糸井 |
落語って、基礎知識がなくたって、
たのしめると思うんですよ。
だけど、人に落語をすすめるというときに、
いまは基礎知識のことを言いすぎる気がする。
冷静に基礎のことを伝えるよりも、
一生懸命に自分の好きな落語について話せば、
聞いてる人には伝わると思うんです。
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志の輔 |
ああ、はい、はい。
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糸井 |
いま、「ほぼ日」の日曜日の連載に
「虫博士たち。」っていう、
虫についてのコンテンツがあるんですけど。
虫って、夢中な人はものすごく夢中なんですね。
一般の人は虫の話なんか、しやしない。
でも、自分の好きな虫をひとつ、
一生懸命に語ってくれると、
おもしろいんですよ。
「アリジゴクは、こんなふうにして
アリを捕獲してるんだよ!」
なんて語られると、それは基礎知識がなくても
十分におもしろいんですよ。
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志の輔 |
ああ、そうなんですよね。
話自体がおもしろければ、
作法や話術はどうでもいいはずなんですよね。
本来、「その人の話がおもしろい」
っていうことは、
「間がいい」とか「調子がいい」
とかっていうことではなくて、
話している中身にあるはずなんです。
ところが落語家っていうのは、
「これは自分が考えた話じゃないんだけど、
これを、いい間で、うまーくしゃべると、
みんなが笑うんですよ」っていう、
技術に走ってしまうことがあって。
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糸井 |
あああーー、なるほどね!
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志の輔 |
その技術だけを重んじすぎると、
「あいつのあの声の高さはいいね」
というふうになってきたり、
「ああ、いい間だな」
ということになってしまうんです。
でも、それだけじゃないですよね。
うちの師匠(立川談志)なんかはやっぱり
演者がつくったことばであるとか、
独自のフレーズというものが
ものすごく好きなんですよ。
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糸井 |
ああ、なるほど。
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志の輔 |
たとえば、うちの師匠は
「三代目三木助が『へっつい幽霊』で
『塀越しの話なんでぇ、
間違ってたらごめんよ』
っていうところの、
ことば選びはいいねえ」
っていうことを言うわけです。
つまり、道具屋のへっつい(かまど)に
幽霊が出て、
それが噂になって客がこなくなったもんだから
道具屋の夫婦が
「あのへっついに1円つけて
誰かにもらってもらおうよ」と相談をする。
それを塀のこっち側でやくざものが聞いていて、
道具屋に入っていって、言うわけです。
「塀越しの話なんでぇ、
間違ってたらごめんよ」と。
この、ことばの選び方が、三木助ならではだと。
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糸井 |
声の調子や、間ではなくて、
独自のことばの選び方についての
ことなんですね。
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志の輔 |
そうなんです。
というのは、三代目の三木助っていうのは
本物のばくち打ちだったんです。
だから、やくざものの了見がわかるわけです。
そういう男が道具屋に入っていくときに、
ことばづらはキレイなんだけども
相手に有無を言わさぬ強さでもって
「塀越しの話なんでぇ、
間違ってたらごめんよ」
と言う。すると相手は「は、はい」となる。
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糸井 |
おもしろい(笑)。
談志師匠は、それが三木助ならではの
ことばだと知ってるんですね。
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志の輔 |
ええ。
それは、ほかの人の落語には
ないセリフなんです。
やっぱり技術じゃなくて、
そういうものが重要なんですよね。
そういうものを重ねていくと、
その人だけの落語ができ上がるんです。
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糸井 |
はい、はい。
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志の輔 |
だって、古典だと、どう考えたって、
おおもとのストーリーは同じなんですから。
最初につくった、「作者不詳」の、
その人の噺なんですから。
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