翻訳人。
つなげる仕事はおもしろい!
翻訳は最も深く本を読む方法、と村上春樹さんは言います。
訳者後記でチラッと出る以外は、黒子に徹する人たちから、
翻訳という行為を通して見えるものを、聞いてきましたよ。

勉強や研究や執筆に関わる仕事の人にも役に立ってしまう、
それぞれのデスクワーク論も含め、4人の翻訳者の方々に、
ふだんは話さないようなことを、じっくりうかがいました。

今回登場の翻訳人は、
三十年以上もこの仕事を続け、
百冊以上の本を翻訳されている
池央耿さんです。

聞き手の「ほぼ日」スタッフは、
『スティーヴン・キング 小説作法』
(スティーヴン・キング著
 アーティストハウス刊行:右)
に、夢中になってしまいました!
「ほぼ日」の中で、
保坂和志さんや天童荒太さんへの
インタビューが好きという人には、
かなりオススメしたい本なんです。

三十年以上の仕事の中で感じた、
「外国語をあやつることよりも、
 自国語で何を言えるのかどうか」
の重要さを、語っていただきました。
『小説作法』


chapter 8.
「表現は、差異から生まれる」

ほぼ日 スティーヴン・キングの
『小説作法』、 ものすごくおもしろかったです。
『小説作法』は、
翻訳している私にとっても、
非常におもしろいものでした。
あれだけの大作を書き続けるキングが、
驚くほど素直に
自分の手のうちを語っていましたから。
ほぼ日 翻訳の手法とは、どういうものですか?
煎じ詰めれば、翻訳の手法は人それぞれで、
私も「自分のやりかた」しか話せません。
三〇歳になる前から、
「家にいる間は、大抵、机に向かっている」
ということが習い性になっています。

幸い、それがつらくないという性格ですし、
体を動かして遊ぶという趣味もないものだから、
基本的には
「テキストがあれば、それをいじっている」
という毎日ですよね。

「もしも、この作家が
 日本語に精通していたら、
 この文章をどう書くだろう?」
と考えては、一文ずつ積み重ねて翻訳をします。
全体の統一感のために、何度も推敲したり、
文章に紙ヤスリをかけたりすることで、
作品になってゆくんですね。

個人のことでなく、
翻訳家全般に共通して言えることを、
敢えて挙げるとすれば、
「一般の読者よりも、
 テキストに接する回数は多い」
ということでしょうか。

読者にとっては
「気に入ればくりかえし読む人もいる」
という程度のところを、
翻訳家は、仕事を終えるまでは、最低でも、
ひとつの本を十回は読むことになります。


そうなると、受け取り方も、
多少、一般の読者とは
違うのかなぁという気がします。
作品が扱っている世界を、
相当調べることにもなりますから、
翻訳とは、作家と対話をしているような
作業なのかもしれません。

私の場合には、最初の一回目には、
まず、中身を知るために読むことになります。
本の世界に自分を追いこむために、
二回目、三回目と読むうちに、
だんだん、
文体を決めることになっていくんです。

「何が文体なのか?」というと、なかなか
「こういうものである」とは言いきれない、
正体不明のものなのですが、
「作品の顔」というか、
「外見」というか、
「装い」というか……
ともあれ、文体が
「ある特定の雰囲気を伝えるもの」
であることはまちがいありません。

文体が決まらないことには、
私はなかなか
翻訳の仕事に取りかかることができないのです。
ほぼ日 具体的には、どのように文体を決めるのですか?
キングの『小説作法』の中で言いますと、

「前半の生い立ちには、
 たいへんユーモアがある。
 ここでは、ちゃんと笑いを立てよう」

「後半は、かなり堅めの内容を
 伝える文章になっている。
 ここでは、多少むずかしいと言われても、
 ふさわしい語彙を
 探さなければならないだろう」

こんなふうに、それぞれの場所で、
それぞれの雰囲気を決めるわけです。
何度も読んでいるうちに文体が決まったら、
自然に仕事がはじまる──
これが、私にとっての翻訳なのです。

オリジナルの作品を書く人は、
文体をひとつ持っていれば
やっていけるのでしょうけれど、
翻訳はいろんな人と
つきあっていかなければならない

ものですから、
文体は、いつも同じであってはいけません。

「あいつが翻訳すると、
 みんな同じになってしまう」
なんて言われがちですが、文体とは
「その都度、工夫をして作るべきもの」
でしょう。

そのためには、作家同様、
こちらも言葉の武器を
持っている必要があります。

翻訳とは、もちろんオリジナルのテキストが
あってのものなのですが、
不思議なもので、作品の質は、
翻訳者の器の大きさが
決めてしまうことがあるんです。

だから、テキストに対して、
作家と同じレベルでつきあうことができなければ、
「あれだけ大きなメッセージを
 持っている作品なのに、その中の、
 ほんの少しのものしか出ていない」
ということも、起きかねません。

