糸井 |
いまの不況について、
ご意見を求められることも
あると思うんですが、いかがでしょうか。
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吉本 |
あのね、取材は数回ありました。
「1920年代の大恐慌に比べていまの不況は」
というふうにして
問われることがありました。
少なくとも自分の実感と経験によれば、
つらかったのは、
戦争末期と、戦争が終わってすぐのころです。
食いもんを探しに、
千葉県なら千葉県に行って、
日用品の小物とか衣料と
お米をちょっと取り換えてくれないか、と、
農家の人と交渉したり、
そういうことをしたときです。
そのほうが、大恐慌なんていうときより、
ずっと苦労したと思ってます。
ほんとうに食べるのに困るほど
貧しくなったことはあるかって言われたら
そのとき以外にぼくはないんですよ。
戦争末期と敗戦の直後に
焼け野原もあって、
こんなんで、どうしようもないぜ、という、
そのときだけなんです。
そういうふうに取材の方に伝えると、
わりあい、みなさん
ポカンとなさるんだけど(笑)、
取材する方のおっしゃる
大恐慌といまの不況を比べることというのは、
あとから、そういうふうにつけた
考え方じゃないでしょうか。
大恐慌のときは、貧乏であっても、
食べること自体が怪しくなってきたという
体験はありません。
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糸井 |
あのころのアメリカの写真を見ても、
確かにそういうことは感じますね。
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吉本 |
ええ。だけど、終戦前後は、
やっぱり、すごかったです。
学校に通うときに、
日暮里駅の階段をのぼりおりするのが
もう、かったるくてできなかったことを
憶えています。
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糸井 |
それはつまり、栄養が足りなくて、ですか。
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吉本 |
そうです。
農家の人に食べものをもらうためには、
家具みたいな類いのものや
衣料を持っていきましたが、
いちばん普遍的だったのは化粧品なんですよ。
ぼくは幸い、町工場の化粧品会社に
つとめてたときがありましてね。
上の人には内緒で、
自分たちで勝手に石けんをつくっちゃって、
それをみんなで分けていました。
当事者たちが平等であれば、
文句は出ないもんなんだな、ということを、
そのときはじめて痛感しました(笑)。
政治家や、官庁で、
公の資金をごまかしちゃったというようなことが
ときどき表に出てきますが、
ああいうのは、たいてい
不公平にやったんですね(笑)。
公平にやったら、
絶対そういうことは出てこない。
そう思います。
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糸井 |
はははは。
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吉本 |
で、そうやって分けた石けんを持って、
千葉県によく行って、
食べものと替えてもらってました。
女の人は特にそういう感じを
たくさん持ってたんだろうと思うけど、
垢じみて、お風呂で洗えないとか、
そういうことが
当時はいちばん困ったらしいです。
いまから思うと、なんだこんなの、と
思えちゃうんだけど、
それはいちばんのことなんですね。
人間ってそうなんだなぁ、と思いました。
なぜなら、食いものは、
そこそこあれば、家庭は壊れないからです。
食べることについての
不公正っていうのは、
家の中ではちょっとありえないです。
客に呼ばれて、うまいもん食ったとか、
そんなことはあるだろうけど、
同じ家族内で、
あいつは特にうまいもん食ってる
とか、そういうことは、
まぁ、ありにくいかなぁ。
食いもんっていうのは貴重だけど、
そういう意味で、人間には
化粧用のほうが重大な問題になってくるんです。
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糸井 |
食いものがじかになくなる、ってことは
ほんとうはめったになくて、
そういうことがあっても、
分け合っていれば、
問題はほかに移っていくんですね。
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吉本 |
この不況のために、お金を分配してとか、
盛んに大きな政策のように言ってますけど、
普通の個々の人にとっては
その政策が食いものにまで響いてくる
というようなことは、
まず、今度はないと思います。
そうとうひどくならないとそれはなくて、
そんなとこまで行かないだろうと思ってます。
そして、それが決して第一番になるとは限らない。
いや‥‥えーと、そこのところが今回は
ちょっと目立つところではあります。
つまり、おなか減っても、
文化的なものが欲しいとか、
この小説が読みたいとか、
そういうことのほうが
明日食べるもんが心配だなぁっていうときでも、
真っ先の欲求だってことは‥‥あると思う。
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糸井 |
それは、いま、みんなが
どういう順番で消費をしているかで
類推できますね。
安い飯を食いながら、
コンサートに行くやつがいますから‥‥。
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吉本 |
ええ、そうなんです。
女の人の皮膚の化粧とか口紅みたいなものも、
こんなのはいいじゃないか、って
男のほうからすると
そういうふうに言いたくなることでも
あるわけなんだけど、
それはちがうよ、と思います。
(次回は、明日の掲載です) |