実は昔、レストランを経営していたことがありました。

ボクが30になるかならないかという頃だったと
記憶します。
場所は渋谷の町外れ。
当時はまだ、渋谷の街はおしゃれな大人が集まる場所で、
しかもお店のすぐ裏側は
東京の中でも有数の高級住宅地というロケーション。
ボクの友人との共同経営。
台湾出身の、ボクのアメリカ時代の友人が、
日本で小さな事業をしたい。
おいしいモノを食べるのが好きで、
腕のいい調理人が知り合いにいるから、
レストランでも作らないか。

ボクは最初、コンサルタントとして
アドバイスしてあげるよ‥‥、といい、
けれど彼は「金も出さないで
口だけ出す奴は信用しないんだ」と、
ボクも同じ経営者としてふるまうコトにこだわった。
たしかに自分が考える通りの店を自分で作り、
自分で運営するという、これ以上の勉強はない、
と貯金をはたいた。
共同経営者とはいえ、彼の出資が全体の8割ほどで、
けれどボクらは同じ船に乗る仲間に、名実共になった。

オレが厨房の中の一切を取り仕切るから、
キミはホールのサービスを
コントロールしてくれないか‥‥、と。
コンサルタントなんだから
そのくらいのコトはできるだろうって、
かなり乱暴な申し出を、ボクは快諾。
若かった(笑)。






それまで一緒に仕事をしていた、
デザイナーや建築士の人たちと
入念にして慎重な打ち合わせの末、
できたお店は息をのむほどにうつくしかった。
翡翠色をした壁に、象牙色の英国風の柱に縁取り。
新進気鋭のチャイニーズアメリカンの
アーティストの手になる絵画を
ギャラリー風にあしらって、居心地もよく、
なによりそこにいる人を、
うつくしく見せてくれる計画されたやさしい照明。
座れば必ず背筋が伸びる、けれど座り心地のよい椅子。
真っ白なテーブルクロスのかかったテーブルが、
全部で15個。
都合30席の程良きサイズのうつくしい店。

店ができあがるに従って、
さて、どうお客様をもてなそう‥‥、
とメニューやサービスの細かな調整で
大忙しでありました。
ボクも共同経営者も、
二人とも他に仕事を持っている。
けれどなるべくどちらかが、
必ずお店にでることにしよう‥‥。
だから二人の時間が自由になる、
夜だけの営業に限って
お客様をおもてなしする店にしようよと、
まず営業時間が決まります。
ボクはそれまでいろんな飲食店にゆき、
あるいはレストランの企画をしながら
果たせなかった夢をここで実現しようと考えた。
すべてのお客様が、等しくおもてなしされる、
馴染みではないからとさみしい想いを
誰一人してせずにすむ店。
一旦席に腰を落ち着けたら、
あとは料理を味わい、
会話をたのしむことに専念できる店。
ここで過ごした数時間が、
その日で一番シアワセな時間であると同時にずっと、
思い出の中に生き続けることができる店。
彼もほとんど同じ考えで、
徐々にメニューの骨子が固まる。

基本は台湾の家庭料理。
着席したら、まずありったけのお惣菜でもてなそうよ。
テーブルの上に野菜や湯葉や、
豆腐の料理を小皿に盛って、
ズラッと10皿ほどを並べれば会話がはずむ。
どんな人でも必ず食欲湧いてくるだろう。
お酒をすすめて、
ユックリお店の空気に馴染んでもらったところで、
体を中からあたためるその日のスープ。
その日の仕入れを吟味しながら、
台湾の一般的な家庭で毎日食べられている
体にやさしい料理をとても上等に、
日本の人に食べやすいように
アレンジしながらコースにしよう。
お酒を一口飲んでから、〆の食事を終えるまで
ちょうど1時間と30分ほどを頂戴し、
中国風の焼き菓子と杏仁豆腐で幕引きをする。
それで8500円。
完璧な料理を完璧なタイミングで提供するには、
そのおまかせコース一種類に
魂込めるのがいいよねぇ‥‥、と。

ボクらは何度も何度も試食をし、
一皿分の分量や、食べやすさや食べ心地を考慮しながら
一口分の大きさまでもを決めていく。
料理を提供するときのサービスの仕方や
立ち居ふるまいまでもを整え、まさに準備万端。
開店します。




ほどよき繁盛でありました。
毎日、半分ほどのテーブルがにぎやかになり、
週末になるとほぼ満席という状態。
紹興酒よりワインが似合う中国料理のお店というのが、
当時の東京にはあまりなく、だからかなりの評判を得た。
なにより近所の住宅街のよいお客様に恵まれて、
滑り出しは好調でした。
ところがそれから、3ヶ月ほどたった頃からユックリ、
お客様が減りはじめたのです。
特に、足しげく通っていただけていた
ご近所さんの顔をみることが少なくなって、
週末でも誰も座らぬテーブルが
目立つようになっちゃった。

お店の中に、嫌な予感が漂いはじめる。
サービスが悪くなったわけでなく、
料理の腕はますます冴えて
開店当初より絶対おいしくなっているはず。
なのになぜ?
ちょっと弱気になりはじめていたある日のこと。
おなじみだった近所のご婦人に
バッタリ渋谷の街で会った。
お久しぶりですと挨拶しながら、
またのお越しをお待ちしてます‥‥、
とそう言うボクに彼女はこう言う。

あなたのお店はお腹すかせて、
おしゃれなかっこうで行かないと
いけないような気持ちがするの。
素晴らしすぎて、普段着なんかじゃ負けそうで、
もっと気軽に使えたらなぁ‥‥、って私は思うの、と。

パートナーと、その日の彼女の言葉を
しんみり考えました。
うつくしい店。
すばらしい料理。
ボクらの理想が形になって、
けれど理想をお客様にまで押し付けることは
本当はしてはいけないコトだったのかも
しれないなぁ‥‥。
人間関係でもそうじゃないか。
付き合っていた相手から
「あなたのコトが嫌いだから」と言われ、
わかれてしまうのはまだ納得が行くけれど、
「あなたは私に良すぎるから」って言われるコトは
けなされるより悔しく、哀しい出来事だろう。
考えてみれば今までずっと、
ボクらはボクらの考えを
お客様に言うことばかりに必死になって、
お客様がどうたのしみたいか
謙虚に聞いたコトはなかった。
さて、どうしよう。
まずお客様から、声をかけてもらえるように、
ボクらがまずは変わらなくっちゃ。

ボクはそのとき決心しました。
完璧なまでにうつくしい、
このレストランの、ボクはアバタになってやろう。
その日の夜から、ボクはお店のアバタになった。




2011-03-31-THU
 
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN