── |
もうこの際なんで、お聞きしますけども。
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敬子さん |
ええ。
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── |
敬子さんは、茂さんのどういうところを
好きになったんですか?
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敬子さん |
え? どういうところ? うーん‥‥。
一般的に説明してんのは
「価値観がいっしょ」だと思えたから。
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── |
‥‥一般的じゃない理由が、何か?
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敬子さん |
ほら、あたし、昔いろいろあったでしょ。
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── |
ええ、たっぷりお聞きしました。
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敬子さん |
だからね、まわりからは、好きな人ができたら
過去の話は絶対するなって言われてたの。
家出したり、でっかい車を乗り回したり、
大きな借金を返したり、
そんなこと、言わなくてもいいことだからって。
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── |
なるほど。
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敬子さん |
だけど、自分がやってきたことについては
何ひとつ、後悔してないんです。
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── |
はい。
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敬子さん |
だから父ちゃんには、ぜんぶ言ったんです。
そしたら父ちゃん、何も言わなかった。
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── |
はー‥‥。
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敬子さん |
だからわたしは、父ちゃんと結婚しようと思ったし、
卑下してるわけじゃないけど
こんなわたしを拾ってくれたんだから
一生、父ちゃんとがんばっていこうと思ったんです。
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── |
それまでは、東京で会社を経営されていたけど、
気仙沼の製麺屋さんに嫁ごう、と。
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敬子さん |
うーん、製麺屋さんにお嫁に行くという意識は
あんまりなかったんですよね。
父ちゃんと結婚するために‥‥というだけかな。
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── |
つまり、製麺屋さんのお仕事をやるかどうかは
とくに決めずに‥‥ということですか?
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敬子さん |
いいえ。
わたしの目的は、父ちゃんと結婚すること。
父ちゃんと、いっしょになること。
そのために気仙沼へ来たんだから、
父ちゃんが製麺屋さんをやってんだったら、
いっしょにやるのは当たり前です。
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茂さん |
(やや照れる)
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|
── |
なるほど、なるほど。
じゃあ、どっちかっていうと、
敬子さんからアプローチをしてたんですか。
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茂さん |
いや、そういうわけでもなくて、
わたしも、東京に通ってたんですよ。
わたしの場合は
スープラじゃなくて夜行バスだけど。
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── |
プロポーズは、どちらから?
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茂さん |
製麺屋って、年末が忙しいんです。
年越しそばの需要とかあって。
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|
── |
ええ、ええ、なるほど。
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茂さん |
クリスマスなんかやってられないくらいに
忙しいんですけど、
1999年の12月24日の夜に、
仕事が一段落してから
東北道をすっ飛ばして東京へ行ったんです。
もうちょっとで夜中の12時をまわる‥‥
ギリギリのところで、
婚約指輪を渡すことができたんですよね。
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敬子さん |
指輪が、クリスマスに間に合ったの。
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── |
おおー! いい話!
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茂さん |
いやぁ、まぁ(笑)。
で、岩槻のサービスエリアでお茶を飲んで、
次の日、忙しいから
また、気仙沼にすっとんで帰ったんです。
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── |
いま、お話をお聞きしていて、
こんなにも、おふたりの仲がよかったら、
これからの再建も、
絶対に何とかなる気がしました。
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茂さん |
やはり、社会の最小単位ですからね。
夫婦というのは。
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── |
すでに何の取材なんだか
よくわからなくなってきてるんですが(笑)、
素敵な話をありがとうございます。
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敬子さん |
「新婚さんいらっしゃい!」じゃないですよね?
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茂さん |
まあでも、歳も歳なんで、
これからはお互い、身体には気をつけてね。
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── |
そうですよね。
せっかく、地震でも無事だったんですから。
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茂さん |
そう‥‥震災の日ね、
たまたま、東京からお客さんが来てたんです。
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── |
茂さんと、いっしょに逃げたんですよね。
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茂さん |
命からがら、なんとか東京へ帰ってもらって、
わたしたちも、ほっとしたんです。
でも‥‥。
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── |
ええ。
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茂さん |
とても元気のいい人だったんですけど
震災から一月くらい経ったころ、
突然、亡くなられてしまったんです。
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── |
それは‥‥。
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敬子さん |
急なご病気だということで。
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茂さん |
すごくショックでした。
亡くなったと言われても信じられないんです。
だって、わたしといっしょに
あの地震と津波から、生き残った人なんです。
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── |
はい。
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茂さん |
お線香を上げに行きたかったんですが、
震災直後、まったく余裕がありませんでした。
せめて
その人の勤めていた会社にお手紙を出して、
奥さまにお渡しください、と。
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── |
ええ、ええ。
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敬子さん |
そうしたら
その奥さまから、すぐに返事が来たんです。
でね、その封筒の中にね‥‥
震災の「お見舞金」が5万円も入ってたの。
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── |
ああ‥‥。
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敬子さん |
その亡くなられたかたは
「丸光さんのおかげで命が助かった」って
言ってくださってたそうなんです。
だから、
「主人も天国から見ていると思いますので、
再建、がんばってください」って。
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茂さん |
わたしは、いまになって、こう思うんです。
もし、あの日、その人が気仙沼へ来なかったら‥‥
その人を逃がそう、
なんとか無事なところへと思ったからこそ、
会社をそのままにして、出たんです。
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敬子さん |
つまり、父ちゃんも逃げ遅れないで済んだ。
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── |
そうか。
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茂さん |
だから、逆にわたしのほうが
救われたんだって思うようになったんです。
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── |
なるほど‥‥。
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敬子さん |
もし、もしも、ほんとにそうなって、
父ちゃんが、そのときに津波にのまれてたら
わたし、再建しなかったと思う。
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── |
そうですか。 |
敬子さん |
だって、ひとりじゃ何もできないし。 |
茂さん |
だから、
途方に暮れてる場合じゃないんですよね。
何としてでも、再建するしかないんです。
助けられたようなもんなんですから。
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敬子さん |
生かされてるんだよね。
その人にも、
ファンドで助けてくれているみなさんにも。
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── |
うん、うん。
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敬子さん |
生き残った人もいる、亡くなった人もいる。
わたしたちは、幸運にも生きているけど
亡くなった人たちのことを背負って‥‥なんて、
かっこいいことは、言えない。
そんな、大きな力はないです。
でも、立ち上がんなきゃ、いけないんだと思う。
|
|
── |
はい。
|
敬子さん |
これまで、お世話になった人たちに対して、
「一生つきあっていくこと」が
わたしのできる恩返しだと思ってるんです。
それと、心配かけちゃった人たちに対しては
今どこでどうやって暮らしているか、
つねにお知らせして
安心してもらうことが恩返しだと思ってます。
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── |
ええ、ええ。
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敬子さん |
そして、セキュリテのファンドで
うちのことを知らなかった全国の人たちが
お金を入れてくれている。
この人たちに対しても、
一生をかけて恩返しをしていきたいんです。
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茂さん |
自分たちだけでは、
とてもとても、ここまで来られなかった。
いま敬子が言った、すべてのみなさんの
あと押しがあったから、
諦めずに、やってこれたと思っています。
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── |
そうですか。
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茂さん |
だからもう、丸光食品は
「みんなの会社」みたいなもんなんですよ。
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── |
ああ‥‥。
|
敬子さん |
ほんとそう。みんなの、うどん屋なんです。
丸光食品は。 |
|
<終わります> |