糸井 気を取り直しまして(笑)。
はい(笑)。
糸井 どうして「スケッチトラベル」を
やろうと思ったんですか?
「トトロの森」プロジェクトのときも
そうだったんですが、
「仕事だけじゃダメだ」って気持ちが
つねにあるんです。
糸井 ほう。
もちろん、ピクサーの仕事は真剣にやります。

でも、「遊び」というか、「趣味」というか‥‥
「ただ好きでやっていること」も
真剣にやらないと、ダメな性格なんです。
糸井 仕事くらいがんばっちゃうんだ。
今回もそうですが、「トトロ」のときも
1年間でふたつ、仕事を持ってる感じでしたね。
糸井 ちから抜けないわけですね、両方。
ぼくも、ピクサーではけっこう‥‥。
糸井 責任ある立場なんですよね?
はい、とくに「トトロ」のときは
ピクサーに入社してまだ1年目だったんです。

つまり「見られている」わけです。
糸井 なるほど、なるほど。
外からやってきた「アートディレクター」が
ちょっとでもヘマしたら、
やっぱり‥‥冷たい目で見られてしまいます。
糸井 うん、うん。
だから、ピクサーの仕事は
きっちりと、やらなければならないんです。

でも、それだけじゃなくて。

Enrico Casarosa
糸井 ええ。
ピクサーでやっている仕事のほかに、
お金にならない‥‥といいますか、
ただ単に「好きだから」という理由だけで
やるようなことがないと‥‥
つまり、本業以外のところで
新鮮なインスピレーションを得ていないと
ピクサーでも
ちゃんとした仕事はできないんです。
糸井 うん、それは、わかる。
つまり「スケッチトラベル」をやることで、
ピクサーの仕事のクオリティも
よくなってくるんです。

ぼくの勝手なセオリーなんですけど‥‥。
糸井 いや、よくわかります。

お金につながらないプロジェクトを
真剣にやることで
堤さんのピクサーでの仕事にも
絶対、いい影響を及ぼしていると思います。
そう信じてやっています。
糸井 そして、ピクサーというのは
そういうことを理解してくれる会社なんでしょう?
そうですね。

「スケッチトラベル」には
ピクサーの人にも
けっこう、参加してもらっていますし。
糸井 ちなみに、アートディレクターとしての側面って
どうやって鍛えてきたんですか?

昔から、絵がうまかったんだとは思うんですけど。
いや‥‥ぼくは18歳でアメリカに渡るまで
日本では、
野球しかやってない「野球バカ」だったんです。
糸井 えっ?
英語の勉強どころか、絵の勉強もしたことなくて。
糸井 ‥‥おもしろーい(笑)。
ようするに、野球ばっかりやっていて
受験勉強もしなかったために、
日本の大学に入学できそうもないから、
アメリカに行ったんですね。
糸井 じゃあ、スポーツマンとして育ったんだ。
ただ、ぼくは身体も小さかったですし、
通っていた高校も、
野球の強い学校ではなかったんですね。
糸井 うん、うん。

Nicolas De Crecy
でも、もっと野球がうまかったら
プロへ行きたいという気持ちはありました。

それくらい、野球が好きだったんです。
糸井 つまり、夢中になっちゃうんだ。
本当に、野球だけをやってましたから‥‥。
糸井 高校を卒業するときに
野球で上に行くっていうのはむずかしいなと
思ったんですか?
はい。ぼくは、野球は大好きでしたけど、
そんなに上手ではなかったんですよね、結局。
糸井 そう思いますか。
ただ、見返りないものに夢中になれる性格は
その時代に養われてきたのかもしれないです。
糸井 すばらしいね。それは‥‥すごいと思います。

それじゃあ、
大学へ行ってから「絵」にスイッチしたんだ。
はい。

Mike Lee
糸井 昔から「上手だ」とか、
絵を褒められたことって、あったんですか?
いやぁ‥‥それもマンガ程度の話ですよね。

自分よりもっとうまい子なんて
まわりに山ほどいましたし、
まさか
自分が絵をやるなんて思ってませんでした。
糸井 じゃあ、どうして‥‥。
最初、アメリカの短大に入学したんです。

