ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 気仙沼 続・丸光食品 篇
セキュリテ被災地応援ファンドのこと ようやく、新しい工場のめどがつきました。 気仙沼唯一の製麺業、丸光食品さん。 沿岸部に建っていた工場は 機械や資材ごと、すべて流されてしまいました。 それでも、気仙沼の町に麺を流通させるために 同業他者さんから 麺を仕入れて配達するという仕事を続けました。 オリジナルの麺をつくれなくなりましたが、 いつか再建する日を信じて、 商品をひとつも並べられなくても 東京の催事に出たり、地道にがんばってこられました。 工場のめどがついても、まだ資金が足りていないなど クリアすべき問題はあるんですが、 それでも、第一歩を踏み出せることになった 熊谷茂さん・敬子さんご夫婦に、お会いしてきました。 途中、話が派手に脱線してますが、 これが丸光さんの魅力ですから、そのまま伝えます。 担当は「ほぼ日」奥野です。
ようやく、新しい工場のめどがつきました。 気仙沼唯一の製麺業、丸光食品さん。 沿岸部に建っていた工場は 機械や資材ごと、すべて流されてしまいました。 それでも、気仙沼の町に麺を流通させるために 同業他者さんから 麺を仕入れて配達するという仕事を続けました。 オリジナルの麺をつくれなくなりましたが、 いつか再建する日を信じて、 商品をひとつも並べられなくても 東京の催事に出たり、地道にがんばってこられました。 工場のめどがついても、まだ資金が足りていないなど クリアすべき問題はあるんですが、 それでも、第一歩を踏み出せることになった 熊谷茂さん・敬子さんご夫婦に、お会いしてきました。 途中、話が派手に脱線してますが、 これが丸光さんの魅力ですから、そのまま伝えます。 担当は「ほぼ日」奥野です。
── 新しい工場が決まったそうですね!
敬子さん はい、やっと!(笑)
── これからが大変なんだとは思いますけど、
ここへこぎつけるまでに
とても、ご苦労されていましたから‥‥。
敬子さん ええ、いちばんはじめの見積りでは
新しい工場を
ゼロから建てて「3億5千万」でしたし。
── すごい金額です。
茂さん セキュリテ被災地応援ファンド、
たくさんのみなさんに参加していただいて
とてもありがたく、
本当に心づよく感じていました。

でも、製麺の排水をきれいにする浄水槽だけで
「4千万円」かかると言われていて‥‥。
── 丸光さんの工場が
もともと建っていた沿岸部の私有地は
建築制限がかかっているため
土地から探さなければならなかったと。
敬子さん いくつか候補地を見つけたんですが
そこを買って、工場を建てて‥‥の見積り額が
「3億5千万」だったんです。
茂さん ビックリしましたね。
敬子さん ぼーぜん、みたいな。
── ですよね‥‥。
敬子さん しかも、製麺機のお金は「また別」ですから。
── そうか、土地と建物だけの価格で。
茂さん でも、昨年(2011年)12月の終わりに
以前、牛乳工場だった建物が
空いてるって、知り合いが教えてくれたんです。
── それが、先ほど見せていただいた工場ですね。
茂さん もともと牛乳をつくっていたので、
衛生面の設備も万全を期すことができますし、
なにより、
あの地震に耐えた建物ですから。
── 大きくて、見るからに頑丈そうでした。
敬子さん 浄水槽も、ついてるんです!(笑)
── 4千万円かけて、つくらなくっても。
茂さん いちど見に行かせていただいて、
ここからなら再建できる、と思ったので
「ぜひ検討させてください」と。

その後は、とんとんとーんと話が進みました。
── 見つけたのが「12月の終わり」ですから
ものすごいスピードですね。
茂さん 関係するかたがたが
とても素早く動いてくださったおかげです。
敬子さん ふつうは、倍くらい時間かかると思う。
── 本当に、新しく工場を立てるのにくらべたら
時間的にも費用的にも、相当‥‥。
茂さん まだ、資金が足りてなかったりするのですが、
でも、やっと「道すじ」が見えてきました。
── ‥‥よかったです。
茂さん これから工場の改装の工事をすすめて、
製麺の機械を入れて‥‥
なんとか「今年の夏」くらいにまでには
操業をはじめたいです。
── はじめて機械を動かすときとか‥‥。
茂さん ドキドキもんでしょうね(笑)。

