井上 | けれども、睡眠には、 生産性がないという面がありますでしょ。 睡眠は生産性を高めるための準備なんだという認識まで、 考えを巡らせる余裕がないもんですからね。 眠る時間に起きてなんかしたほうが 生産性が上がるという発想の方が強いでしょう。 ですから睡眠についても、 起きてる時間のレベルを高める努力の一環で、 「究極の快眠法を手に入れれば、 起きてる時間がもっと充実するだろう」と、 そういう、何といいましょうか。 |
糸井 | そうですね。 ちょっと功利主義的な。 |
井上 | そうなんです。 眠りそのものを楽しむとか、 眠ることが人生だというのじゃなくて、 眠りによって 起きてる時間帯を充実させるといいますか、 価値あるものにしようと、 そういう功利的な発想ですね。 |
糸井 | すこし残念ですね。 |
井上 | 結局そうなると、ある程度、 努力してでもお金を出せばよい、 という発想になっちゃうわけですね。 グルメであるというのと同じような感じで 今の眠りが少し貧しいから、 もう少し、いいものを手に入れよう。 そういうことになって、 それが多少エスカレートし過ぎている面もあるんです。 自分の眠りに十分満足じゃなくて、 もっといいのがあるはずだ。 もっといいの手に入れなきゃ不幸だ、 というような、そういう考え方から。 |
糸井 | ああー! |
井上 | そういうところから、 いろんな意味で点をつけてみると、 自分は睡眠において落第点じゃなかろうかと。 そうするとそれ自体がね、 逆効果になるんですね。 |
糸井 | 強迫ですもんね。 |
井上 | そうなんです。 ですからね、そんないい眠りなんて 手に入るはずがないんだと知らないで 朝起きて、コンピュータに スイッチが入ったみたいな立ち上がり方をしたい。 夜は夜で、スイッチ切って、ぱたっと寝たい。 というようなそんな発想になっちゃうんですね。 だいたい、眠りというのは、ある程度 不満を持ちながらが当たり前である、 朝起きたときは眠いし、昼間だって眠いし、 それが普通なんだというようなことじゃなくて。 |
糸井 | つまり、ありもしない理想を勝手に想像して それに当てはまらない自分の不幸を嘆くという。 |
井上 | そうなんです。 |
糸井 | いわば、いいかたは悪いですが、 睡眠のニンフォマニアみたいな状態に なってしまうわけですね。 |
井上 | それでは、かえって不安が増すし、 ストレスが増すし、 あいつは、あんなによく寝てるのに、 オレはこの程度だ、 なんていうことになりますね。 例えば、古いともだちに、 「お前よく寝てるか」って聞くでしょ。 そうすると、コロッと寝ちゃうと言う人もいれば、 朝早く目が覚めて、どうしようもなくて、 昼間は眠いし、というようなことを 言う人もいるわけですね。 そういうのを比較すると、 じゃあ、それよりも上等な、 「かくあるべき眠り」っていうものを 何とかして手に入れようって。 そういう不幸をしょいこむわけですね。 |
糸井 | なるほど。 両極端に二種類の不幸があるということですね。 ずばり全部を生産性の方に、ささげてしまう、 つまり、奴隷として優秀になりたいという、 その悲しみもある。 同時に貴族というか、王様として、 もっとうまいものはないかと、いうように、 今の自分の不幸を嘆くという、悲しみもあると。 |
井上 | そうですね。 |
糸井 | はぁー。 よくわかるわ。 |
井上 | 結局、睡眠というのは、 本質的に、そんなもんじゃないんですね。 |
糸井 | 「そんなもんじゃない」。 それは、どういう意味でしょう。 |
井上 | 睡眠というのは、非常に個性的なものだし、 流動的なものだし、 場合によっちゃ、眠らなくてもいいし、 場合によっちゃ、長い眠りになるし、 というような、非常に姿がまとまらない、 究極な姿なんてないものなんです。 ゆうべの眠りと今晩の眠りと 違ってるっていうのは、あたりまえだし、 若い人と年寄りでも違う。 非常に変化の多い、適応力の高いものですね。 もともとそういう目的で開発された技術が 眠りなんですね。 脳というのが、 コンピュータと違うところは、 その人の、その条件で、その時点の、 その現状の必要とする眠りを出す装置なんですね。 |
糸井 | とても、希望に満ちた話ですね。そのお話は。 |
井上 | ですから、結局人と自分とは違うし、 それから、若い頃の自分と今の自分とも違うし、 いろんな形で変わってきてる。 いわば遊びの多い性能を持ちながら、 その場その場において、うまく対応して、 生命をなんとか維持するという、 そういう技術なんですね。 非常に高等な技術です。 今の自分の、今の状態を把握して、 体中のいろんなインフォメーションと、 目とか鼻とか耳から入ってくる情報も、 みんな総合して、 どういう眠りにしようかと決めるという、 複雑な機能ですね。 それは、電子機能のメインスイッチを 落とすなんてものじゃない、 非常に複雑で、 非常に、生き物らしい、高等な技術です。 |
糸井 | すばらしいですね。 |
井上 | みなさん、睡眠というのは、 そもそもそういうものなんだという 認識がないんですね。 ただ、脳のスイッチを切って、 いい状態で何時間かいれば回復するんだ というような程度の認識ですから。 結果として、ゆうべは、 これだけしか寝られなかったから、 今日は借金があるんだというような感覚で、 「8時間寝なきゃいけない」なんて信じてる人は、 そのやりくりに苦労すると思いますね。 それをうまくやれないと、 それが心に引っかかってストレスを助長させて ますます眠れなくなって、 そういう悪循環にはまる。 現代の人は睡眠について関心を持って、 いろいろ努力するわりには、 まぁ、見当外れのことをしているのですね。 |
糸井 | ある意味では、関心を持ちすぎてるとさえ言える。 |
井上 | そうですね。 |
糸井 | 今のお話を聞いてるだけで、 だいぶ、楽になりました。 何か、人間という観念的な どこにもいない観念を一つ、つくって、 その人間というもののさらに理想形をつくって、 それに当てはまるか、 当てはまらないかを測るということを、 現代人というのは、 盛んにいつでもやっている。 話が、はずれてしまいますけど、 この間、コンドームメーカーが行なった、 世界の人類がどのくらのセックスをしてるか、 という調査がありました。 そうしたら、日本人は、 ほんとに少ないと、 世界的に言われてるらしいんです。 余計なお世話だと(笑)。 つまり、そこで平均像を出すということの バカバカしさというのは、 性のことにしてみると、 機会が均等に与えられてませんから、 余計なお世話だって言いやすいんですね。 でも、睡眠は、みんな毎日寝るものですから、 つい平均像があるのではないかと 思ってしまうのでしょうね。 |
井上 | そうなんですね。 それで規格化して、まぁいわば、 理想的な数値みたいなことを出してしまうんですね。 ちょうど、身体検査、健康管理で、 血圧がいくらだの、 悪玉コレステロールがいくらだのと 同じことで。 |
糸井 | やりますねぇ。 |
井上 | あれはある程度の根拠があるでしょうけど、 それと同じような発想で、 この幅でなきゃ、まともな人間でないと、 これから外れると病気だというような、 そういう捉え方を睡眠に当てはめてるわけですね。 睡眠は、そんなに厳密に当てはめられないところが、 睡眠の睡眠たる特性なんですよ。 |
(つづきます。) | |
2008-02-19-TUE |