恋はハートで。仕事はマジで! |
「間違い」にドライブされる生活 私は世の中の半分以上のものごとは、 間違っていると思っている。それでないと コンサルタントはやっていられない。 間違っていること自体、 全く悪いことだとは思わないが、 ただ、やはり「正しく」はないのである。 こう思うことが、すなわち、 向上心、改善心、モチベーションに繋がるのである。 批判が目的ではない。 私は自然科学を少しかじっているからそう思うのかもしれないが、 そもそもこの世の中はノイズだらけである。 いや、無秩序、無茶苦茶であると言っても過言ではない。 空気が存在しているから モノは完全な自由落下をしないし、 その他の物体の動きも決して 微分方程式の通りには規定されない。 全く理解に苦しむ状況である。 これは私にとっては「間違い」と感じられる。 人間の性格も、言動も、友人関係も、恋愛関係も、 企業の振る舞いも、何もかも不完全であり、 「あるべき姿」とは程遠い。これも「間違い」だ。 夜寝る前に、今日一日あったことを思い返してみよう。 思った通りに行ったことがどれほどあったろう。 いや、実は思い通りにならないということが 経験則的にわかっているから、 「こうありたい」なんて、 もはや思わなくなっているかもしれない。 まあそんなところだろう。 これは何を意味しているのだろうか。 人類の愚かさを哀れむ宗教の正当化? Kaizen運動を地道に行う優良企業への賞賛? いや、全く違う。 私は、自分が死ぬまでの間に 何度問題解決ができるかを考えるだけで真剣に楽しい。 (但し、日常生活における「自分」に 関する問題解決に限るが) どうせ完全なる「あるべき姿」に 到達できないのはわかっているので、 それが目的にはならない。 そんなことはどうでもよいのだ。 問題解決をした瞬間だけが重要である。 その瞬間の快感に価値がある。 また、いくら解決してもしきれないため、 どれほど改善したかなどにも興味はない。 間違いが正されるその瞬間のエクスタシーと言ったら、 それこそ筆舌に尽くしがたい。 間違いが正された瞬間、 またどこか別のところで「間違い」が発生しているわけで、 それを知ってのエクスタシーであるから、 まあ、退廃的な要素もあるのだろう。 いずれにしても、 「間違い」を大切にして生きていくべきであろう。 いたるところに存在している間違いを探し出し、 それを訂正し解決して歩く。 これこそが人間らしい生き方とさえ思う。 |
2002-12-27-FRI
戻る |