でも、まずは英語ができなかったので、
語学のクラスで勉強しつつ、
他に受講できそうなクラスを探したら‥‥
あ、絵のクラスがあるな、と。
糸井 はぁ。
だから、そこで。
糸井 え、じゃあ‥‥行き場がなくて「絵」だった?
そうです、そうです。

とりあえず、
「何でもいいから単位を取らなきゃ」と思って
絵のクラスを取ったんです。
糸井 それがいまや、ピクサーで
『トイ・ストーリー3』のアートディレクター?

‥‥すごい話ですね。
そのクラスには
おじいちゃん、おばあちゃんが
いっぱいいたんですが、
彼らが
ものすごく優しくしてくれたんです、ぼくに。
糸井 ほう。
「あなた、才能あるよ」って。
糸井 へぇー‥‥。
それで、ぼくも調子に乗っちゃって(笑)。
糸井 開花しちゃったんだ‥‥才能が。
日本にいたときには
何かをそんなに褒められた覚えもないんですが、
向こうは「褒めるカルチャー」なんで。
糸井 なるほど、なるほど。
自分には絵の才能があると思い込んでしまって、
また「夢中」になっちゃったんです。
糸井 で、いったん「夢中」になっちゃったら‥‥。
そう、絵がうまくなってきたんです。
そこから、美大に編入したんです。
糸井 こんどは、本格的に
絵の上手な子ばっかりいるところですね。
はい、美大に行ったら行ったで
小学校のころから
ダントツに絵のうまかった人ばっかりで。

クラスでいちばん下になっちゃいました。
糸井 短大のおじいちゃん、おばあちゃんには
あんなに褒められたのに。
そう(笑)。
糸井 でも、めげなかった?
ええ、めげずに、やったんですね。
だって、絵が好きなんですから。
糸井 そうか‥‥そうだよなぁ。
でも、それもやっぱり、高校生のときに
弱小校で
野球を一生懸命やれたからだと思います。
糸井 あの、これ、すごく好きな話です。
ありがとうございます(笑)。
ぼく、いま草野球の監督をやってるんです。
糸井 ええ、いいですねえ。
草野球って「見返り」ないじゃないですか。
遊びでしょう?

でも、20代の若い子たちには
「遊びだからって
 真剣にやらないのはダメだ」って言ってます。

「遊びだからこそ、真剣にやれ。
 好きなことを一生懸命やれなかったら、
 社会に出てから
 何も一生懸命になんかできない」って。

なかなか、わかってもらいにくいんですが‥‥。
糸井 「人は、何かを、遊びの過程で覚えていく」って
吉本隆明さんが言うんですけど、
そのリアリティは、経験したらわかるんですよね。
ええ、ええ。
糸井 つまり「遊べ!」ってことなんですよ。

ようするに、
「おもしろいから、寝られないんだ。
 大好きだから、止められないんだ」
なんです。
はい、そのとおりだと思います。
糸井 そして「もうダメだ」と思うときが
いちばん「伸びる」ときでもあって。
はい、それも、本当にそうです。

「もうだめだ」というときに止めちゃうのか、
「オレは、こんなに絵が好きなんだから、
 この苦しみを乗り越えるくらいは
 たいしたことない」って思えるか、どうか。
糸井 「こんなに好きなんだから、
 何かあるはずだ」って思えるわけですよね。

これ‥‥伝わってほしいなぁ。
短大で出会ったおじいちゃん、おばあちゃんなんて
70歳、80歳になって絵をはじめるんです。
糸井 すばらしい。
見返りなんて期待してるはずがない。
本当に好きだから、やってるだけなんです。
糸井 うん、うん。
あのときのおじいちゃん、おばあちゃんには、
いまでも、本当に、感謝しています。

Ronnie Del Carmen
  <つづきます>



チャリティで、何をするのか。

フレデリック・バックさんを訪問してから、
瞬く間に、3時間が経っていました。

フライトの時間がせまり、
会見のお礼を述べ、辞去しようとした堤さんを
バックさんは
「ちょっと待ってくれ」と、引き止めました。

そして、アカデミー賞受賞作である
『木を植えた男』の原画を1枚、壁から外します。

何をするんだろう、と見ていると‥‥。

「その作品は、プラスチック製のフレームで
 覆われていたのですが、
 フレデリックは、いきなりハサミを持ちだして
 そのフレームを
 ジョキジョキ、切りはじめたんです。
 もう、びっくりしちゃって」

!!!

「いま、彼が何をしようとしているかは
 何となくわかったのですが、
 何も言えず、手出しもできませんでした。
 ぼくはしばらく、
 そのようすを、眺めていました。
 やがてフレデリックは、
 フレームから作品を取り出しました。
 そして、ぼくに手渡したんです。
 この絵は、
 君に持っていてほしい、と言って」

森のなか、年老いた木を植えた男を、
主人公の若者がついていくシーンの絵でした。

「ぼくは、受け取れませんって、言いました。
 でも彼は、
 私はもう、老い先長くはないから、
 君の手にって。
 絵に描かれているように、
 ぼくら若いジェネレーションが
 むかしから自然環境や動物愛護を訴えてきた
 フレデリックの思いを
 引き継いでいかなければならないと
 本当に思いました」

別れ際、バックさんがくれた言葉は
「ミヤザキさん、
 オファーを受けてくれるといいですね」
だったそうです。


 

‥‥この原稿を書き、
確認のために
アメリカの堤さんにメールで送ったところ、
ほどなくして
以下のような返信が届きました。

堤さんの了解を得て、
ここに、全文を掲載させていただきます。



彼は片目を失いながらも、
歴史上に残る名作『木を植えた男』を
つくり上げました。

そのエネルギーは、なんなのだろう。

きっと、映画人にとって
最高の名誉であるアカデミー賞を受賞しても、
それは、彼にとっては、
それほどの意味を持たないことだったのかも
しれません。

なぜなら、彼にとって『木を植えた男』は、
それ以上に
「世界に訴えたいメッセージ」を
切実に表現したかった作品なのではないかと
思うからです。

彼は残された片目をキラキラ輝かせて、
とても素直に、言ったんです。

「私やあなたは、絵やアニメーションという
 表現のちからを持っている。
 そのちからを、
 未来を、少しでも明るく照らすことに
 使えなければ、
 いったい何の意味があるんだい?」

自らの表現が、世の中を良くする‥‥?

多くの人が、その言葉を避けています。
照れ屋の日本人にとっては
とくに、口にしづらい表現かもしれません。

でも、その言葉を、
あそこまで素直に口に出すことのできる
フレデリック・バックを前に、
私は、とても恥ずかしくなりました。

そして、フレデリック・バックという人の
人間の大きさ、
86歳になっても誠実に生きる姿、
それに比べ
自分の小ささを思い知り、
抑えきれない感情がこみ上げてきました。

私自身を含め、多くの人が、
エンターテインメントの世界で、映画をつくります。

作品の質に関わらず、
巨額の予算が投じられる「映画」の世界では、
興行収入が「いちばん大切」とされます。

自分の作品で、少しでも、未来を明るく‥‥。

アーティストの多くは
心のなかでは、そう思っているのかもしれない。

でも、その思いを
あそこまで素直に表現する勇気を持つ人は
どれだけ、いるのだろう。

フレデリック・バックから
いただいた絵は
「若者が、老いた木を植えた男を
 追いかけているシーン」です。

私には「木を植えた男」がバックさんと重なり、
若者である私たちという
「次の世代」を、導いているように思えました。






2011-10-17-MON