谷川 |
ぼく、80歳になっちゃったんですよ。
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糸井 |
うすうす噂は聞いて‥‥
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谷川 |
80になった感想をよく人に訊かれるんだけど、
べつにありません。
むしろ他人が
わたしが80歳になったことを
どう受け取っているか、
訊きたいんですけど。
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糸井 |
はなっから質問ですね(笑)。
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谷川 |
はいはい、
『質問箱』ですからね。
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糸井 |
じつは、ぼくはすでに
谷川さんのことを
「ざっと80歳くらい」だと思ってたんです。
だから、そんなに驚いてなくて。
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谷川 |
そうか、でも、この間会った
小学生よりか、ましですね。
その子は「あっ、生きてる」って言った(笑)。
ところで糸井さん、歳くうと、
欲望がだんだん薄くなっていきません?
ぼくはあきらかに減退してます。
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糸井 |
いやぁ、わかります。
谷川さんはぼくよりちょっとおにいさんなんで、
「減退」の程度は
少し違うような気はするんですが‥‥。
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谷川 |
たぶんね(笑)。
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糸井 |
はい。
ただ、思うのは、
自分がうれしいことが、
あんまりうれしくなくなりました。
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谷川 |
ほんと?
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糸井 |
例えば、
「どこどこにうまい餃子屋さんがあるよ」
「行こう行こう、食べよう」
といって食べたとき。
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谷川 |
はい、食べたとき。
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糸井 |
むかしだったら
「うまい! おかわり!」
と、なってたんですけど、
いまは、食べて「おいしいね」という
喜びはそんなにありません。
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谷川 |
それよか、一緒に食べてる人が
おいしがってるのがうれしいんでしょ。
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糸井 |
そうなんです。
人がおいしがってたりすると、
ものすごくおいしいです。
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谷川 |
人の喜びが、自分の喜びに
なってきたということですね。
それは、ぼくもそうです。
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糸井 |
なんですかねぇ。
‥‥こんなになるとは、思わなかったですね。
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谷川 |
やっぱり、
人格がよくなってるんじゃないですか、
お互いに。
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糸井 |
そうかもしれませんね(笑)。
いや‥‥逆にいうと、他人の体まで
自分として扱ってるのかもしれませんよ。
つまり、自分の欲望の範囲を
広げているというふうにも言える。
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谷川 |
ああ、なるほどね。
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糸井 |
悪い言い方をすれば、
君たちは俺だぞ、という
たいへんわがままな‥‥
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谷川 |
わがままですねぇ。
だけどそれ、
人類の理想じゃないですか。
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糸井 |
そうでしょうか。
やっぱり、歳取ると欲深くなるのかな。
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谷川 |
そうねぇ、どうなんでしょうね。
欲深さについてもそうなんだけど、
最近は、郷愁ということについても
ちょっと考えるところがあったりして。
つまり、車でも何でも、
なんだか古いもののほうに
興味を示したりします。
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糸井 |
郷愁といわれてるものは、
とてもいい意味で、間違った思い込みの
塊ではないか、とぼくは思うんです。
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谷川 |
うん、なるほどね。
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糸井 |
たとえば新幹線や車が取り入れる「流線型」。
あれは、科学的にデータを取って形をつくります。
ところがむかしの人の考えた流線型というのは、
どちらかというと
データを元にしてるんじゃなくて、
イラストレーターによって描かれた線でした。
それは、ほんとうの流線型としては
間違ってるわけです。
その間違った思い込みこそが、
ぼくらが自然と接したときの
感動なんじゃないでしょうか。
ところが、このところ、
ぼくらの思い込みが
科学の「正しいこと」に負けちゃった。
そのことが、どこかでもう一回ぼくらを
掘り起こしてるんじゃないでしょうか。
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谷川 |
うーん、「正しいこと」ねぇ。
なんだかぼくには
21世紀の文明が
科学に頼りすぎている印象があります。
経済学まで科学に頼って失敗してるわけだけど。
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糸井 |
科学というものも、ほんとうは
あるジャンルにすぎないのだと思います。
たとえばむかしの人は、スポーツを
音楽とおなじくアートとしてとらえていたし、
科学も錬金術も魔法も、
横ならびだったでしょう。
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谷川 |
きっとそうでしたね。
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糸井 |
出身地はおなじだったのに、
知らないうちに枝分かれしちゃった。
そして、科学と芸術が
「敵味方」のようになっていく。
長いこと人類が抱えてた
「謎なもの」が、
ないことにされていって、
それがちょっと癪にさわるというか‥‥。
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谷川 |
でも科学は科学で、
「粒子」とか「波動」なんていって、
究極の謎に向かって
一所懸命がんばってるでしょ。
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糸井 |
なるほどなぁ、そうですね。
科学は科学で、どこまでもいくと、
カーブを描いて
ついには宗教のほうにまで
戻ってくるのかもしれないですね。
(つづきます) |