ほぼ日事件簿・こんなことでした |
(国境なき医師団の展覧会について取材してきました。 3年半前に「ほぼ日」でインタビューをしたり、 なにかとおつきあいのあった「国境なき医師団」が、 展覧会をやるというお知らせがありました。 さっそく、それについてお聞きしてきました。 ちょっと長くなりますが、 ゆっくりとお読みください) 【海に石を投げこむかのように】 「誰かの役に立ちたい」ということは、 やっぱり誰でも思うわけだけど、 「役に立ちなさい!」 「役に立つべきだ!」 と居丈高に言われると 意地でも立つもんかと思ってしまう……。 そういうんじゃなくて、なんか、 ごく自然にできることをやってみようかと うすうす思っていた時に、かつて「ほぼ日」は、 「国境なき医師団」への募金をおこないました。 これが、3年半前のことです。 その時に「国境なき医師団」の人にきいて 印象的だったのは、次のような言葉でした。 ●「これまでも失敗をいくつか重ねておりますから、 かわいそうだからといっても、 何も考えずに動いてはいけません。 政治的な状況を把握してから動かなければ、 結局は、自分たちが 利用されてしまうことになりますので。 もし、そうだったとしても、外から見たら かわいそうなひとを助けているとなりますが、 実は現地の政府に利用されていたりして、 人道援助団体が動くことで、 結局は戦争を長引かせているだけの時もある。 そこのところは、 リアリスティックに判断をします。 どんな条件でも人を助けにいくことはできません」 医療援助であっても、医療に専念しているだけでは、 政治的に、利用されるだけになってしまいかねない。 そういうジレンマの中、何から手をつけたらいいか、 何がどうなっているかわからない地域に向かうけど、 政治や平和のための活動団体ではないので、 「政治のことは、各国政府が解決すべき」という、 割にむずかしいスタンスを取っているわけなのです。 ●「現地に医師が行ったとしても、 家を手配したり、契約を結んだり、 医薬品を保存する冷蔵庫を手配したり、 電気が切れたら、もとどおりにしたり…… そういうことをしていると、結局は 緊急医療活動には専念できなくなるために、 ロジスティック(物質・技術管理)を充実させ、 組織化、効率化をはかってきました」 国境なき医師団は、物質面に重きをおいている、 と、当時、取材をさせてもらった人は、語りました。 医師とは別に物資調達要員がちゃんといて、 通関済みで、24時間以内にどこにでも送れるような 目的別に「難民用」「コレラ用」とキット化された 医薬品が、国境なき医師団の倉庫に揃っている──。 飲料水の確保については、こんな話もききました。 ●「国境なき医師団は 飲料水の確保に特に力を入れています。 飲料水は、非常に重要な役割を果たします。 94年にルワンダで虐殺が起きた時に、 大勢の人が難民キャンプに集まっていたのですが、 それは非常に不衛生なものでした。 狭い場所に、多くの人たちがいて、 そういう時に医者が医療活動をしても、 どんどん人が死んでいくだけなんです。 飲料水もなく、不衛生で伝染病が発生するから。 密集していますので、 伝染病があったら、一瞬で感染します。 ひとりひとりを治療してても、 やっていけないというかたちですから、 だから、ルワンダの時にも、 最初に物資調達要員が派遣されました。 井戸を掘って水道をひいて……。 実は、最初にいちばん重要なものが、 飲料水の確保だったりするのです。 それなくしては、どんなに力を入れても、 ちょっと無駄だというところもありますので」 現地の医師団については、次のようにきいたのでした。 ●「現地にいるボランティアは、 医療関係者でしたら6か月のあいだで、 ひとつの援助の責任者はだいたい1年従事します。 けっこう、入れ替わるのが、はやいんですよ。 だから、その間に従事した人が 現地で得た知識をなくさないために、 ガイドラインをしっかり作っておきます。 それまでの人たちが経験したことは、 書き残さないと残らないので、 常にガイドラインを再発行していくんです。 援助参加期間の短さは、重要なんです。 と言いますのも、国境なき医師団は、 長期援助の得意な団体ではないんです。 長期援助をするには、どうしても 2年や3年と現地にいる必要があるので、 たしかに、6か月で入れ替わることは、 期間がはやすぎるという面も、あります。 しかし、紛争地域は、異常な状態ですので、 あまり長くいて、慣れてしまうのは、 危険なことになるんです。 感覚が麻痺する、というか……。 フランスから現地にきた医師が、 前に話してくれたんですけれども、 彼は何か、ソマリアかどこかの 内戦のとき活動をしに行っていたそうです。 すでに何か月もいた状態の時に、 現地に着いたばかりの医者と一緒に 手術をしていたんですって。 そうしたら、急に攻撃を受けたらしいんです。 みんなは当然、『あ!』と言って伏せたんですよ。 それなのに、彼は、『何だよ、弾くらい』と ケロッとしていたそうです。 その時に、はじめて、 この地に長くいすぎて、 危険の感覚を失ったということに、 彼は非常にあぶなさを感じたそうです。 ほんとうだったら、自分も伏せるべきだったのに、 『あまりにもこういった日常に慣れてしまって、 当たり前になってしまっていた。 でも、そういう態度を取る自分が、 この地では、一番危険で間違っていた』 と言っていました。 紛争地域に長く留まることは、 精神的にも、ボランティアにはよくない、 というのは、確かなんですよね。 やはり、そういった地域で活動をしていたら、 危険を感じる必要がありますので。 例えば責任者であれば、危険を感じたら、 どこかに避難をさせることなどが、必要です。 やっぱり、ボランティアなのですから、 危険が近づいたとわかったら、 避難や撤退の指示を出す必要があります。 だから、 危険に敏感でなければならないんですよね。 この点は、とても大事だと思います」 何が助けることにつながるのか? 問題が山積みの中で、何を優先したらいいのか? 今、何をすればいいのだろうか? ボランティアというものには、 参加する前も、した後も、 結局は、限られた時間と人材と費用の中で、 何をするのが最善手なのかという 問いが、そのつどつき刺さるのだろう。 取材をした時、 そんなことを思って話をきいていました。 難民として苦しむ人や、 紛争地域の苛烈さを想像するとしたら、明らかに、 どこだって、誰だって、「たいへんで緊急」のはずだ。 先進国に暮らしてさえ、次元はもちろん違うけれども、 「たいへん」で「耐えられない」という苦しみは多い。 海にひとりで石を投げこむような徒労感を 抱かざるをえないのが、人道援助なのではないか…… 取材をした3年半前、そんなことを思っていました。 そして、最近、 「ほぼ日」に届いたプレスリリースが目につきました。 「国境なき医師団」が、展覧会をやっているとのこと。 久しぶりに、短時間、話をきかせてもらおうと思って、 広報の人に連絡をとり、話をうかがってみたのでした。 啓発されたいとか、 今こそ活動をとか思っていたわけではありません。 こちらが知りたかったことは、 「時間をかけて何かをやっている団体」が、 数年後、どんな雰囲気になったのかだけなのでした。 当時、話をうかがった 広報の人はすでに退職されていて、 今回話をきいたのは 国境なき医師団に入って2年目の方。 前回にきいていた 「人材の流動が激しい」 ということを実感しながらも、 目の前の人の話をきいていたのでした。 談話を、すこし長めに、紹介いたしますね。 ●「この展覧会は、国境なき医師団を 知らない方のためにデザインされています。 ですから広い場所で豪華でやるのではなく、 『この、目の前に現れたものは何だろう?』 と、通勤の人たちで混みあう場所や、 人通りの激しい往来に、すぐに、そのまま、 入りこめるような展示方法を取っています。 募金目的で開かれるイベントではありません。 避難民というと、 おなかがすいてやせた人が ぎゅぎゅうづめで 暮らしているとお思いでしょうし、 実際にそうですが、 ただ、難民キャンプに来ることができた人達は、 まずは命が保証されて助かる人でもありまして。 最低限ですが、 水も食料も医療施設もあるわけです。ところが、 そこまで辿りつけない人が想像以上に多い……。 この展覧会では、実際に現地で 国境なき医師団に ボランティアとして参加した人がガイドになり、 難民キャンプの施設や器具を説明しながら 現状をありのまま説明する趣向になっています。 避難民の方々は、もちろん苦しい現状を 日本の人に語ることなんてないわけですけれど、 ボランティア活動をした人たちは、見ています。 ただ、その目撃情報は、伝えないかぎり、 日本の人に届く機会はほとんどありません。 ツアーガイドという仕事そのものは、 もちろん、誰でもセリフを憶えれば できてしまうものなのですけど、 『これを使った時には、 こういうことがありました』と、道具を 実際に使った人が話す声は、届くと思うんです。 展覧会にはパネル解説もありますけど、 ガイドの話を聞いていただいたほうが、 外に出た時に、 『やっぱり見ると聞くとでは違うなぁ』 と帰れるのではないでしょうか。 この展覧会を通していいたいことも、 『こういうことがあると、 知って帰ってもらいたい』 ということだけなんです。 知らないことが多いから。 たとえば、 いま起きている スーダンのダルフール地方の紛争は、 もう、難民たちは いつ自分の村に戻れる日が来るか、 まったく想像がつかない 泥沼状態がつづいています。 ところが、そんな地域にさえ、 援助に入った団体は、 去年の12月の時点で 『国境なき医師団』だけでした。 新聞に出てくるようになったのも、 つい最近なんです。 なぜそうなるかというと、 国益に関係がなかったり、 『スーダンって、 もう10年も内戦しているじゃない?』 という感じで 事件として取りあげられないからでして。 取りあげられない事件を知るすべは、 ありませんよね。 しかし、非武装の民間人が、武装民兵に追われて 数万人という単位の人たちが 砂漠の中を逃げている…… 水も家もないその人たちを、 放っておくかどうなのか。 