翻訳人。
つなげる仕事はおもしろい!

今回もひきつづき
翻訳者の田口俊樹さん
お話をうかがっています。

(右)田口さんが翻訳された、
『獄中記』(アーティストハウス)
作者はジェフリー・アーチャー
『獄中記-地獄編』


「翻訳業で独立するということ」

ほぼ日 「翻訳って、こんなにおもしろかったんだ?」
という発見って、気持ちがよかったでしょうねぇ。
田口 はい。そこからは、『ミステリーマガジン』が、
毎月一本の翻訳をやらせてくれたのですが、
短編の送られてくる日がたのしみでたのしみで。
郵便箱を、一日になんべんも観たりしていました。

『ミステリーマガジン』が、
雑誌の何月号に何が載ったという歴史を
まとめたことがあったんですけど、それを観たら、
僕はその頃五年ぐらい、毎月やっているんです。
六十本は翻訳をやっているはずです。
いろんな作家の文章に接するわけですから、
すごく勉強させてもらった期間だったなぁ、
ありがたかったなぁと思います。

当時は子どももまだちっちゃかったし、
教員もやっていたし、それで
翻訳もやっていたし小説も書いていたわけだから、
いま考えると、よくやったよなぁと思います。
ほぼ日 翻訳が、お好きなんですね。
田口 僕に限らず、翻訳者と話していると、
「コイツ、翻訳好きだよなぁ」
って思うことが多いんです。
翻訳の専門学校でも、
僕は「好きなら続けなさい」とよく言います。
翻訳って、石にしがみついてまでやったって、
そんなに実入りもよくないですから。

ただ、好きでやっていることなら、
成功してもしなくても、
自分として納得ができると思うんです。

自分の名前が本に出たり、
そういうことも
うれしいことではあるでしょうし、
励みにはなるけれど、
そういうことを目的にするより、
「誰に頼まれたわけじゃない、
 自分が好きで翻訳をやっているんだ」
っていうことが、
いちばん大切なことだろうと思います。

翻訳って、すごい時間がかかるわけです。
名前が出るのを
よろこぶことなんて、ほんの一瞬ですよ。
家でコツコツやる時間がいちばん肝心で、
それは好きだからできることだと思うんですよね。
そもそも、仕事の内容としてはかなり地味ですし、
どうしても、毎日、
コツコツやらなきゃ終わらない職業です。
ムラがあったらできないし、
長続きしないですから。
ほぼ日 英語教師から
専業翻訳者になったきっかけは何ですか?
田口 二〇代のおわりで翻訳をはじめたときは、それで
メシが食えるとは思ってなかったんですよね。
当時、四百字詰原稿用紙一枚で、
原稿料は四百円だった。一字一円。
こんなんじゃ、ぜったい食えるわけがないよなぁ、
と思っていたんです。

ただ、十年近く翻訳をやっていると、
本も出るようになる。
その本が売れたりしたときには、
印税ですから、少し、
まとまったお金が入ってきますよね。

「ひょっとしたら、食えるんじゃないか」
という気持ちが、だんだん、大きくなってきた。

ちょうどバブル経済の頃で、
それまで一つの会社としか
仕事をしたことがなかったのに、
ミステリーが流行って、他の出版社からも
注文が来るようになってきていました。

もう一方の教員の方も、かけだしのうちは
授業だけやっていればいいんだけど、
中堅どころになると、
時間割を組んだりとか、会議があったりとか、
雑務や拘束時間が増えてきたり、
仕事の量も増えてはじめる……。
二足のわらじの二つともが忙しくなったんです。

今までのように教員を続けると、
注文のすべてをできなくなる。
でも、ほんとうはその仕事も
受けたいという気になってきました。

そういう時期が二〜三年続いたかもしれませんが、
先輩翻訳者の方から
「年収が逆転したときが独立のときだよ」
と聞いて、じゃあそうしようと思ったんです。
実際に教員と翻訳の年収が逆転したときが
たまたまあったので、
そのときに、教員の方は辞めました。

かみさんも教員だったので
「もし食えなかったら俺が主夫をやる」
と口から出まかせを言ってはいましたが、
サラリーマンしかしたことがなかったので、
不安でしたね。

だから、フリーになってすぐに、
目一杯仕事を抱えこんじゃいました。
手書きでやってたのですが、
がんばりすぎて
極度の肩コリでクビがまわらなくなっちゃって、
もうどうしようかと思いまして。
激痛なんですよ。医者に行ったら、
「何の異常もない。肩コリのひどいやつだ」
とかあっさり言われちゃったけど、焦りました。

俺ってほんとにマジメなヤツだなぁ、
とつくづく思ったんですけどね。
フリーになった当時は、
風邪をひいたりすることさえこわかった……。
まぁ、それは今も変わんないのかもしれないけど。

教師もやっている頃は、
一日に原稿用紙で
五〜六枚できればいいという感覚で
翻訳をやっていました。
高校が夏休みとかに入って、
一日をフルに使えるときは、
十枚をこえたり、二〇枚ぐらい行くかという分量で。
ただ、フリーになった当初に
「一日二〇枚は確保しなきゃ」と思ったんです。
手書きでしたが、実際、その程度は、
やってたんじゃないでしょうか。
その後、ワープロやパソコンを導入して、
分量は更に数倍に増えましたが。
ほぼ日 翻訳の技術的な向上の過程って、
どういうものでしょうか?
田口 同じことを、一人で二十何年もやっていると、
どんな職業でもそうだと思うんですけど、
経験年数によるプロとアマの差っていうのは、
歴然とあると感じますよ。
そういう仕事でもあるから、
たのしいのかもしれません。

例えば、英文としてちょっとヘタな文を、
どう日本語にするかというのは、
ある程度の技術が要ります。
そのときの打開策は、
やっぱりやらないと身につかないんですが、
そのときの言葉の取捨選択なんかは、
慣れると迷わずできるようになると言いますか。
気がつくと
「あぁ、こういう文って、
 昔はもっと悩んでいたよな」

というのがよくあるんです。

翻訳を教えるようになると、
自分の技術の蓄積を再認識しますよ。
翻訳学校で教えていると、その方法で
翻訳のうまくなる人が沢山出るし、
生徒から技術的な質問を聞かれると、
けっこう自分がしっかり答えられているんです。

「何となくそうだと思う」
と応えるのではなくて、ほんとに具体的に
「ここはこういう理由でこうなります!」
と熱く語っていたりする。
自分で自分のことを
「けっこう考えてるじゃん」
と思うようになりました。

一人でやっているときには
無意識に処理していることなのですが、
翻訳をやりはじめた人からの質問を受けていると、
経験による技術の差って、歴然と感じますので。

自分の翻訳の長所は、
全体をパッとつかまえられることだと思います。
言葉を一個ずつ適切に訳すことも
けっこういると思うけど、
一語ずつにこだわるよりは、
全体のムードを伝える
といいますか。

ぼくは、翻訳は意訳ありきだと思っているんです。
直訳からできるだけこなれた日本語に直す方法が
一般的なのでしょうけど、ぼくの場合は違います。

まず意訳を作って、それだけだと
細部がないからつまらなくて、
一語ずつの言葉にこだわるようになって……

そんなふうに進めているところが、
ま、強いて言えば、自分の翻訳の長所だと思います。

  (次回は、また別の翻訳者が登場しますよ!)

2004-01-07-WED

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