ほぼ日 |
他のインタビューで、
ふだんは二〜三日に一冊ぐらいは、
仕事ではない本も読んでいると
おっしゃっていましたが、
インプットを多めにしようと
心がけているのですか? |
池田 |
最近はそれが
週に一冊ぐらいに減っていますが、
いずれにしろアウトプットばかりで
インプットがないと空っぽになってしまいます。
最初から日本語で書かれている
日本人作家の本を読まずに
翻訳ばかりしていると、自分の基準の
日本語だけになっていっちゃうんです。
客観性が欠けてくるというか、
ふつうの日本語からだんだん離れていくのでは
という恐怖感があって、なるべく
いろんな日本人作家の本を読むようにしています。
それから、新聞記事や週刊誌などの、
ふだん仕事で触れているものとは
まったく違う日本語にも
できるだけ接するようにしています。
そうしないと凝り固まっていく気がしますから。
翻訳の仕事をはじめてからは、
よくも悪くも翻訳ものの本は
たのしく読めないんです。
いろいろなことが気になっちゃって(笑)。
これって元の文はなんだったんだろうとか、
この訳は使えるぞとか、
余計なことを考えちゃってつまらないので、
あまり読まなくなりました。
他の人がどんな翻訳をしているかということも、
まったく気になりませんので。
原書は、自分で買ってまで読むのは
スティーヴン・キングなどの
ほんとうに好きな作家のみで、
他は、仕事の本を読むだけで精一杯です。 |
ほぼ日 |
翻訳だけをしていると
凝り固まるということで言うと、
同じ作家のものを訳される時っていうのは
何に気をつけられるのでしょうか? |
池田 |
原文を読んでいると、
訳の方も自然に決まってくるので、
例えばディーヴァーの本で
前こう訳したからこうやらなきゃみたいなのは、
あまり考えないですね。
もちろん、科学捜査の機器名を
統一するというようなことでは
以前の訳を検索したりしますけど、
文体を決めるのは
私ではなくてあくまでも原文ですから。
文字の表面に出てこないものを意識することは、
どの翻訳についても、しています。
言葉というのは大きな力を持っていますが、
言葉では表現できないもののなかに
大事なことがあったりしますよね。
本の中でさえ、明らかに
文字では書かれていない部分だけど
大切なことというのがありますから。
だから、その本の底辺に流れているものを
少しでも感じてもらえればいいなぁ、
と思いながら翻訳しています。
ものすごく長い作品で、だけど言いたいことは
結局一行で済むというような小説もありますが、
やっぱり、一行じゃ済まないんですよね。
一行では伝わらない。
一つひとつの言葉を
高く高く積み上げていくことによって、
ようやく何かが伝わる。
本って、そういうものじゃないかと感じています。
文字で伝えている部分はごく一部。
だからそのぶん訳者は責任重大です。
訳が正確でないために
少しでも誤った方角に読者を導いてしまったら、
一冊の間にその方角のずれが
どんどん大きくなって、
最後にはとんでもない場所に
到着させてしまうことになるかもしれない。
言葉の裏にあるものを読者がつかむ。
そのための手がかりみたいなものを
一生懸命に書いているのが作者です。
訳者が間違った訳をすれば、読者に
間違った手がかりを与えることになります。
そこが翻訳という仕事の怖いところです。 |
ほぼ日 |
翻訳家になってよかったと思うことは、
どういう点ですか? |
池田 |
まずは、通勤電車に乗らずにすむとか
そういうことがありますけど、
まぁ、本が好きなので、本を読んでいれば
できる仕事というのは幸せですよね。
あと、私は証券会社にいたこともあるんですが、
他人のお金が自分を経由してどこかに行くだけで、
自分は何をしてるのか実感としてわからない、
という焦燥感がありました。
コンサルティング会社にいた時もそうでしたが、
他人のシステムを作ったり
アドバイスをしたりして、
自分には何が残ってるんだろう?みたいな。
でも翻訳という仕事では、仕事の成果が
本棚にバーンって並びます。達成感があるし、
基本的には一冊に一人の訳者しかいませんから、
自分でなければできないことをしている
という充実感もあります。
誰が訳しても、ある程度は
同じものができるんでしょうけど、
自分の足跡みたいなものを
一冊ずつに残していくわけで、
それはひとつのたのしみというか、
この職業ならではのことだと思います。
もちろん、責任も重大ですけど。
いいところを裏返せば、
通勤しなくていいかわりに、
