ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 気仙沼 斉吉商店 篇
第3回 気仙沼に麺を復活させる!
── 丸光食品さんとしては、これから、
どのような復興計画をお持ちなんでしょうか。
茂さん 沿岸部にはこだわらず、
一日でもはやく、あたらしい工場を建設して、
以前のような状態に戻したいです。
── なるほど。
敬子さん でもね、わたしたち、震災後はまず
麺の「仕入れ」からはじめたんです。
── 仕入れ‥‥というのは、
別の業者さんから麺を仕入れて、販売する?
茂さん そうです。
── そういうことって、やってたんですか?
茂さん やってないです。‥‥やってないんですけど、
わたしが
同業者から麺を仕入れようと思ったきっかけの
できごとがありまして。
── それは?
茂さん 気仙沼の市立病院には
全国からお医者さんが応援に駆けつけてこられ、
被災されたかたも
どんどん運び込まれていたんですね。
── ええ、ええ。
茂さん その市民病院の食堂のかたから、
とりあえず「ごはんもの」しか出せないんだけど、
麺類もほしいって
みなさんから言われるんだって話を聞いて。
── そうか、気仙沼の麺類の流通については
丸光さん以外に相談しようがないから‥‥。
茂さん それだけに、申しわけないと思いました。

うちが商品を作れないために、
気仙沼の街に、麺類が、出まわらない。

そこで、すぐに同業者に連絡を取って、
こういう事情で
商品を製造できないんだけれども
何とか協力してくれませんかとお願いしたら
こころよく応じてくれたんです。
── はー‥‥。
茂さん 震災後、はじめて麺を配達できた日は、
「ラーメン、再開しましたー!」
とかって言って、
もう、大々的に宣伝してくれて(笑)。
── うれしいですね!
茂さん 何百食が、すぐに完売したみたいです。
── 求められていたんですね、麺‥‥。
敬子さん それもあるんですが、
私たちも住む場所がなくなってしまって
今、両親と一緒にいますけど、
家族、ぜんぶで8人いるんですね。
── ええ、ええ。
敬子さん 1日3回、ご飯を炊けないです、8人分。
── そうか、そういう意味でも、
ごはん以外の選択肢がないってことは
不都合なんですね‥‥。
茂さん ですから、気仙沼の復興のためには
製麺業者としての
社会的な使命も果していかなければならないと
つくづく思いました。
── 再建という意味では、
工場はあたらしく建設することはできますけど、
麺をつくってらっしゃる
二代目の栄一さんがご無事だったのが‥‥。
茂さん それはもう、本当に。
敬子さん 丸光の麺は、二代目の父が、
夜中の2時から毎日、つくっていましたので。
茂さん 季節や気温、湿度しだいで、
大げさな話でなく、その日その日によって
水の分量とかが変わってくるんです。
敬子さん そこを「職人の勘」と、あの「分厚い手」で
つくってきたんです。
── けっして機械では取り替えのきかない、
丸光さんの、かけがえのない財産ですね。
茂さん ことし、父は76歳になるんですけど、
あと10年は頼むよって
お願いしてるところなんです(笑)。
── ちなみに、
スープの味をお決めになってるのは‥‥。
敬子さん それは、わたしです。
茂さん ぼくなんかみたいな男の味覚だと、
どうしても塩っ辛い感じになってしまうんです。
敬子さん わたしには専門知識がないから
主婦感覚で
まず「食べて、美味しいもの」じゃないとダメ。

あとからスープの成分を聞くんですけど‥‥
ま、成分を聞いても、わからないし。
── でも、それって「美味しい」にたいして
いちばん正直な感覚で、
お決めになってるってことですよね。
敬子さん 私、もともとラーメン嫌いなんですよ。
── ええっ!
敬子さん 嫌いというか、そんなに食べないほう。
── それでよく、製麺業者さんのお嫁さんに‥‥。
敬子さん たまーにラーメン屋さんには入りますけど、
つゆを最後まで飲んだことなんて、ないし。

でも、うちのだったらぜんぶ飲めるんです。
茂さん つまり、自分が飲めるスープをつくったんです。
── なるほど、なるほど。
敬子さん だから、東京のデパートの催事などに行くと
ふだんはラーメンを食べない
ご年配のかたに、けっこう人気があるんです。
── 栄一さんが麺をつくり、
敬子さんがスープの味をたしかめて、
茂さんが全体を統括して‥‥
本当に、
ご家族の手づくりでやってこられたんですね。
茂さん そうやってつくってきたうちの商品を、
また、ぜひ紹介したいんです。

地元の商材を使って、他のと差別化をはかって
やってきました。
これからもその延長線上で
気仙沼の復興に貢献できると思っていますから。
── はい。
敬子さん 丸光食品は、かならず再建します。

いま、仮にですけど、
11月1日オープンと目標を決めているんです。
── 11月1日、ですか。
茂さん というのも、11月1日と2日に
東京ビッグサイトで展示会が開かれるんです。
それに持っていく商品を、つくりたくて。
── おお、すごい明確な目標!
茂さん 工場も設備もデータもすべてなくしましたけど、
培ってきた技は、
身体にしみついておりますので
絶対になんとかなると、信じています。
敬子さん さいわい、
袋の版などは印刷屋さんに残ってますから、
麺さえつくれれば、
また、震災前とおなじ商品はできるんです。
── ぜひ、全国の待ち望んでるファンに‥‥。
オトヤ 手伝わせてください!
敬子さん え?
茂さん はい?
── オトヤさん?
オトヤ 自分、ラーメン大好きなんで、
もし、そういう催事で人手が足りなかったら、
呼んでもらって大丈夫なんで。
敬子さん ほんとですか。
茂さん お仕事は、大丈夫なんですか?
オトヤ 大丈夫っす。

いまお話を聞いてたら、海鮮ふかひれラーメン、
超食べたくなっちゃったんで。
敬子さん じゃあ、ぜひ、お願いします。

ふたりきりなので、いつも人が足りないんです。
ふだんはどこですか、東京ですか。
── おお、具体的な打ち合わせが(笑)。
オトヤ 自分、いつもは表参道なんで。
敬子さん じゃ、ビッグサイトのときは連絡しますから!
茂さん おいおい‥‥。
オトヤ いや、大丈夫です。ぜひ、電話してください。
── たぶん「オトヤの突撃お手伝い」的な
コンテンツが、できるんじゃないかと。
敬子さん 交通費と夜ごはんくらいは、出させていただきます。
オトヤ いや、そんな必要ないです。
── じゃあ、報酬は現物とか?(笑)
敬子さん あ、ラーメンなら、いくらでも。
オトヤ 自分、ラーメンさえいただけるんなら、
それでもう、ぜんぜん大丈夫なんで。
敬子さん ほんとですか? 本気で電話しますよ?
茂さん だ、だいじょうぶですかね‥‥?
── あ、オトヤさんなら、大丈夫です。

‥‥でも、敬子さんって
本当に魅力的なかたなんですね(笑)。
敬子さん アラ、うれしい。

でも最近、子どもを学校に送りに行くと
「ひとしくんのママって
 自衛隊なの?」って聞かれるんですよ。
── 自衛隊?
茂さん これが、迷彩の柄が好きなんですよ‥‥。
── な、なるほど、お洋服の趣味として。
敬子さん 「ヒトシ君のママって自衛隊なの?」
「うん、知らなかったの?」とか。
── はー‥‥。
敬子さん 「ヒトシ君のママ、自衛隊なんだってー!」
「うん、そうだよー!」って(笑)。
<おわります>
2011-08-04-THU
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