私は「難しい漢字を沢山使う訳者」として、
捉えられてしまうことが多いけれど、
校正者の
「常用漢字ではないので、
 ひらがなにするべきではないですか?」
という指摘に対しては、
一貫して、疑問を感じています。

作家がそれぞれの文体を持っているように、
翻訳の文体だって、
人それぞれであっていいはずでしょう。
「難しい漢字を使うことを避けるべきだ」
という指摘は、広い意味では、

「他の人も簡単にわかりやすい
 翻訳をしているから、そうするべきだ」


という考えにつながってしまいます。

つまり、誰も彼もが、
簡単な言葉しか使うことができなくなります。

ただ……
キングも指摘していましたが、
「言葉の力」は、ものすごいものです。
簡単な、限られた言葉ばかりを使っていれば、
自然と、語彙が少なくなってしまうわけでして。
すると「考えていること」そのものも、
やせほそってゆきます。


語彙を失ったことで、
「かつては表現できていたけれど、
 今は表現できなくなったことが
 出てきてしまう」
という事態が起こりかねないんです。
ほぼ日 「十人十色で
 言葉を使えなくなってしまえば、
 それによって失ってしまう考えも、
 出てくるのではないか」
という問題意識を、
なるほどと思って聞いていました。
その点を、さらに詳しく、
うかがってよろしいでしょうか?
最近、
「狩猟採集民が、
 農耕民族によって追われてゆく」
という歴史を描いた、
『エデンの彼方』という
ノンフィクションを翻訳しました。

そこでわかったのは
「農耕民族が狩猟採集民を
 辺境に追いやっていく過程で、
 狩猟採集民は言葉を失ってしまう」
ということなのです。

深い考えを持っていたことが
明らかになっている狩猟採集民たちは、
自分たち固有の言葉を失ったことで、
ある大切なことを、
もう表現できなくなってしまいました。


これは何も、
遠い世界の話には見えないんです。
今の日本でも
起きていることなのではないでしょうか。

私は、英語で書かれたものを
日本語に直す仕事をしていますが、
あまりに早くからの英語教育や
「国際人になろう」という動きに対しては、
大きな疑問を持っています。

「自国語の表現」にこだわっているからです。

外国語を習得することというのは、
ある程度、頭脳が成熟した後であっても
できるはずです。

自国語の語彙もとぼしいまま把握する、
不完全な「日常挨拶レベル」の外国語なんて、
何にもならないのではないでしょうか?

肝心なことは、
自国語であれ、外国語であれ、
目の前の人に対して、
どんな内容のものを言えるのか、
ということのはずです。

本を読むことのおもしろさについては、
「簡単なことをわかる」
というだけではないでしょう?
私は、結局のところ、本のよろこびとは、
「書かれた内容が、
 頭に刺激をあたえるおもしろさ」

だと考えています。
エンターテインメントであっても、
堅い内容のものであっても、
「知的な刺激を受けること」が、
いちばんのありがたいことなんですよね。

そもそも、外国語は、
遅くなってからはじめたとしても、
かなりの程度までいくことができるんです。
もちろん、帰国子女のような環境で育てば、
「話すこと」に関しては
苦労することはないのかもしれません。

ところが、
英語だけができても、
いい翻訳ができるとは限らないように、
もしも自国語の操作も
不十分なままだとすれば、長い目で見て
「果たして、
 どこまでものを言えるのだろうか?」
という気がします。

言葉なんて、言ってみれば
「容れもの」でしかありません。
「容れもの」だけを与えておいて、
中になにも注ぐことのできない人を
育てることのできない英語教育なら、
意味がないと考えているのです。

日本語は捨てたものではありません。
非常に表現力のあるこの言葉を、
豊かに使う可能性は大きいと考えています。

劇作家のバーナード・ショーは、
「古典というものは、
 誰もが知っていながら
 誰もが読まないものだ」

と言いました。

古典を読むと、
何百年の歴史の重みに耐えうるだけの
「中身のある言葉」を実感できるように、
私は、
「最終的に重要なことは、
 自国語で何を考えることが
 できるかどうか?」
だと考えています。
  (ご愛読、どうもありがとうございました。
 またいつか、違う翻訳人の方々に、
 ご登場していただくかもしれません!)



翻訳人。backnumber  
田口俊樹さん
chapter1.
「こんなにおもしろい仕事があったんだ」 2004-01-06
chapter2. 「翻訳業で独立するということ」 2004-01-07
黒原敏行さん
chapter3.

「僕は、何もやらないまま、
 三〇歳になっちゃったんだけど」

2004-01-21
chapter4. 「職業は勉強です」 2004-01-22
池田真紀子さん
chapter5.

「スランプ打開法=目の前に集中」

2004-01-27
chapter6. 「いつまでもやる仕事は効率が悪い」 2004-01-28
chapter7. 「言葉にならないものを訳すこと」 2004-01-28

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2004-05-31-MON

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