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永江 |
「ブログが流行る前と後とで
インターネットの
コミュニケーションは
変わりましたか?」 |
糸井 |
変わったと思います。 |
永江 |
具体的にいうと? |
糸井 |
情報の「速度」が、圧倒的に。
たとえば、ある時期
「糸井重里」と検索したら
「Google」の1ページ目に
「糸井重里のバス釣りNo.1」という
ゲームソフトを書いたサイトに行き当った。
これは、
そのソフトのニュースが流れた時期なんですけど、
僕を知ろうとするときに、
そのゲームソフトのことを知っても
あまりに間接的じゃないですか。
それが1ページ目に出てくるということは、
僕についての
よりビビッドな情報が「間に合っていない」。
逆にブログの方で
僕の名前を検索したら、
きっと、今日ここで永江さんと
話したことが、もう載っていますよ。
その速度の違いっていうのは、
とんでもないですよね。
だから、
少なくとも「発表したもの」については
すべて、すでに知られていると
覚悟するべきなんですね。 |
永江 |
しかも、
「人の噂」は75日で消滅しましたが、
ブログは半永久的に‥‥。 |
糸井 |
残ります。
残るんだけれども、
上書きされていく。
そして
情報の「表面」が上書きされたとき、
そこから三層、四層下の情報って
「ないこと」にされてしまいがちなんですよ。
そのスピードでみんなが生きていて、
そのスピードで今日や明日のことを考えている。
僕なんかも、
もう少し神経が細かったら
ずっとブログで自分と『ほぼ日』の情報を調べて、
ドキドキしながら「どうしよう、どうしよう」って
毎日生きていると思うんですよ。
でも、それは
全員がそうなる運命になる時代なんだから
さらされる側の実験台になってやろう、と。 |
永江 |
なるほど。 |
糸井 |
でも、外に発表しない情報は、
伝わらない。
だから、そういう情報を
どれだけ大切に持つか。
たとえば僕は今、
アルタミラの洞窟の美術書を
夜中にパラパラめくって
時間を過ごすことが好きなんですが。 |
永江 |
ええ。 |
糸井 |
このことを
誰にも言わない限りは、
僕だけの秘密じゃないですか。
たった今、言ってしまいましたけれど。 |
永江 |
(笑) |
糸井 |
だから、
発表しないものこそが「僕」で、
発表したものは「みんなの僕」なんですよ。
そういうことを、
ありとあらゆる人が
やっていかなきゃならなくなる。
まずは僕が、
その練習をやっとくからね、
っていうつもりなんです。 |
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永江 |
特別講義らしい質問をひとつ。
「なぜ広告規模ナンバー2の日本は、
広告規模ナンバー1のアメリカに比べ
クリエイティブが弱いという意見が
多いのでしょうか」 |
糸井 |
当然、広告表現には
マーケティングと
アドバタイジングが混交していますから、
商品にフィットしていないものが
表現として優れていても、
広告として必ずしも効かないし、
優れていなければならない理由が
そんなにない場合もあるんですよね。
手放しにほめるわけじゃないんですけど、
今、上手いなぁと思うのは、
「やずや」ですよ。
広告の使い方と、
企業インフォメーションの仕方が
今の時代でいうと
一番上手な例だと思います。 |
永江 |
「やずや」、ですか。 |
糸井 |
クリエイティブが上だ下だっていう話は、
今の時代には
あまり役に立たないと思うんです。
つまり、
表現のレベルで
本当に優れたクリエイティブを志すなら、
アーティストになるべきですよね。
逆に、80年代の広告には
なぜ表現志向の広告が多かったかというと、
「誰かが何かの商品を手に入れて、
それを使っていない人にほめてもらう」
ということが、当時は、
消費行動の理想型だったからですよ。 |
永江 |
ほぉ。 |
糸井 |
商品なんて、別に
どれでもいいやっておじさんが、
「それ使ってるんだ?」って言われたら
悪い気はしないじゃないですか。
それで動いていたのが80年代です。
でも現代はそうではなくて、
たとえば自動車の広告ひとつとっても
「これいいよね」というムードができて
それで買ってくれるような人がいたとしても、
たぶん、200万円くらいの車までだろう、と。
それ以上の場合になると、
どんなものが好みで、
何が必要で、どう使うから、
という自分の判断が重要になってくる。
そうやって
自分から商品を選ぶ人って
「いい感じだね」ってだれかが言ってくれても、
「じゃあ、あなたが買えば?」ってなっちゃう。
そういう時代の
広告の打ち方って、
「あのCM、面白かったよね」だけでは
お金を出してもらえないんですよ。 |
永江 |
はい。 |
糸井 |
そういうことも含めて
表現をやりたいのであれば、
自分がスポンサーになることです。 |
永江 |
そうした考えからも
『ほぼ日』をつくる、
ということに
つながっていったわけですね。 |
糸井 |
はい。
今日集まってくれた
みなさんをはじめ
広告の講座を受けている人たちが
「こんな時代に、何を学ぶか」というように
自分自身に引きつけて
考えてくれると嬉しいです。 |
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<終わります!> |
2006-02-03 |