生活はぜんぶ、自分の責任ですよね。
何時に起きるか、仕事するかしないかも
すべて自分の責任だし、遅れちゃって
編集者に迷惑をかければ
それもやはり自分の責任なわけで、
一冊の本に対して自分が全責任を負っている……。
責任というものがすべてにくっついてまわるのが、
会社勤めをしていた時より大変な点ですね。
単語一つをどう訳すかというところから、
その本全体に対する責任まで、
すべて自分が引受けるというのは、
会社員時代には想像できなかった厳しさです。
でも、他人の責任を引き受けなくていい、
自分の責任を
誰かに引き受けてもらわなくていいという点では、
とても気がラクです。 |
ほぼ日 |
今回の作品
『トレインスポッティング ポルノ』
を翻訳している時は、
どういうことを思っていましたか? |
池田 |
訳してる時って、
けっこう何にも考えてないんです。
前作の『トレインスポッティング』は、
読者としてすごく好きで、登場人物のファンだし、
ほんものの友だちみたいに
思ってるところはあるんですけど、
訳してる時は何にも考えてなくて、
「目の前の一文を原文の意図するとおり
できるだけ忠実に日本語に再現する」
ことに徹しています。
訳す前に一通り目を通す時は、
完全に読者として読んでいて、
おもしろいとかおもしろくないとかしか
考えてないですし。
この本は、前作『トレインスポッティング』を
読んでいないと、例えば登場人物の
シック・ボーイとレントンのやりとりが、
ちょっと意味不明になってしまいますし、
できれば『トレインスポッティング』から
読んでもらったほうがいいと思います。
この作家の作品は、作った感じが
あまりしないことが特徴だと思います。
書きたいことをそのまま
ストレートに書いちゃっているし、
自分の思いついたギャグをオチに持っていくために
話を作っているみたいなところがある。
だから、作家として本を書くというよりは、
自分がおもしろいと思うものを
そのまま本にしちゃいましたみたいなところが、
たのしいんです。
一方で、隅々まで
緻密な計算をしている一面もあります。
そのギャップがすごくおもしろい。
しゃべりたいことをしゃべっているだけに見えて
計算もしている不思議なところが、
この作家の魅力だと思います。
前作の『トレインスポッティング』を
翻訳した時は衝撃でしたね。
とにかく、スコティッシュ
(スコットランドで話されている英語の方言)
がわからなくて(笑)。
もうほんとうに衝撃でした。
他でいうと『ファイト・クラブ』という
小説もすごかった……。
これは普通の英語なんですけど、
文法をかなり無視してるんですね。
でも意味は一発でわかる。
不思議な文体で、それを読んだ時は
また別の種類の衝撃がありました。
文法も無視して、
普通の言葉の使い方も無視してるのに、
意味がすんなり入ってくる。
不思議な才能がある作家ですね。
あとは『ボーン・コレクター』の
ディーヴァーも、とても好きです。
終始計算が行き届いてるんですが、
自然に流れていくような文体で、
すごい作家だと思います。
伏線を隠すのも上手だし、
何でもなく書いてあるようでいて、
ものすごい数の校正っていうか
ゲラを出させるらしいんですよ。
もう何十回と出させて直していくくらい、
一語一語計算されてるんですが、
それを感じさせないところが
すばらしいと思っています。
これまで訳した中で
別格扱いで好きな作家、文体というとその三人です。
『ポルノ』は、三〜四か月でしあげました。
長くかかった方です。絶対的に分量が多いですし、
スコティッシュを調べるのに
今回もけっこう苦労しましたから。
前作『トレインスポッティング』を訳したおかげで
多少慣れてはいますが、
スコティッシュはとても感覚的な言葉で、難しい。
言葉に意味があるというより、
音に意味があるような言葉です。
『ポルノ』はおもしろいですよ。
登場人物は、前作と少しずつ
変わってはいるんですけど、
本質的には何も変わっていない。
やれやれ、また同じことをやってるよ、
というおもしろさ。
例えば同窓会に出席すると、
みんな見た目や喋り方は記憶にあるのとは
違っているけど、話しているうちに
「あれ、やっぱり何にも変わってないじゃん」
って内心ニヤリとすること、ありますよね。
そういうふうに、ニヤニヤしながら読んでもらえれば、
それだけでこの本は大成功だと思います。
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(次回は、また違う翻訳家の方が登場します!) |