ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 陸前高田 八木澤商店 篇
第4回  支援されっぱなしは我慢できない。
糸井 河野さんには、いいお仲間がいるんですね。
河野 「な? やっぱり何とかなったろ?」って。
「だから、理屈じゃねぇんだよなぁ」って。

情熱さえあればどうにでもなる‥‥
みたいなこと言ってるアホばっかりで(笑)。
糸井 西條剛央さんと話したときにも感じたけど、
「ビジョン」と「動機」だなぁ、やっぱり。
河野 地震のあと、われわれが最初にやったのは
「生命の保全」です。
糸井 はい。
河野 次に「仲間の会社80社、1社も潰すな」と。

とりあえず
すべての金融機関のフリーダイヤルをコピーして、
避難所を回り、
同友会の会員だろうがなんだろうが関係なく
経営者全員に配りまくったんです。
糸井 ほう。
河野 つまり、経営者自身が、
直接電話しなきゃ止まんないんですよ。

「フリーズしてくれ」と。
糸井 止まんないというのは‥‥お金か!
河野 そうです。
金融機関からの資金流出を止めたんです。
糸井 はー‥‥。
河野 出を止めて、キャッシュをストックする。
糸井 アホだけじゃないじゃないですか!(笑)
河野 いやいやいやいや、もうそこは。
糸井 ‥‥つまり、リアルですもんね。
河野 まずは「米が抜けてく穴」に「栓」しなきゃと。

そのあとも、
「雇用調整助成金って制度があるぞ」
とか、
「雇用調整助成金って、3ヶ月経たないと出ない。
 その間の給料のキャッシュストックがないなら、
 一時休業という手があるぞ」
とか、
社会保険労務士を呼んできて、勉強会をしました。
糸井 被災地の中で勉強会?
河野 ええ。
糸井 なんにも無くなった状態で‥‥。
河野 だって、自動車学校ですもん。
糸井 あ、そうか。教室があるんだ。
河野 学校、便利ですよ。
糸井 いちいちみごと!(笑)
河野 もう、みんな必死だから
超モチベーション高いんですよ。
糸井 社会保険労務士の先生まで連れてきて。
河野 ま、そいつも仲間なんで
「ヤマちゃん、ヤマちゃん」みたいな。
糸井 社会保険労務士のヤマちゃん。
河野 「ヤマちゃん、
 わっかんねぇんだけどさ」みたいな。
糸井 さっきの保健所の話といい、
これまでのお話って、
ぜんぶ、河野さんたちが地元で培ってきた
「仲間」や「信用」を元にしてますね。
河野 まぁ、そうですね。それがないと。
糸井 はじめて会う人どうしだったら
こんなにスムーズには、いかないよなぁ。
河野 地元のハローワークに
「4月1日から事業を再開するんだけど、
 当面、お醤油をつくることも
 売ることもできないから、
 まずはボランティアを事業内容として
 賃金を払おうと思う」
みたいな相談をしたことがあったんです。
糸井 ええ。
河野 そういう場合は、
さっきの雇用調整助成金は出るのか聞いたら
「出ない」と。
糸井 ボランティアじゃダメなんだ。
河野 でも、その時点では決めてたんで
「いいや、それで給料払うわ」って言って
うちの総務課長が手続きに行ったら、
「はい、八木澤商店さん、
 ボランティアをしていた期間については
 休業していたことにしましょう」と。

つまり、休業中は休業保障が出るんです。
糸井 なるほど!
河野 「八木澤さん、給料全額払うんでしょ?
 9割保障されますから」って。
糸井 はー‥‥。
河野 国は、あとからついてくるんです。
糸井 情熱さえあれば。
河野 アホの、情熱さえあれば(笑)。
糸井 なんて言うんだろう‥‥
まともなことを言ってるってことが通じる、
そのうれしさがありますね。

