ほぼ日事件簿・こんなことでした |
【新農業への導火線】 昨日は、松屋銀座地下2階での 「SKIP」開店のニュースが、 ワイドショーや主要紙で、すぐに報道されました。 永田照喜治さんやdarlingが臨席の記者会見でも、 「スシ詰め」に近い、100人ほどの報道陣が控えてたので、 経済としての「農業ニュースバリュー」みたいなものを、 直接、感じたんですよねぇ。 ・・・ところで、みなさんは、 5月11日の『日本経済新聞』、読みましたか? 「戦後ずっと、株式会社の農業参入は 法律で禁止されていたが 2005年をメドに、構造改革特区内のみに限り、 株式会社の農業参入を認めると農水省が決定」 一面のトップに掲載されたこのニュースは、 実は「戦後農業を縛っていたひとつの壁」が 崩れたっていう、大きな意味あいを持つものなんです。 「戦後すぐにデキた農地法と農協法が、 農村の販売流通を鎖国社会のように縛りあげ、 さらに農村に対して、 国から莫大な補助金が投入されていったわけです。 戦後すぐはまだ農家の人口が八割もあったし、 国から、何でもかんでも保護されすぎたんですよ。 競争をしなくてもやっていければ、誰も努力はしません。 農家から、いいものを作る意欲が失われていきました。 一生懸命にいいものを作るより、 補助金をもらって適当に農作業をやっているほうが、 農家は儲かったわけです。 これでは生産の現場に競争の風が吹きません。 当然、悪循環が生まれました。それが今に至ってます。 それを、変えたいんです」 永田照喜治さんが、取材のラストのほうで、 「農業の構造改革をしたいんです」と言った内容は、 現場のマイクの調子が悪かったこともあって、まず、 ほとんどのメディアで、取りあげられてないと思います。 でも、その発言って、 今のように、「株式会社参入」をはじめ、 全国の農業の構造が変わりかけている時には、 けっこう、重要なわけでして。 おいしい野菜の育て方と、 農業の産業としての改革を、 最初はたったひとりで、各方面から脅されながら 55年前から、がんばってきたおじいちゃん。 それが、永田照喜治さんという人なのですから。 ぼく(木村)は、そのおじいちゃんから ここ数ヶ月間、何度も聞き続けてきた内容を、 いろいろと思い出しつつ、ちょっとジーンとして、 銀座の記者会見場から「ほぼ日」に戻ってきたのでした。 ・・・ま、永田さんご本人とは、昨日も、 「今朝飲んだ、あすこのコーヒーはおいしいよ木村さん」 「今度、夏に、高知県のどこそこで一緒に呑みましょう」 と、記者会見後も、いつもながら ただ単に、具体的な話をするだけだったんですけどね。 「ほぼ日」が作る『永田農法本』のほう、今も がんばって作ってますので、もうしばらくお待ちください! ・・・って感じの、SKIP開店日の「ほぼ日事件簿」でした。 (「ほぼ日」メリー木村より) |
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2003-05-15-THU
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