その内容を読むことは出来ないのですが、そのページをめくっているだけで、その美しい活版の文字で組まれたタイポグラフィーと、版画のような美しく奥行きのある印刷を見ていると、まるで過去の時間の中を歩いているかのような錯覚を覚えます。
写真集「プラハを歩く」より

その14「『写す』の前に、『見る』。」の回で
お話ししましたように、
先日、ぼくは「ほぼ日」の武井さんと一緒に
プラハに行ってきました。
その旅は、撮影を楽しみながら、
「写真にまつわるものを探す旅」でもあったのですが、
そこで、たくさんの“ヨセフ・スデク”の
写真集に出会いました。

ヨセフ・スデクは、
日本ではどちらかというと馴染みが少ない写真家ですが、
欧州の写真界では、“プラハの詩人”とよばれ、
20世紀を代表するチェコ出身の写真家です。
最初は、アマチュアグループに参加しながら
写真を始めますが、
第一次大戦に出兵中の事故で、右腕を負傷し、
後にその腕を失ってしまうという悲劇に見舞われます。
それでも1920年代になると、
スデクは本格的に写真家としての活動を始めます。
最初は、木製の大型ビューカメラで、
プラハの市街地や近郊の風景などを、
独特の視点を持って撮影し続けます。
やがて、1899年製の古い
「No.4 Panorama Kodak」という
パノラマカメラを博物館から借り出して、
プラハの市街地およびに郊外の田園などの風景を、
数年に渡って、約300点に及ぶ撮影を繰り返します。
(1959年には写真集『Prague Panoramaticka』として
 出版されます。)

今回の「写真にまつわるものを探す旅」の中で見つけたスデクの写真集たち。中には初めて見るものもありました。さすがプラハ! スデクが撮影した「カレル橋」や「プラハ城」の写真集があったり、チェコ人の作家の散文のようなテキストと共に「プラハを歩く」みたいな写真集まで、見つけることが出来ました。実は帰国後も、プラハのシノさんが新たなスデクの写真集を探してくれたりして、一気にぼくの本棚のスデクコーナーが充実しています。

なにより、ぼくにとって、
プラハと言えば、スデクなのです。

ぼくがパリにいた頃(1980年代後半)は、
チェコという国は、何度申請しても
なかなかビザがおりないような、近くて遠い国でした。
そんなパリ時代に、
ぼくがよく通っていたサンジェルマンにあった
小さな古本屋さんで出会った一冊の写真集が、
『JOSEF SUDEK』という
作家の名をタイトルとした写真集でした。
この写真集は、1956年に
「SNKL Praha」という
チェコの出版社より出版されたもので、
その内容は、スデクという写真家を
一望するような内容なのですが、
その美しい“フォトグラビュール印刷”と相まって、
ぼくにとっては、何度見ても飽きることのない写真集です。

ちなみに“フォトグラビュール印刷”というのは、
銅版(凹版)を使用した印刷技法のことです。
日本では「グラビア印刷」という言い方の方が
一般的かもしれませんが、
現代の凸版を使用したオフセット印刷に比べると、
凹版を使用することで、その印刷された印象には、
版画的な深さがあります。
その技法は、現代にも、
美術プリントの技法として残っています。
プラハのshinoさんのお話によると、
チェコ語ではその技法を“フルボチースク”と呼び、
「深いプリント」という意味を持つとのことです。

この写真集『JOSEF SUDEK』は、
当時すでに10万円近い値段がついていました。
若かったぼくにはあまりにも高価で手が出ません。
それでも、その本屋さんは、ぼくが行くたびに、
いつも、この写真集をじっくり見せてくれました。

そんな思い出も、たくさんつまった写真集。
だからというわけではありませんが、
ぼくが持っている写真集の中で、
もっとも大切な一冊です。

そんなスデクに、そして彼が写真を撮り続けたプラハにも、
ずっとあこがれていたのですが、
なかなか訪れる機会がなく、
実は今回が、初めてのプラハでした。

可能であれば、全頁を紹介したいほどの写真集です。」ここだけ」というのはとても難しいので、ぽっと適当に選んだページなのですが、それでもスデクらしさが満ちあふれています。つくづくスデクという写真家は、特別な写真家です。少なくともぼくにとっては、一番好きな写真家といえるかもしれません。
写真集『JOSEF SUDEK』より

スデクが使っていた大型ビューカメラはもちろんのこと、
パノラマカメラにしても、当時既に、
そのカメラ用のロールフイルムは
製造が中止されていたため、
スデクは、一枚一枚その大きさにフイルムをカットして
使用していたそうです。
しかも彼は片腕なのですから、
その苦労はおそらく並大抵のことではありません。
では、なぜそれ程までしてスデクは、
生業としていた広告写真の傍ら、
そんな大変な撮影を繰り返していたのでしょう。

もちろんこれは本人に聞いてみなければわかりませんが、
むしろ大切な腕を失ってしまったことで、
今、目の前にある、自身が美しいと思えるすべてのものを
写すというよりも、
しっかりと刻み込んでおきたいと
思っていたのかな、と思います。
ぼくは、初めてスデクの写真に出会った時から、
静かな、あたたかく、
それでいてとても情熱的な想いを
彼の美しい写真の中から感じています。

