第5回 奴隷の眠り、王様の眠り。

井上 けれども、睡眠には、
生産性がないという面がありますでしょ。
睡眠は生産性を高めるための準備なんだという認識まで、
考えを巡らせる余裕がないもんですからね。
眠る時間に起きてなんかしたほうが
生産性が上がるという発想の方が強いでしょう。

ですから睡眠についても、
起きてる時間のレベルを高める努力の一環で、
「究極の快眠法を手に入れれば、
 起きてる時間がもっと充実するだろう」と、
そういう、何といいましょうか。
糸井 そうですね。
ちょっと功利主義的な。
井上 そうなんです。
眠りそのものを楽しむとか、
眠ることが人生だというのじゃなくて、
眠りによって
起きてる時間帯を充実させるといいますか、
価値あるものにしようと、
そういう功利的な発想ですね。
糸井 すこし残念ですね。
井上 結局そうなると、ある程度、
努力してでもお金を出せばよい、
という発想になっちゃうわけですね。

グルメであるというのと同じような感じで
今の眠りが少し貧しいから、
もう少し、いいものを手に入れよう。
そういうことになって、
それが多少エスカレートし過ぎている面もあるんです。
自分の眠りに十分満足じゃなくて、
もっといいのがあるはずだ。
もっといいの手に入れなきゃ不幸だ、
というような、そういう考え方から。
糸井 ああー!
井上 そういうところから、
いろんな意味で点をつけてみると、
自分は睡眠において落第点じゃなかろうかと。
そうするとそれ自体がね、
逆効果になるんですね。
糸井 強迫ですもんね。
井上 そうなんです。
ですからね、そんないい眠りなんて
手に入るはずがないんだと知らないで
朝起きて、コンピュータに
スイッチが入ったみたいな立ち上がり方をしたい。
夜は夜で、スイッチ切って、ぱたっと寝たい。
というようなそんな発想になっちゃうんですね。

だいたい、眠りというのは、ある程度
不満を持ちながらが当たり前である、
朝起きたときは眠いし、昼間だって眠いし、
それが普通なんだというようなことじゃなくて。
糸井 つまり、ありもしない理想を勝手に想像して
それに当てはまらない自分の不幸を嘆くという。
井上 そうなんです。
 
糸井 いわば、いいかたは悪いですが、
睡眠のニンフォマニアみたいな状態に
なってしまうわけですね。
井上 それでは、かえって不安が増すし、
ストレスが増すし、
あいつは、あんなによく寝てるのに、
オレはこの程度だ、
なんていうことになりますね。

例えば、古いともだちに、
「お前よく寝てるか」って聞くでしょ。
そうすると、コロッと寝ちゃうと言う人もいれば、
朝早く目が覚めて、どうしようもなくて、
昼間は眠いし、というようなことを
言う人もいるわけですね。

そういうのを比較すると、
じゃあ、それよりも上等な、
「かくあるべき眠り」っていうものを
何とかして手に入れようって。
そういう不幸をしょいこむわけですね。
糸井 なるほど。
両極端に二種類の不幸があるということですね。
ずばり全部を生産性の方に、ささげてしまう、
つまり、奴隷として優秀になりたいという、
その悲しみもある。
同時に貴族というか、王様として、
もっとうまいものはないかと、いうように、
今の自分の不幸を嘆くという、悲しみもあると。
井上 そうですね。
糸井 はぁー。
よくわかるわ。
 
井上 結局、睡眠というのは、
本質的に、そんなもんじゃないんですね。
糸井 「そんなもんじゃない」。
それは、どういう意味でしょう。
井上 睡眠というのは、非常に個性的なものだし、
流動的なものだし、
場合によっちゃ、眠らなくてもいいし、
場合によっちゃ、長い眠りになるし、
というような、非常に姿がまとまらない、
究極な姿なんてないものなんです。
ゆうべの眠りと今晩の眠りと
違ってるっていうのは、あたりまえだし、
若い人と年寄りでも違う。
非常に変化の多い、適応力の高いものですね。

もともとそういう目的で開発された技術が
眠りなんですね。
脳というのが、
コンピュータと違うところは、
その人の、その条件で、その時点の、
その現状の必要とする眠りを出す装置なんですね。
糸井 とても、希望に満ちた話ですね。そのお話は。
井上 ですから、結局人と自分とは違うし、
それから、若い頃の自分と今の自分とも違うし、
いろんな形で変わってきてる。
いわば遊びの多い性能を持ちながら、
その場その場において、うまく対応して、
生命をなんとか維持するという、
そういう技術なんですね。
非常に高等な技術です。

今の自分の、今の状態を把握して、
体中のいろんなインフォメーションと、
目とか鼻とか耳から入ってくる情報も、
みんな総合して、
どういう眠りにしようかと決めるという、
複雑な機能ですね。

それは、電子機能のメインスイッチを
落とすなんてものじゃない、
非常に複雑で、
非常に、生き物らしい、高等な技術です。
糸井 すばらしいですね。
井上 みなさん、睡眠というのは、
そもそもそういうものなんだという
認識がないんですね。
ただ、脳のスイッチを切って、
いい状態で何時間かいれば回復するんだ
というような程度の認識ですから。

結果として、ゆうべは、
これだけしか寝られなかったから、
今日は借金があるんだというような感覚で、
「8時間寝なきゃいけない」なんて信じてる人は、
そのやりくりに苦労すると思いますね。
それをうまくやれないと、
それが心に引っかかってストレスを助長させて
ますます眠れなくなって、
そういう悪循環にはまる。

現代の人は睡眠について関心を持って、
いろいろ努力するわりには、
まぁ、見当外れのことをしているのですね。
糸井 ある意味では、関心を持ちすぎてるとさえ言える。
井上 そうですね。
糸井 今のお話を聞いてるだけで、
だいぶ、楽になりました。
何か、人間という観念的な
どこにもいない観念を一つ、つくって、
その人間というもののさらに理想形をつくって、
それに当てはまるか、
当てはまらないかを測るということを、
現代人というのは、
盛んにいつでもやっている。

話が、はずれてしまいますけど、
この間、コンドームメーカーが行なった、
世界の人類がどのくらのセックスをしてるか、
という調査がありました。
そうしたら、日本人は、
ほんとに少ないと、
世界的に言われてるらしいんです。

余計なお世話だと(笑)。
つまり、そこで平均像を出すということの
バカバカしさというのは、
性のことにしてみると、
機会が均等に与えられてませんから、
余計なお世話だって言いやすいんですね。

でも、睡眠は、みんな毎日寝るものですから、
つい平均像があるのではないかと
思ってしまうのでしょうね。
井上 そうなんですね。
それで規格化して、まぁいわば、
理想的な数値みたいなことを出してしまうんですね。
ちょうど、身体検査、健康管理で、
血圧がいくらだの、
悪玉コレステロールがいくらだのと
同じことで。
糸井 やりますねぇ。
井上 あれはある程度の根拠があるでしょうけど、
それと同じような発想で、
この幅でなきゃ、まともな人間でないと、
これから外れると病気だというような、
そういう捉え方を睡眠に当てはめてるわけですね。

睡眠は、そんなに厳密に当てはめられないところが、
睡眠の睡眠たる特性なんですよ。
 
(つづきます。)
2008-02-19-TUE
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