池谷 |
実は、浅い眠りであるレム睡眠中に Fをくっつけるだけだったら、 それ自体では何も起こらないんです。 つまり、次のノンレム睡眠に そのFがどう使われるか、ということが重要で、 そのあたりが、まだよくわからないんです。 それから、Fが入ることで どうやって閃きにつながっていくのか、 そのあたりがまだ、わからない。 あとは、なぜFが選ばれたのか、 ほんとうは、根拠は 違ったところにあるんじゃないかと 考えてもいいわけです。 あるいは妄想からきたものかもしれない。 そのあたりが、広い意味で、 私の研究テーマでもあるんです。 |
糸井 |
Fが、GであろうがZであろうが よかったんですね。 どんなものでもよかったAやらBが、 別の何かを作り上げていくことは、 人がふつうにやっていることと 似ていますね。 |
池谷 |
いや、ほんとにそうですよ。 細胞をずっと見ていて思いますが、 私たちが人と人の間でやっているようなことを 神経細胞同士もやっている。 これはほんとうに、おもしろいです。 |
糸井 |
他者が入ってくることと、 夢の中に自分が入ってくるのとは、 もう同じなんだということでしょう。 どっちもオーケーなんです。 それをくり返すことで、 脳が新しい整合性を言い訳したり していくわけでしょう。 |
池谷 |
記憶がすり替わっちゃうこともあります。 |
糸井 |
Fのような、無関係で規則性がないと 思われるものが入ってきても、 それを新しい整合性に組み上げられるのは、 いわば、頭のやわらかさですね。 Fが来たときに排除してしまう人だって 当然、いるでしょう。 |
池谷 |
はい、います。その人はそこで ストップしてしまいますが、ただ、 その分野において 能力を発揮することはありますね。 |
糸井 |
その機能になって、 できることがあるということか‥‥。 |
池谷 |
ただ、Fを脳にもともと持ってなければ、 Fはくっつきようがないですから。 いずれにせよ、限りは出てくると思います。 |
糸井 |
専門領域のところで磨いてくことだけを ずっとやっていくと、 その専門領域の伸びも悪くなりますね。 |
池谷 |
僕は学生たちに、 毎年同じことを言ってるんです。 まだ研究をはじめたばかりの新入生は 「どんな教科書で勉強したらいいんですか」とか、 「どういう論文を読めばいいですか」と 言ってくる人が多いですが 僕はあえて意地悪して、教えないんです。 そういう人ほど、その本ばっかりやっちゃうから。 |
糸井 |
それ、意地悪じゃないですよ、親切です。 |
池谷 |
はい、長い目で見れば親切かもしれません。 逆にフラフラしてる人には こういう教科書があるよ、と言ってあげる(笑)。 |
糸井 |
解を求めるという熱情はすごく大事だと思うけど 解を求められればそれでいいというのは 間違いでしょうね。 「解」生成装置になったら 徹底的に自分が弱まります。 |
池谷 |
そうですね。観方が弱まる、というのはそうです。 |
糸井 |
Fの出てくる夢という── 「夢を持てよ」の「夢」じゃなくて、 「寝て見るほうの夢」を 持たなきゃ、と言うべきだね。 |
池谷 |
あはは、おもしろい。 まさにそうですね。 それは脳のレパートリーを増やすということです。 おかしいですね、 「人と対話するのも夢なんだ」 という言い方をしたら、 寝るほうの夢の話だとは 誰も思わないでしょうね。 |
糸井 |
「夢を持ちましょう」の「夢」は、要らないね。 夢と現在の道筋を 正しく書ける人なんていないし、 書けたとしても、それは全部予測で 間違いなんだから。 それに合わせて生きていったら、 FやGといった、いらないもの削ってしまうに 決まってるんですよ。 |
池谷 |
ほんとにそうですね。 でも、うーん、となると、 夢を叶えた状態って、 どういうことなんでしょうか。 |
糸井 |
ある夢を叶えて、得られたのは、 地位と金だとします。 地位と金というものは、 何かをやりたいときに 自分の代わりになって、やってくれます。 でも、それは、自分が実現したのではなくて、 金が実現したことになる。 自分の能力は何も変わってないし、 おもしろくもない。 なぜなら、それは、買ってきたものですから。 それに比べたら、 夢を見ることと同じように、 一本の映画を見ることや 一冊の小説を読むことのすばらしさは 思っている以上にあるんじゃないでしょうか。 (つづきます) |
2007-12-07-FRI