「気仙沼のほぼ日」がはじまって2ヶ月、
ぱらぱらとした更新のペースにもかかわらず、
お読みくださっているみなさま、
いつも、ありがとうございます。
今日は、みなさんから届いた
いくつかのメールをご紹介します。
まず、はじめは、
矢野顕子さんの「気仙沼においでよ」を聴いて
気仙沼に行ったかたからのメールです。
12/23からの3連休に行ってきました。
「気仙沼復興屋台村」
「鮨智」「鹿折唐桑駅」に行き、
南三陸のホテル観洋に宿泊、
2日目は、「岩井崎」「陸前高田」
「気仙沼復興商店街」「お魚いちば」に行き、
仙台の秋保温泉に宿泊、
3日目は、松島へ。
道の駅かわさきの近くにある
「フルセイルコーヒー」は
往復、共に訪れました。
お店の女性に「どちらから?」と聞かれ、
「『ほほ日』で見て」と答えたら、
「糸井さんの!」と嬉しそうに。
とても、素敵な方でした。
ホテルのマッサージ師からは、
陸前高田が一番復興が
遅れていると聞きました。
気仙沼で働く人は元気でした。
でも、岩井崎や陸前高田は
作業車しか見掛けませんでした。
私は教師なのですが、
復旧の目処がない潰れた学校いくつも見て
生徒・先生がどうしているのかと、
切ないばかりでした。
東松島高校勤務の友人も
4月半ばまで、学校に寝泊まり
避難所生活だったそうです。
一緒に行った夫は、ロータリークラブで
この旅行を報告するために、原稿を作っています。
気仙沼には、今後も毎年行こうと思います。
美味しいものがたくさんありました。
現地に出掛けることが、
彼等の仕事を応援する力になるのですから。
(kikuko)
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つづいても、
「はじめての気仙沼」を
読んだかたから
生まれて初めての東北旅行!というメールです。
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友人と年末の休みに温泉に行きたいね。
どこに行こうか・・・と思っていた矢先、
「はじめての気仙沼」に触発されて、
生まれて初めて東北に行きました。
お勧めの南三陸ホテル観洋に宿を取りました。
レンタカーを借りて、川崎から南三陸まで走りました。
時間の関係で、
結局、気仙沼まで行けませんでしたが、
南三陸で十二分に観光を楽しめました。
お料理も、温泉も、そして日の出も。
全てが素敵でした。
初めは、ボランティアするつもりは
無かったのですが、
次の日、南三陸町ボランティアに参加して
瓦礫撤去をしました。
三陸復興市場が
ちょうど開催されていたので、
そこでお土産を買ったり、
現地の方々の盛り上げようとする底力に
圧倒されっぱなしでした。
不謹慎ですが、楽しかったです。
現地で実際の様子を見る事が
できたのもなによりですが、
皆さんの元気に触れる事が
できたのが本当に何よりです。
南三陸町を忘れずに
私も普段の生活で
できることやっていこうと思います。
ありがとう。
そしてこれからも応援しています。
(エミコ)
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「現地の方々の盛り上げようとする底力」
そうそうそう!
実際行ってみると、それにおどろくんですよね。
そして、わたしたちのほうが元気をもらって帰る感じ。
とても、よくわかります。
「できることをやっていこう」
わたしたちも、そう思います。
つづいては、
お正月に帰省したかたからのメールです。
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お正月に気仙沼に帰省した折、
一番感動したのは、
本当に瓦礫と空き地しかない辺りに、
二畳あるかないかの小さなプレハブが立ち、
その壁に「碁」と、大きく手書きで書かれていたこと。
その碁会所の向い側に、
確かに以前は碁会所があったので、
その方たちが集まっているのではと想像します。
だが、本当にあの何もない所で
碁を打っているのでしょうか?