報道されず、 NGOその他の機関も入らない地域なら、 『国境なき医師団』は、 自分たちで伝えるべきと考えて、 だからこの展覧会では、 新聞ではなかなか見られない、 スーダンの写真も、多く、展示しているんです。 ナマの最近の写真なので、 伝わるものが多いと思います。 『国境なき医師団』にしても、 ノーベル平和賞を取った団体らしいだとか、 人道援助をしている医師たちの 集まりらしいとか、そのぐらいしか、 わかられていない現状は知っています。 もちろん、ご寄付をくださるかたが沢山いることで 支えられていますが、継続的な支援がないと、 やはり、私たちの活動は、つづかないわけです。 難民キャンプ現地の よくある状況としては、はじめには、 短期的に援助が来るから、 それはもちろんいいんだけど、 メディアの注目が去ってからは、 援助団体がひとつ去りふたつ去り、 というふうにだんだんといなくなる、 というような…… 住んでいる人は、 はやりすたりがあろうがなかろうが、 そこで生きていかなければならないわけですから、 理解を伴った人道援助の必要性を感じてるんです。 ボランティア精神といいますと、 身銭をきって、お金をもらわず手をかす、 というような印象がありますが、しかし、 自己犠牲を払うということではないんですね。 悲壮感を持ってやっていると、 長つづきしないわけです。 もちろん、持ちだしこそないし、 最低限の生活は保障されていますが、 贅沢はできません。 『時間と力を ささげると決めたのは自分なんだから』 と自ら決意して参加する。 そういう押しつけがましくない援助を、 それぞれの人が、それぞれの人生の ある限られた時期を人道支援に捧げる。 そういう裾野の広がりがあるほうが 健康的だと思います。 最小限の人数で、最小限のお金で、 最大限の活動をしたいものですから、 現地での医療活動はタフなものなのですが、 世界じゅうから、若くともおとなというか、 自分の足で立っている人が 集まっていて刺激的です。 若いお医者さんや看護師さんなら、 医療従事者としての 何十年かのうちの少しの期間を、 『国境なき医師団』に参加し、 現地の援助の必要な人たちに ささげることができたら、いいなぁとは思います。 もちろん、ぜんぶささげてくれとはいいませんし、 まだまだ日本では医師の復職が難しかったりする、 といったことは知っているのですけれど、 社会に人道援助が広く理解されるようになって、 『何か月か、いってきたよ』 という人がまわりに増えれば、短期だとしても、 それはいっただけのことは ある結果が生まれるでしょう。 私は広報として働きはじめて、2年目です。 『国境なき医師団』の現地からあがってくる ニュースを仕分けして、メディアに送ったり、 インターネットに載せたりするのが仕事です。 前職は、TBSのCBSイブニングニュースという アメリカの番組の日本語版を作ることでしたから、 先進国のニュースを扱わなくなっただけで、 あんまり、やっていることは変わらないんですね。 どういうニュースが拾ってもらえるかどうかは、 14年間、その番組の日本語訳を作っている間に、 とてもよくわかりましたから、はじめに 『国境なき医師団』に関わりはじめたときには、 『日本に近い国のほうが、 関心を持ってもらえるのではないか?』 『アフリカについてのプレスリリースを 出すだけでなく、 バラエティに富ませるべきでは?』 そんなことを考えて 広報をしていたところがありました。 ところが……その考えは、途中で変わりました。 やっぱり、どう考えても、 『国境なき医師団』が いちばん多く活動している国々は アフリカにあるし、 活動の中心はそこにあるんです。 だったら、どんなに反応がにぶくても、 にぶいからこそ、 アフリカで起きていることを 伝えなきゃいけないかなぁ、 と、そういうふうに考えるようになったんです。 手近なニュースから売ろうとしなくてもいい。 興味を持ってもらえなくても、 興味を持ってもらえるまで、 どうしてもスーダンがだいじなんだと 『国境なき医師団』が 最優先にしているニュースを、 伝えるようにしています。 いまは、それが伝わるための 模索の最中というところです」 つまり、 「つづけることが大事なんです」ということを、 新陳代謝の激しい組織にいる人にきいたわけです。 誰もが、何かに力をそそぐことのできる時期は 限られているのかもしれないけど、それでも何でも、 その「何か」の方は、中身が変わりながら続いてゆく。 1度だけおとずれた場所で再度話をきくとどうなる? そんな気持ちのままに、3年半ぶりにおとずれて、 きれいになって規模が大きくなった事務所で話をきき、 なるほどこういうことかと、不思議な気持ちになって、 国境なき医師団をあとにした、1つの地味な取材でした。 (この取材は「ほぼ日」の木村俊介がおとどけしました)
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2004-10-11-MON
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