僕たちの 花火の連絡、 見えますか。  スコップ団 平了+糸井重里 対談
第7回 平という人を知る。
糸井 もしかして、花火終わったら
力抜けちゃうんじゃないかな。
俺がいちばん危ないと思います。
燃えつき症候群。
糸井 そういうような感じだよねぇ。
だけど、どうせ、また先が
あるんだろうね。
そのときまた、たぶん、
課題が出てくると思います。
(隣で対談を聞いている
 「天国にぶっ放せ!」実行委員会
 事務局長の藤原さんに向かって)
だけど当面、何しようか、土日。
藤原 以前、土日は何してたの?
どうしよう。穴掘って、また埋める‥‥
糸井 平さんと藤原さん、
ふたりは昔からの知り合いじゃないんですか?
ぜんぜん。
藤原 年も13歳、離れてます。
糸井 えーっと、いま、
事務局長までしている藤原さんは
どういうことで、スコップ団に‥‥?
藤原 お話ししてもよろしいでしょうか。
糸井 お願いします。
藤原 さきほどから、花火のポスターを貼ったり
記者会見場で、こまごま動いていた
男性がいましたでしょう?
あれは私の会社の部下なんですが、
彼のひとり息子が5歳で、
拡張型心筋症という難病を発症しました。
心臓移植しか道がなくなって
突然のことでしたので、
移植のための時間もほとんどありませんでした。

それで、会社の人たちと
息子さんが通う幼稚園の方々を中心に
「救う会」を立ち上げて
治療費の1億3千万円を集めることになりました。
一昨年の夏のことです。

街頭で募金集めをしてて、
あれは、暑くてつらかった日でした。
きれいな女の子がひとり、やってきて
「私たち、Tシャツ作って応援してます!」
と、声をかけてきたんですよ。

仙台で有名なファッションビルで
この募金のためのTシャツを売ってますから、
がんばってください、と彼女は言うんです。
見ず知らずの女性でしたので、驚きました。

教えられたお店に行くと、そこは
ジーンズ屋さんでした。
そのTシャツは、お店のいちばん前に
置かれていました。
チャリティっぽくない、
アパレル品としても
とてもすてきなTシャツでした。
しかも、フライヤーまでついていた。
「彼は、俺やみんなの友だちになるかもしれない、
 息子たちの友だちになるかもしれない。
 そんな子どものためにやっています」
というような説明がありました。

そのTシャツを買おうと思って手に取ったら、
店員さんがやってきて、
「これ、レシートが出ないんです。
 なぜかというと、こういうわけでやってる
 募金のためのTシャツだから」
と、一所懸命説明しはじめました。
それを遮るように、僕は
「いや、実は私はこの子を救う会のスタッフです。
 お店の方に声かけてもらって来ました」
と告げました。
そうしたら、その店員さんが
ぽろぽろ泣きはじめました。
「これ、平っていう人がやってるんです」
そう言って名刺を渡してくれました。
そこではじめて
平という名前、その存在を知ったんです。
糸井 うん、うん。
藤原 おかげさまで、40日間で
1億3千5百万円が集まりました。
そのTシャツのことも、
病気の子の父親に知らせて、
「いつか平さんという人にご挨拶をしようね」
と言っていました。
Tシャツは、150万円くらいは
売れたと聞いていましたから、
大口で振込があるはず、と思って
ずっと待っていました。
けれども、いつまで経っても振り込まれない。
いろんなことが落ち着いたあとで、
せめてご挨拶を、と思って
もらった名刺を見て電話をかけたのです。
そして、会うことになりました。
うん。
藤原 会った瞬間、彼はぼろぼろ泣きはじめた。
僕らはどういう経緯だったのかを
確かめることにしました。

彼が僕らの「救う会」の活動を知ったとき、
すぐに10万円を募金しようとしたそうです。
そうしたら、平の奥さんが怒った。

「あなたの生業は何ですか。
 10万を10万で募金するんですか。
 それを5倍にも10倍にもするのが
 あなたのお仕事ではないのですか」
それで、Tシャツを作ったのだそうです。
500枚くらい作りました。
藤原 1枚3000円で、150万円。
てっきり150万円の振込が来るかと思ってたら
最後までわからなかった。
そこがほんとうに彼らしくて
「150万 平」なんてのは嫌だから、
みんなに10万円ずつ渡して、
街中の募金箱にぎゅうぎゅう突っ込んできた、
と言うんです。
糸井 ははは、なるほど!
藤原 なんてすてきなんだ、
そう言って、いっしょにお酒を飲みました。
それが11月ぐらいです。
ああ、すごくいい人だね、なんて言ってて、
年明けて、地震です。
糸井 ああ‥‥。
藤原 みんながえらいことになりました。
しばらくして、
難病を治療した子の親、つまりうちの部下が、
「あんときの平さん、すごいことやってるよ、
 大変だよ!」
と言ってきたんです。

あんときにあれだけ助けてもらったんだ、
俺らはお手伝いしないわけにいかない、
ということで、スコップ団に行ったんです。
糸井 そうだったんだ‥‥。
 (つづきます)

対談場所 協力:エフエム仙台
2012-02-16-THU
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