(気仙沼の人に分かるように説明すると、
内ノ脇からあけぼの橋を渡ってまっすぐ、
スーパークリエがあった手前の右側、です。)
私自身へぼ碁を打つので、
どんなことがあっても
自分の一番は手放しちゃいけないんだと、
感動しました。
(w@n2)
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「自分の一番は手放しちゃいけないんだ」
なんて、素敵な言葉なんでしょう。
震災があって、
自分の一番(好きなもの、大事なもの)のことを
よりはっきりと
大切に思うようになったというかた、
他にもたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
つづいてのメールは、
宮城県のおとなり、岩手県からのメールです。
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岩手県に在住の者です。
現在の住まいは宮古市、実家は大船渡市で、
気仙沼とも近いので、
ほぼ日が気仙沼にやって来たことを
本当に嬉しい気持ちで見ている一人でもあります。
今回、職場である宮古市の高校は被災、
実家もすべて流失しましたが、
家業の建物が無事だった
(とは言え三階のうち二階まで浸水しました)ため、
7月から部分営業を開始して、
10月からはすべての改修工事を終えて
営業を再開しております。
実家は大船渡の海の目の前で
ホテルを営んでおります。
夏のころは浸水した地域の真っ暗闇の中に、
うちのホテルの灯りがともっているだけでしたが、
この冬になり、周囲にもだいぶ灯りがもどってきました。
月に2〜3回大船渡に帰ってくるたび、
復興が徐々にすすむ様子を目の当たりにして、
嬉しくもあります。
人間の力はすごい!
と、実感する日々を過ごしています。
大船渡で生まれ育った私にとって、
お隣の陸前高田は小さなころから
海水浴に行った場所であり、
同じ「気仙」地域ということで、
故郷同様、親しみがある場所です。
そして、気仙沼は、
ちょっとわくわくお出かけする場所でした。
今回、陸前高田も気仙沼も
大きな被害がありましたが、
その場所にいる皆さんが復興に向けて
様々な取り組みをしているということを
「ほぼ日」を通して知り、
とても嬉しい気持ちでいます。
被災地にいる私自身も震災後から、
自分自身の複雑な心境を味わっています。
わかってほしいという気持ちと
わかってたまるかという気持ちのせめぎ合いの中で
悲しみに沈んだこともありました。
でも、今は時には立ち止まり、
少し後退しながらも、前に進んでいるように思います。
(atsuko)
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立ち止まったり、
後退したりしながら、前に進む。
みんな自然とそうなるような気もします。
つづいては、港のスズメさん便りで
いつもステキな投稿をくださる
(*kazue*)さんからのメールです。
ここにもひとつ「できることをしよう。」なお話が。
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友達のお母さんが、
震災以来、初めて仕事場に顏を出してくださいました。
お互いに、目が合った瞬間に、
涙があふれて仕方なかった。
娘さん(友達のお姉さん)と、
そのダンナさま、
そして、お孫さんを、津波で失った。
「やっと、外に用足しに出て歩けるようになったの。
車は、買ったんだけど、まだ運転出来ないの。
しっかりしなくちゃと思うんだけどね、
ちょっと気を抜くと、ぼーっとしちゃうし、
涙出てくるし。」
たくさんたくさん、いろんなことを話してくれた。
人づてに聞いていたことも、
初めて聞く、悲惨な辛い話もあった。
小学校の頃から、
ずーっと、いつもきびきびしたお母さんだったけど、
今日は、ぼーっと、どこか、
雲の上を歩いているような、雰囲気だった。
本当に、何も出来ないなあ。
聞くことしか出来ない。
それでも、お母さん、
私ほとんど、店にいるので、近く通って、なんとなく、
話かだりしたくなったら、寄ってください。
普通のお宅よりも、気軽に立ち寄ったり、
外から様子を覗いて入ってみたりしやすかったり。
商店って、そんな感じかなとも思うので。
古くて小さな場所だけど、いつでも寄ってください。
こんな辛いことが、本当に、あちこちにある。
辛すぎる思いをした人々が、
少しでも、笑える時間か増えるようにと、
復旧・復興とともに、「笑える時間」も‥‥と、
思います。
(*kazue*)
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街の商店の娘さんが、
友だちのお母さんのことを
こんなふうに思っている。
人が人を思う気持ちを
震災を通して知ること、ほんとうに多いです。
「ほぼ日」も、
「笑える時間」を増やすお手伝い、
少しでも多くやりたいと思ってます。
今日は、このへんで。
それでは、また。