谷川 |
科学が突き進むだけ突き進んだ場合、
ついには芸術や宗教のほうに行かないと、
解決のしようがないのかもしれないですね。
もしかすると、いま、
「ダークマター」とか「ダークエネルギー」と
呼んでいるものが
思いがけない次元で、宗教と結びつくのかも。
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糸井 |
昔の人が直感的に知ってたこと、
大昔のお経に書いてあったことが、
科学が行きつく先に、ほの見えたり。
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谷川 |
そうなんでしょうね。
そこに行き着くまでの地点にいるわれわれは、
むかしの人が直感的にとらえていた能力を
失っています。
論理的な思考のようなものが
いちばんだということになって、
直感力をどんどん失ってきてると思うんです。
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糸井 |
調査分析して
「◯◯◯のはずだ」と類推したほうが
当たりをひく確率は増えるんだけれども、
類推したから必ず当たるかっていうと、
そうじゃないわけで。
いちばんおもしろいことというのは、
やっぱり、
わかんないことを混ぜたおもしろさだと思う。
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谷川 |
もう、絶対それはそうですよね。
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糸井 |
谷川さんのような
詩人のなさってることは、
まさにそれですね。
自分でもよくわからないことを
書いてるわけでしょう?
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谷川 |
はい。たとえば、書き終えて
「えっ、これ俺が書いたの?」
ということも何度かある。
糸井さんにもそういうとこあるんじゃないの?
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糸井 |
ぼくはもう、まさしくそれです。
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谷川 |
やっぱり‥‥糸井さん、
もしかして、もと詩人。
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糸井 |
ぼくは、これから詩人になろうかなと。
さっき、楽屋で思ったところで‥‥。
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谷川 |
これから‥‥。
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糸井 |
ええ。
「もう詩人になるわ」
って、さきほど周囲に宣言を(笑)。
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谷川 |
糸井さんって、基本的に
すごくリアリストで
散文的な人なんだけども。
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糸井 |
そうです。
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谷川 |
まだらで詩人の血が混じってる。
そこがぼくのすごく好きなとこです。
自分でちゃんと意識してます?
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糸井 |
結局、ぼくは
起承転結の人間じゃないので、
その意味では、詩の領域の血が
まじってるんでしょうね。
大事にしてるのは、やっぱり
「わからない部分」です。
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谷川 |
たぶんそうですよね。
そりゃもう、
理詰めでできることじゃないもの、
「ほぼ日」なんて。
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糸井 |
そうですね。
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谷川 |
広告業界にいるときには、
そういう意識はありました?
「散文」と「詩」というふうに分けるとすると、
実用は「散文」の世界ですよね。
でもコピーは、
どっちかっていうと
「詩」のほうに近いんじゃないでしょうか。
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糸井 |
役割と、商品としての価値は
「散文」に近いものだと思います。
「なんぼや、くれ」
と言われたものを売ってるわけですから。
ただ、効き目は「詩」の側です。
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谷川 |
日本人の持ってる
詩に対する感性って、
やっぱりすごく大きいですね。
みんなけっこう詩的なものに敏感です。
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糸井 |
もう、敏感ですねぇ。
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谷川 |
糸井さんは、コピーの仕事では、
これならいけるだろう、
なんていうふうに思って
書いてらしたんですか?
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糸井 |
うーん。
これは逆にぼくが谷川さんに
訊いてみたいことなんですが‥‥
つまり、どう言ったらいいのかな、
どうやら、受け手としての自分というものが、
いるんです。
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谷川 |
あ、うん、うん。
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糸井 |
書き手なのか受け手なのかわからない状態で
「いいぞ!」と、
書けた途端に思えてる、というか、
書ける直前に思えてる、というか‥‥。
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谷川 |
うん、うん、うん(大きくうなずく)。
それは、ぼくもそう。
きっとみんなそうですよね。
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糸井 |
うん、ですよね。
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谷川 |
ぼくの場合、
パソコンの前で詩を書こうと思ってるときは、
できるだけ言葉から離れようとしています。
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糸井 |
ああ、なんとなくわかります。
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谷川 |
自分の潜在意識の中にある、
なんかわかんない、
もやもやしたものを大事にしていると、
ぽこっと言葉が出てくる。
そのときは「書き手」なんですよ。
だけど、パソコンのディスプレイでそれを見ると、
途端に「受け手」になるんですね。
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糸井 |
なりますね。
それ、瞬間的にそうなるんですよね。
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谷川 |
そう、完全に瞬間ですね。
受け手と書き手を
すごい速さで行き交って、
それで、書き手のぼくが
フィードバックされたものを直していく
という感じがします。
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糸井 |
わかります。
それで、勝つのは、どっちなんだか
わかんないんですね。
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谷川 |
わかんないですね。
(つづきます) |