もう1年以上ブランクがありますし、
機械だって新しくなるから、
操作や勘所なんかも「ゼロ」からなんでね。
── 丸光さんの麺、復活するんですね‥‥。
敬子さん わたしたちも、楽しみなの(笑)。
── ともかく、これだけ何度もお会いしているのに
丸光のオリジナル麺を
食べたことがないわけですから、
どんな味なのか、妄想だけが膨らんでる状態で。
茂さん まぁ、そんなに派手なものではないですけど、
これまでやってきた商品を、
もういちど、精一杯つくっていくだけです。
── あの「海鮮ふかひれ生ラーメン」とかも
食べられるわけですよね!
茂さん はい、いずれは。
── ほんと、楽しみです。
敬子さん これまでは、「アルバムの整理」とか、
空いた時間に
やりたいこと、いっぱいあったんです。

でも、工場のめどがつくまでは
いくらヒマでも
そういうの、やる気になれなかったの。
茂さん こんなことやってる場合じゃないよな、
という気持ちが、どうしてもね。
── 心の余裕って、本当に大事なんですね。
敬子さん だから、麺がつくれる状況になってはじめて、
少し安心できるんじゃないかなと思います。

お得意さまも被災されてますから、
麺はつくれても
「どうやって売上を確保していくか」という
大きな問題もあるんですけれど。
── でも、まずは、つくれるようになる。
敬子さん はい。
茂さん 本当に、みなさんのおかげだと思ってます。

気仙沼のいち製麺屋を
これだけ、応援してくれるかたがいるって、
本当に、ありがたかったです。
敬子さん でも、麺がつくれるようになったら、
言いわけ言ってらんないし、
そっから先、
またがんばるしかないね、父ちゃん。
茂さん 商品さえあれば、がんばれるから。
── 出資者の立場からしても(笑)、
本当に、うれしいニュースだと思います。
茂さん 将来の見えない不安‥‥というのは、
精神的にも、きつかった(笑)。
── どこへ向かって行けばいいのか、と。
敬子さん けっきょく、会社とか工場がないと
再建しようにも
具体的な行動を起こせないんですよ。
── そのことは、少し感じていました。

昨年11月、うちのオトヤと
東京ビッグサイトの催事のお手伝いに
行きましたけど、
丸光さんのブースには
商品が、ひとつも並んでいなくて‥‥。
敬子さん ええ。
── 人気商品だった
「海鮮ふかひれ生ラーメン」の塩味のつゆを
お鍋ひとつであたためて、
バイヤーさんにお出ししてたじゃないですか。
茂さん はい。
── ですから、いまから思い返すと、
あのとき、どんな気持ちだったんだろう‥‥と。
敬子さん 不安と苛立ち、です。
── 正直、となりのブースの企業には
立派なパッケージの商品が並んでいたりして。
茂さん 会社の先行きが不透明だから、
商談するにも、具体的な話にならないんです。
敬子さん 「麺、つくれるようになったら
 連絡ください」
というような状態でしたからね。
── なるほど。
敬子さん だから、気持ちが落ち込んだりなんてことは
しょっちゅうでしたが
「向かっていくしかない」という気持ちで、
絶対、再建するんだと思って、進んできました。
── はい。
敬子さん あの日も、
「わたしたち
 このスープしかないんですけど!」という状況自体を
逆手にとって(笑)、
みなさんに、足を止めていただいて‥‥。
── ええ、ええ。
敬子さん 集めた名刺の数、トップクラスだったと思う。

<つづきます>
2012-03-21-WED
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第1回 ようやく、麺をつくれる! 2012-03-21-WED
第2回 お嬢さま、8億の借金を返す。 2012-03-22-THU
第3回 強運の人。 2012-03-23-FRI
第4回 みんなの、うどん屋。 2012-03-26-MON
 
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