永江朗さんが聞き、糸井重里がこたえた 「宣伝会議」の特別講義。いま、「コミュニケーション」とは。
永江朗さんが聞き、糸井重里がこたえた 「宣伝会議」の特別講義。いま、「コミュニケーション」とは。
 
自分の希望をもとにすると すべての仕事が面白くなる。
糸井 それはですね、つまり
「お願いされる仕事」は
全部やめるって決めたんです。
永江 ほぉ。
糸井 これは、画期的でしたね。
フリーで仕事をしているなら
仕事はすべて、基本的に
お願いされるものですから。

どういうことかと言うと、
「お願いされた仕事」について
構想を練る時間を
一日もらえますか、とか、
この話については
いろいろ考えなければならないので、
ひと月待ってくださいと言って、
無理ですと言われたら
それはもう、断る。

逆に、
そういう時間をもらえたら
構想を練って、
こういうことをしたいな、
という提案を出すんです。
永江 なるほど!
「頼まれ仕事」では
なくなるわけですね。
糸井 心理的な部分で、
「頼み仕事」にするんですよ。
そうすると、後悔がない。
と同時に、
仕事が全部、面白くなる。
そんな風にして
すべてを「頼み仕事」に変えたんですよ。
そうしたら、
基本的につまらない仕事は
何ひとつなくなりました。

そういう、
自分の希望をもとにして
仕事を進めていく、
というやりかたを
7〜8年くらいまえから
しているんです。
永江 もう少し
はやく聞きたかったなぁ。

‥‥そう言えば以前、
生徒が図書室の本を決める、
という学校を訪問したことがあって。
全生徒が一人一冊、
選ぶらしいんですけれども
その効果のひとつが、
「自分の選んだ本は
 必ず読む」ということ。

それと、それぞれの本に、
その本を読んだ生徒が
手書きの帯をつけているんです。
糸井 宣伝をしてるんだ。
永江 自分はこう思ったから
みんな読んで下さい、って。
「自分で選ぶ」ということで
視点が変わってくるんですよね。
糸井 ようするに、
「他人を巻き込む」ことで
責任を感じるんでしょう。

さっきの話で言うと
フリーランスって
いわば「芸者さん」じゃないですか。
お座敷に呼ばれなかったら
基本的に、踊る場所がない。

でも、僕は自分から
「私はここで踊りたい」って
「旦那」のところに言いに行くような
「芸者さん」をやっていたんです。
そうしたら、実はあまり
「旦那」ってまわりにいないんだな
ということに気がついて、
それで『ほぼ日』を作ったんですよね。
永江 なるほど。
そこに、つながるわけですか。
永江 ここからは、
宣伝会議の講座受講生・修了生や、
「ほぼ日」の読者から
寄せられた質問にお答え頂く、
というかたちで進めたいと思います。
糸井 はい。
永江 まず、
「これから実現したい夢はありますか、
 それはどんな夢ですか?」
糸井 うーん、
特にはないですね。
永江 ないんですか?
糸井 夢ってね、
荒々しくて
あまり好きじゃないんですよね。
何と言うか、
夢を語るやつに会うたびに、
げんなりしませんか。
会場 (笑)
糸井 もちろん、
ああなったらいいな、
こうしたいなっていう希望なら
その都度ありますけれど。

たとえば現代って、
特にIT系とか顕著だと思うんですが
ひとつの会社に定着しないで、
入れ替わるのが当たり前だったり、
バリバリできるやつを
引き抜いてくるみたいな
ところがあると思いますけど、
そうじゃない方法で
うまくいくといいなぁと思っています。

永江 はい。
糸井 そうするには
どうすればいいのか、
という部分については
具体的には、
まだよくわからないんですけど、
少なくとも
今、本屋に積まれているような
ビジネス本に書いてあることでは
ないと思うんですよ。

それがいいんだ、というなら、
世の中つまらない。
みんなが「がつがつ」していて。

隙間を狙おうだとか
出し抜いてやろうだとか
人より少しでも勝ってやろうと
常に考えている人に囲まれている状況って、
何に似てるかと言えば、
「予備校」ですよね。

予備校社会ってさ、
なんかいやじゃないですか。

謙虚なまま、
うまくいくといいじゃないですか。
永江 それでは、次の質問。
「広告という、マスにむけての
 コミュニケーションから
 『ほぼ日』に活動を移された経緯を
 メディアの話を絡めてお話いただければ」。
糸井 先ほどお話ししたように
「断る」ことを覚えた、というのが
まず、ありますよね。

ある時期から
いやいや仕事をやったり、
「当たり」じゃないところに
わざわざハズしてくれって注文されるような
オファーばかり来るようになったんです。
そのとき、
これはお互いのためにならないな
という気持ちになって。

釣りにばかり、行っていました。
その間に、
インターネットと
パソコンというものを知ってしまった。

そして、
「知の分家」が
行われる時代が来たぞ、
大変だ、俺はもうおしまいだ
と、思ったんです。
永江 あぁ。
俺の時代ではなくなった、と。
糸井 あきらかに
「俺の時代ではない」。
そして、もうひとつは
「知が分家している時代」の方が
あきらかに面白いじゃないか、と
そのとき、同時に思ったんですよ。
<続きます!>
2006-02-01

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