- 糸井
- 皆さんはどう思ってるかは知らないけど、
作詞っていうのはサブですよね。
曲がメインだとすると、サブの仕事ですよね。
絵本でいえば、絵がメインで文字がサブ。
- 松本
- ああ、音楽がメインっていうのはありますね。
誰も詞なんて聴いちゃいないっていえば
聴いちゃいないわけです。
- 糸井
- だけど、記憶に残るのは詞ですよね。
- 松本
- 聖書的に言うと「初めに言葉あり」ですよね。
実は、文化も文明も言葉の中にあるのかもしれない。
だから、非常に重要なはずなんだけど、
詞はないがしろにされやすいところがあります。
この両極端な矛盾の中で、言葉を拾ってくるんです。
- 糸井
- 言葉はあまりにも世の中に満ちているものだから、
作詞って、どこから言葉を取ってきても
「あぁ、さっき見たよ」っていうものになるんですよね。
- 松本
- そういう意味でも糸井さんのコピーは、
これ以上短くできない中で
みんなに伝わる言葉になっています。
それは、すごい才能だと思いますよ。
いってみれば、俳句より短いじゃないですか。
- 糸井
- 才能だった‥‥というより、そういう仕事だったから。
空手家の拳にタコができるように
続けていく中で伸びていった力だと思うんです。
才能として、僕にあったとは思えない。
- 松本
- そうなんですか。
- 糸井
- うん。ただ、言葉にできないことに気がつくっていう
才能はあるのかもしれない。
「なかなか言葉にできない感じ、
これはどうしたらいいんだろう」っていう。
- 松本
- それは、詞も同じですよね。
- 糸井
- 同じだと思うんですね。
苛立ちっていうか、くすぐったさっていうか。
- 松本
- 僕の場合、コンプレックスがメインにあるんです。
詞の中にも、自己嫌悪があるのかもしれない。
- 糸井
- ああー。
- 松本
- みんなね、誰でも自己嫌悪はあるわけでしょ。
それって、影の部分じゃないですか。
でも、光だけじゃ絵は描けないわけですね。
じゃあ、絵を描くためにはどうしたらいいかっていうと、
真っ白いところに黒いところを作って、影を作る。
だから、花を描こうと思ったら花の影を描く、
ということにある時気づきました。
マイナスのことを書きながら、プラスを表現するんです。
- 糸井
- それは、はっぴいえんど時代にはわかってましたよね。
その頃って、「詞は俺の仕事だ」というのは
どうやって決まったんですか。
- 松本
- 細野さんが「松本は詞を書け」というふうに。
当時は何を考えて言ったのかわからないんですよね。
いま聞いてみると、いつも本を読んでるからとか、
文学青年だからって言うんです。
でも、細野さんだって自分で詞は書いてるんですよ。
お世辞にも上手いとは言えないような‥‥。
- 観客
- (笑)
- 松本
- 当時の話ですからね、当時(笑)。
今は、細野さんは素敵な詞を書いてますよ。
僕だって最初は大して上手くもなかったはずなんです。
そこを細野さんに乗せられて。
- 糸井
- すごい耳の奥が痛い(笑)。
いや、たぶん大学生時代って、
それぞれに大欠点だらけの詞を書いてたはずなんで。
- 松本
- そうそう。
それで、見せっこするわけですよ、
その時に「これは使えるな」と思ったのかな、
細野さんは本当に天才のプロデューサーだから。
何が天才かは、よくわからないんですけど
とにかく天才なんです、会った時から。
細野さんと初めて会ったのは、
原宿のコンコルドっていう喫茶店だったんですが、
最初から、この人は天才だと思った。
- 糸井
- えっ、大学で会ったんじゃないんですか?
- 松本
- 大学じゃないんですよ。
僕は慶応で、細野さんは立教だったんで。
- 糸井
- そうか、そうか。
- 松本
- 慶応のメンバーで組んでいたバンドから、
ベースが抜けたんですね。
ああ、困ったなぁと思っていたら、
立教にベースのうまいやつがいるらしいと
噂を聞いて、電話番号を教えてもらったんです。
「松本っていうんですけど、どこかで会えませんかね」って
細野さんに電話をしてみたら、
「じゃあ、原宿のコンコルドでどうですか」って。
- 糸井
- えっ、それって何年ですか?
- 松本
- 1968年。
- 糸井
- ‥‥そのとき僕、コンコルドに勤めてましたよ。
- 松本
- えぇ? ウェイターでいた?
じゃあ、その時いたんじゃないですか(笑)。
- 糸井
- いやあ、今まで一度も会わなかった人から、
コンコルドの話を聞くとは‥‥。
僕は深夜のバイトだったんです。
- 松本
- あ、でもそれは午後でしたよ。
午後4時とか。
- 糸井
- じゃあ、その時にはいないかもしれないですね。
ああ、でも松本隆と細野晴臣は
コンコルドで初めて会ったんだ。
- 松本
- ちなみに、僕と細野さんがコンコルドで会った
大学1年の時に「バーンズ」っていう
アマチュアバンドを作って、
青山のコッチっていうディスコティックで
朝まで生演奏するバイトをしていたんです。
「エイプリル・フール」の1つ前のバンドですね。
- 糸井
- デビュー前のビートルズみたいですね。
- 松本
- ハンブルク時代のビートルズにちょっと似てますよね。
僕らはさ、ギャラがすごく少ないんだけど、
とにかく演奏をしたいわけですよ。
それができたから、うれしかった。
ほとんど毎晩のようにやって、うまくなったみたいな。
- 糸井
- はあ。そこがハンブルクだったんだ。
- 松本
- そうですね。
リズム隊のベースとドラムの感じは
その時に構築できました。
だから「エイプリル・フール」の時には、
けっこう上手にできていたんです。
- 糸井
- 細野さんと松本さんの出会いが、
そのバンドでは重要な歴史なんですね。
- 松本
- そうです。その時にやったのがR&Bだから、
それが発見だったのかな。
リズム隊の中核になったんです。
- 糸井
- バイトとして長い演奏をする場所で、
基礎を身につけたわけですね。
- 松本
- 16ビートの乗り方っていうのを
基礎的に学んだんじゃないかな。
- 糸井
- 松本さんは「バーンズ」の頃には、
まだ詞を書いてはいないんですか。
- 松本
- はい、まだ書いてないです。
(続きます)
2015-10-27-TUE
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN