愛いと感じるのだ」と。

私には子供がいないから、
これが正しいかどうかなんて全く判断できない。
論理的には正しそうであるが、果たしてどうだろう。
私だったら「自分の一部」が自分の他に現れたら、
即刻消滅させてしまいたくなるのではないかなどと
考える。
だって、「自分は唯一無二」だというナルシストなら
そうに決まっている。

私は、自分のことを可愛いと思ったことはないが、
貴重だとは思っている。
全く自分と同じ人間がこの世にいようか。
どんなに悪人でも、だらだらしているダメ男でも、
必ずアイデンティティというものがある。
クローン人間が発明されない限り、
これは冒すことのできない事実である。
それが「自分」というものではなかろうか。
誰にとっても自分は「唯一無二」である。
それを支えに生きていくことが人生だと思う。

どんなときも「自分らしさ」を忘れてはならない。
ぐうたらと一日中寝て暮らしている人がいたとしても、
それがその人そのもので、
アイデンティティと見るべきであろう。

ときどきふと世の中と自分が遠いと感じることがある。
渋谷などで雑踏の中にいるときなど
特にそう思うことが多い。
そんな時、ふつふつと幸せを感じることができる。
いかに自分が「唯一無二」かという気分を
満喫できるからだ。

今、飛行機の中でこれを書いているが、
さっき読んだアエラでも
清志郎が同じようなことを言っていた。
同化したら終わりである。
仲間を見つけることは重要なことであるが、
それは同化できる人間ではなく、
目的は同じでも異なる特性を持つ人間であるべきである。

同じ人間は2人も要らない。
双子の友人がいる。
彼らは互いに尊敬しあっているが、
常にもう一方とは異なるアプローチをしようと
心がけている。
そうでないと自分の存在意義を見失うからであろう。
これは非常に正しいのだと思う。
結果的に
自分を可愛がることになればよいのかもしれない。
自分を思いっきり可愛がることを通じて
自分の存在意義、生き方の見直しを行うべきである。

2001-07-20-FRI

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