スデクは、すべての写真において、
その光のとらえ方にとても特徴があります。
「光と影の作家」と言われることもあるほど、
その光に、その影に、独特の雰囲気があります。
オリジナルプリントはもちろんのこと、
1956年に出版された写真集にしても、
先述のパノラマの写真集にしても、
そこに写し出されている光のすべてから、
あたたかさを感じます。
言葉ではなかなかうまく表現できないのですが、
機材とか、感材だけの問題ではない、
スデクならではのあたたかいトーンが、
すべての写真の中にしっかり存在しています。
では影の部分の黒はどうかというと、
けっして「あかるい黒」ではありません。
とても深い黒です。

この写真集は1959年に出版された初版のものなので、同じく“フォトグラビュール印刷”によって印刷されてます。その仕上がりの美しさもさることながら、ぼくはいつもこの大きな写真集を開くたびに、その「記録する」ということの奥深さのようなものを感じています。その徹底した真摯なまなざしに心洗われるような気持ちになります。
写真集『PRAHA PANORAMATICKA』より

精力的に撮影を続けて来たスデクに
第二の悲劇が訪れます。
第二次世界大戦です。
その戦禍を受けて、ナチスにより
撮影活動が制限されることとなりました。
するとスデクは、今度は主として
自身のアトリエの窓から見えるいろいろを撮影します。
そしてその戦争を機に、
スデクはより思想や政治的な関わりを避け、
スタジオの中で、そして時折自宅周辺で
撮影を続けるようになりました。
そのようにして1953年頃までに撮影された
『The Window of My Studio』シリーズは、
いまではスデクの代表作のひとつと言われています。

結局最後までスデクという写真家は、
プラハという街を一歩も出ることなく、
生涯を通じて、しかもすべてにおいて徹底して、
精力的に、主観的に日常を撮影し続けたのですね。

スデクにとってプラハの大切な日常のすべては、
そこで育った経験と共に、
あのあたたかい写真の数々のなかに
込められているのだと思います。
彼の写真は、その視点そのものに物語があり、
とても知的な印象を受けます。

スデクは、晩年、こんな風に話しています。
「写真は平凡なものを好む。
 私はアンデルセンのようにお伽話のように、
 生命のない物体の人生のストーリーを
 写真で語りたいのだ。」と。

まさに、何があろうとも自身の前に存在する
日常こそがすべて。
その何でもない日常の中に、
大切なものが存在している。
そのことを、スデクは写真を通じて、
写し出しているのかもしれません。

ちなみに今回のカメラは、
ライカM3とⅢfに「写ルンです」を使いました。
iPhoneを除いて、
すべてフイルムカメラで撮影しています
(メインは、ライカでモノクロでの撮影です。)

ぼくにとっては、もっとも安心して使うことが出来るセット。M3にはズミクロン50ミリ、Ⅲfにはヘクトール28ミリをつけて、フイルムはチェコの「FOMAPAN」を使いました。いつものコダック「TRI-X」に比べて、ちょっと力のあるフイルム、というような印象がありました。

それなりに楽しく写真を撮って、
それなりにフイルムもたくさん回ったのですが、
ふしぎと、撮れば撮るほどに、
「こうではないんだよなあ」とか、
「写ってないだろうなあ」などと感じることがありました。

けれども最後に、まるでスデクからのご褒美のような
ちょっと特別な光が、目の前に現れてくれました。
そのやわらかい光は、「木漏れ日の木漏れ日」のような光。
具体的には、木を2本以上通して建物の壁まで届いた、
二重の木漏れ日の光でした。
その光景を見た時に
「この光は、スデクの写真の中にあったぞ!」
と思いました。
ぼくは、その光の中で、久しぶりに、
かなり夢中になってシャッターを切りました。
(横で武井さんが、呆れて観ていましたっけ。)

帰国後、「この光は、スデクの写真の中にあったぞ!」
ということを確かめたくて、家に戻り、
何度もスデクの写真集を見直してみましたが、
同じような光は、
本の中から見つけることは出来ませんでした。
その写真そのものではなかったのですね。
けれども、あの光はたしかに、
あの、あたたかな、プラハの光で、
それは、やっぱり彼の写真集のなかで、
いまもあたたかく光り続けているのでした。

スデクの写真は、
やはり、特別な光を持った、特別な写真なのだ──
そんなことをあらためて痛感した
初めてのプラハの旅でした。

夕暮れ時のプラハ城の夏宮の中で出会った、木漏れ日の木漏れ日の中での光。お城の中の森の中に生まれた木漏れ日が、夏宮の近くにある小さな林の中で、もうひとつに木漏れ日を生み出して、それが壁に射し込んでいました。それは、今まで見たことがないほどに、ちょっと特別な光だと感じました。
Camera Leica M3 Lens Summicron 50mm/f2 Film fomapan 400

2014-11-07-FRI