親鸞 Shinran 吉本隆明、糸井重里。




2 お坊さんも、普通の人と 同じ生活になっていく。 親鸞は、見抜いていた!

吉本 『歎異抄』からはじまって、
親鸞のことを調べていくと
いろんなことがわかりました。
だいたい親鸞ははじめから妻帯はしているし、
子どもはちゃんといるし、
子ども(善鸞・ぜんらん)に背かれてもいる。
まぁ、普通の人がやることは
みんなやっているわけです。
糸井 はい(笑)。
吉本 それでもって、なまぐさものは食べている。
まぁ、つまり、そりゃ、
文句ないじゃないか。
糸井 破戒僧ですね。
吉本 親鸞の師匠である法然(ほうねん)は
あくまでも坊さんであって、
坊さんとしての戒律は守っていました。
ただただ念仏一丁唱えていれば、
死んだあとは必ず浄土へ行けると、
そのことを説くために、
法然は山(比叡山)を下りたわけです。

だけど、親鸞ははじめから、
坊さんの戒律なんていうのは
一丁も守ってないです。
全部、全部破ってます。

そうやって、
いったい何が残るのか。
そこについて、ちょっと僕は
いろんなことを考えました。
途中で自分の考え方も変わってきましたし、
ほんとうに、そりゃいろんなことを
考えてみました。

結局、何が、証拠として、
‥‥証拠っておかしいけどさ(笑)、
そこには何があったか。

後世の坊さんを見ればすぐわかるように、
‥‥つまり、いまの坊さんは、
親鸞と同じように
魚も食ってるし、
妻帯もしてるし、
子どもも生んでるし、
子どもに背かれてもいるし、
死んだやつもいる。

そのことは、親鸞が
中世の頃にはちゃんとわかって
やっちゃっているじゃないか。
ですから、何をいまさら、と思うんです。

どうせ坊主というのは、
普通の人と
同じようになるだろう。
そのことを、まず、その頃の親鸞は、
洞察している。
親鸞は洞察しているわけです。

どんな予言でも思想でも、
何世紀にもわたって、
間違えてないぞ、その通りだぞ、なんて
言えるやつは、
そんなにはいねぇわけですよ。
せいぜい1世紀か2世紀、
もつことはあるんだけど、
たいていは、そのくらいで
ダメになっちゃうんです。
糸井 もうすでにいま、親鸞は
8世紀にわたっていますね。
吉本 そうなんです。
親鸞のほかに、
言ったことが生きているなと思えるのは、
マルクスだけじゃないかな、と
僕は思ってます。
マルクスは19世紀の人だけど。

(つづきます)

2007-10-15-MON



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