相手が国であろうがなんだろうが、
人、人、人のつながりで。
河野 ええ。
糸井 いやぁ、恐れ入りました。
河野 われわれアホな連中ですけど、
アホなりに
支援されっぱなしは我慢できないんです。
糸井 ‥‥そうですよね。
河野 やっぱり、この国をよくしていくために
役に立ちたいし、
また同じようなことが起こったとき
オレたちに何ができるか。

自分の街であろうが、よそであろうが。
糸井 ええ、ええ。
河野 そのことを、つねに考えていたいんです。

かっこよく言ってしまえば、
それこそが、オレたちが復興する意味であり、
生きる誇りでもあるんです。
糸井 うん、うん。
河野 そして、今回の震災がその機会だすると、
絶好の機会だと思っています。
糸井 なるほど。
河野 だって、今回の地震と津波がなかったら、
糸井さん、
ぜったい八木澤商店のこと知りませんよ?
糸井 うん、知らない‥‥よなぁ。
それは自信を持って、そう言えるわ。
河野 内閣府の人たちも、国連も来ません。
糸井 東北との人やモノの行き来は、
いま、いちばん盛んになってますよね。
河野 そうなんです。
糸井 怪我をした場所なんだけど、
血行はすごくよくなって、ポカポカしてる。
河野 それは、ものすごく重要なことです。
糸井 まわりに見られてるから‥‥というのは
プラスにはたらくでしょうね。
河野 そのとおりです。
糸井 ぼくは、今回の震災が起きたあと
わりと早い段階で
直感的に「東北に仕事をつくるんだ」って
思ったんです。
河野 ええ。
糸井 でも、現地の「第一次産業」というのは
もともと
徐々に衰退していくプロセスだったわけで、
「東北の復興」という言葉には
「元の状態に戻る」以上の「プラスα」が
必要になるじゃないですか。
河野 まさしく、おっしゃるとおりです。
糸井 その「α」の部分って、何なんだろう?

ぼくらが手伝える部分があるとしたら、
そこだろうと思うんだけど。
河野 自分たちで畑も田んぼもやってましたが、
見学に来る学生さんに、
「今日、みんながやってくれた農作業は
 平均時給150円だけど、どう?
 将来、やってみたい人っている?」
と聞いても、誰一人、手を挙げません。
糸井 ‥‥ええ。
河野 だから、その状態に戻すだけでは。
糸井 ダメですよね。
河野 ダメです。陸前高田では
ほとんどの農地が潮を被ってしまっています。

カキ・ワカメの養殖も全滅しているので、
陸前高田の第一次産業は
そこまで含めて「ゼロ」なんです。

観光地だった松林も壊滅していますから、
本当に産業ゼロ基盤で考えられる。
糸井 「考えなければならない」
じゃなく
「考えられる」んですね。
河野 ですから、
第一次産業の「プラスα」を考えることも
とても重要なことなのですが、
私は、まったく新しい産業の創出が急務だと
考えています。
糸井 それは?
河野 いま、この国全体を眺めてみると
もっとも大きい問題は、原子力政策です。

見直さざるを得ないだろう、という意味で。
糸井 ‥‥ええ。
河野 であるならば、どこかの誰かが
「代替エネルギー」の開発・生産を産業集約して
確立していかなければならない。
糸井 つまり、それをやる‥‥?
河野 はい、クリーンエネルギーの開発です。

グリーン・ニューディールの
原子力抜き版を、陸前高田でやりたい。
糸井 ははー‥‥。
河野 国の政策や特区ができるのを待っていたら、
ぜったいに遅いと思うんです。

だから、われわれ産業人が
これまで、ずっとやってきたやりかたで。
糸井 それは‥‥。
河野 中小企業家同友会をつくったときも
「この指とまれ」でやったんです。

つまり、いままでは
陸前高田の町のなかだけでやってきた
「この指とまれ」を
世界に向けて、呼びかけていきたい。
糸井 なるほど。
河野 それを実現させていくためには、
きちんとビジョンを示さなければならない。

