かつて、光を守る人がいた。 かつて、光を守る人がいた。
私、ほぼ日の松本には
「灯台守」という職業への憧れがありました
こんなコラムを書いたくらいです)。
でも、具体的にはどんなお仕事だったのか、
そういえば詳しく知りませんでした。

どんなことを考え、
どうやって灯台の光を守ってきたのだろう。
日本最後の有人灯台「女島灯台」で、
灯台守の歴史を見届けた前畑正信さんに、
うかがってきました。
灯台守は、やっぱりかっこよく、
想像以上におもしろかったです。
第3回 サバイバルな灯台生活
ここで木下さんとお別れして、灯台をあとにし、
北九州市の「関門海峡ミュージアム」へ
向かいました。
こちらで前畑さんにゆっくりお話をうかがいました。
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▲前畑さんは抹茶オレを飲んでいました。
私と田口は「門司港サイダー」をいただきました。
──
あらためて、よろしくお願いします。
さきほど、灯台守になるには2年ぐらい
海上保安学校で勉強するとうかがいました。
前畑さんも、最初から灯台職員になろうと思って、
勉強してらしたんですか。
前畑
いや、私はね、
じつは保安学校は行ってないんですよ。
無線の資格をとって、職員になったんです。
──
そうだったんですね。
前畑
生まれが鹿児島の錦江湾だったので、
生まれたときからずーっと船を見て育ちました。
だから将来はね、
絶対船に乗りたいなと思っていました。
そこで、航海士や機関士を目指したんですけど、
昔は視力の基準がものすごく厳しくて、
裸眼で0.8以上の視力がないと、
国家試験を受けられなかったんですよ。
唯一、目があまりよくなくても
船に乗れるっていうのが、無線通信士だった。
なので、無線電信のほうで資格をとって、
海上保安庁に入り、
ついに船に乗れると思ってました。
そしたら、灯台だったんです。



最初は意味がわからなくて。
なんで船じゃないのかなあと思いつつ
赴任先の灯台に行ってから、
「ああ、灯台でたくさん無線電信を使うから、
無線の資格で入ったおれが選ばれたのか」と、
わかりました。
小さいころにおふくろと観た
『喜びも悲しみも幾歳月』っていう映画に
灯台守が出てきたんですけどね、
まさか自分がその人になるとは
思っていませんでしたね。



だけど、釣りが好きだったので、灯台職員の先輩に
「灯台では釣りも仕事のうちだよ」と言われて、
「これはいいな」と思ってね。
それから、ずっと灯台に居ついてしまいました。
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──
じゃあ、最初はそのつもりじゃなかったけど‥‥。
前畑
そうです。船に乗るとばっかり思ってたんです。
いやぁもう、まさか灯台守になるとは
思わんかったですね。
──
それが、日本最後の灯台職員にまで。
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前畑
光の灯台のほかにも、
いろんな灯台を経験しました。
──
光以外の灯台というと、どんなものがあるんですか。
前畑
「電波標識」というものがありました。
灯台の光は、遠くても40キロぐらいまでしか
届かないんですよね。
ですけれども、電波っちゅうのはもう何百キロ、
何千キロっていう距離を飛ぶわけですよ。
最後にできた電波標識の「オメガ」っていうのは、
何万キロも離れたところに届くものでした。
ですから、これ以上優れた電波標識はないということで、
ギリシャ文字の最後の文字をとって「オメガ」と
名付けられたんです。
そこで勤務したこともありました。
オメガも、平成になってから
なくなってしまいましたけどね。
──
「魚釣りもお仕事のうち」ということでしたけど、
灯台では、一日にどんなお仕事をされてたんですか。
前畑
最後に勤務した女島灯台では、職員は4人いて、
1人はずっと事務室で気象観測をしたり、
灯台の点検をしたりしました。
あとの3人で、食事をつくる当番と、
なにかしらの作業を交代でやりました。
たとえばエンジンの点検をしたり、
草が生えたら草刈りしたり。
あとは水ですね。無人島にある灯台では、
インフラを全部灯台守だけで用意しないと
いけなかったわけです。
ですからね、けっこうやることはあったんです。
朝から晩まで釣りができるわけじゃなかった。
──
それはそうですね(笑)。
前畑
朝飯前のね、ちょっと日が昇ったころとか、
日が沈むときとかね、
ちょうどいい時間帯があったんですよ。
釣りは、そういうときにちょこっとね。
大きな魚が釣れました。
釣りが好きじゃない人は、
退屈したかもしれないけど。
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──
では、基本的には灯台のお仕事は楽しかったですか。
前畑
最初の灯台に赴任したときは大変だったですよ。
テレビは映らない。それからラジオは聞けない。
冷暖房があるわけじゃないし、
冷蔵庫はものすごく小さかったから、
肉なんかたくさんは持っていけないわけです。
最初の1回分だけ。
だからね、カレーを食べたいなっていうときは、
缶詰を具材にしてつくったりしてましたね。
あと、野菜なんかもすぐ腐るから、
いろんな保存の方法を覚えました。
タマネギはちょっと傷んできたら鉢に植えて、
生えてきた葉っぱをネギ代わりにするとかね。
──
サバイバルですね。
前畑
サバイバルでした。
本土から灯台のある無人島に行くまでの船でも、
カツオやヒラマサやイカが
いっぱい釣れたんですよ。
釣れるたびに船のスピードを落として、
腰を据えるから、なかなか着かなかった(笑)。
「遅い、なにしてるんだ」と言ってくる島の職員に、
「いや、潮の流れがすごいんですよ」とか言って、
ごまかしてね。
──
あははは。前畑さんは、とにかく釣りがお好き。
前畑
島の職員も、釣りをしてるのは
わかりきってたと思うけどね。
だって、真っ白な船がさ、
島に着くころにはイカスミで
真っ黒になってるんだもの。
「一晩じゅうイカ釣りしてたな」って、バレちゃう。
そんなのどかな時代でした。
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(明日に続きます)
2026-04-15-WED