賛同してくれる企業や
大学の研究室などの起業支援施設の誘致も
必要になってくるでしょう。
糸井 ええ。
河野 これと同時進行で
われわれ微生物に関係する産業人が力を合わせ、
微生物によって
放射性物質を無害化できないか、
放射性物質に対する
耐性菌を生み出すことができないか、
研究を進めたいと思っています。
糸井 ほう‥‥。
河野 これは、震災前のことなんですけれども、
釜石の微生物研究所が
うちの「もろみ」を預かっていてくれて。
糸井 震災後、見つかったんですよね。
河野 実は、うちの醤油のアミノ酸のなかから
抗がん剤に使えそうな組成のものが
検出されたりとか、していたんですね。
糸井 へぇー‥‥。
河野 おそらく乳酸菌の一種だろうとの
ことなんですが、
菌が特定できれば、理学的に使えると。
糸井 そうなんですか。
河野 その研究をしてくれていた先生は
北里大学の研究所が壊れてしまったために
失職しちゃったんですが‥‥。
糸井 ええ、ええ。
河野 でも、たまたま私が出ているテレビを見て、
「自分もがんばらなきゃ」と
大学に嘆願して
「もう1年、研究させてほしい」と。
糸井 おお。
河野 いや、それがね、かっこよかったんですよ。
がれきのなかから
コンピューターと発電機を抱えて出てきて。

「先生、今、何の研究やってるんですか?」
って聞いたら
「微生物で、放射性物質を無害化する研究」
って。
糸井 うん、うん。
河野 「この先生を守らなきゃだめだ」と思って
ラジオで話したんです。

そしたら、たまたま文科省の人が聞いてて、
電話で「八木澤さんに、協力します」って。
糸井 はー‥‥。
河野 で、私が具体的に
「北里大学に
 笠井宏朗先生っていう先生がいて‥‥」
と話したら、
「あ、そっちはもう手を打ちました」と。
糸井 これも西條剛央さんの話と同じなんだけど
今って、情熱を持ってはたらきかければ
いろんなことが
ものすごいスピードで繋がって行きますね。
河野 オレたちアホな連中のアイディアですけど、
それに賛同し、
手を貸してくれる人たちは、アホじゃない。
糸井 でも、この「今ならいける」という感じは
どのくらい続くと思いますか?

たとえば、2年とか3年とか‥‥。
河野 そんなに猶予はないでしょう。
糸井 もっと短い?
河野 この国の方針、
つまり「予算が出るまで」だと思います。
糸井 ‥‥ようするに、来年の3月?
河野 はい。だから、今のうちに
どんどん、積極的に情報を発信していこうと。
糸井 じゃあ、今は「やりたいこと」だったり
「やらなきゃならないこと」を
「どれだけ思いつけるか」という場面ですね。
河野 今、八木澤商店では、西日本の大学生を4人、
インターンシップとして受け入れています。

期間は2週間なのですが、
その間に
「この壊滅した陸前高田の町で
 1年以内に起こせる事業のビジョン」を
文章にまとめてもらうんです。
糸井 うん。
河野 それは「事業計画」になっていなくてもいい。

具体的に、こうこうこういった事業で
雇用を生み出すという
思いつきやアイディアのレベルでいいんです。
糸井 なるほど。
河野 そういった若者たちが、
合計3グループ、陸前高田にやってきます。

うちだけじゃなく、
ヒゲのオヤジのところにも行きます。

保健所から「予定」で営業許可証をもらってきた
橋詰社長のところにも行きます。
糸井 うん、うん。
河野 そのなかで、具体性を帯びていると思えるものを
われわれで揉んで、
これはいけるとなったら、もう2週間来てもらう。

つまり、起業家を育成するんです。
糸井 陸前高田で。
河野 創業資金は内閣府から出ます。
これを活用しない手はない。
糸井 いちばん活用できる場所でもあるし。
河野 西日本から来た大学生が
1年後、陸前高田で起業するんです。
糸井 大実験場、になりますね。
河野 ええ、陸前高田を、そうしていきたい。
糸井 ずっと、見てますよ。
河野 アホなりに、やってみますんで(笑)。
<おわります>
2011-09-30-FRI
   
 
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN