── | 有田泰而さんという写真家について、 申しわけございません、 不勉強で、まったく存じ上げませんでした。 |
上田 | いや、そうかもしれないです。 |
── | インターネットで情報を集めようと思っても 詳しいことが、あまり出てきませんでした。 ある時点から、アメリカに渡られて レッドウッドの森で暮らし、 絵画や彫刻などの創作に取り組んでいたとか、 どこか「謎めいた感じ」を受けました。 |
上田 | 確かに、1991年にアメリカへ渡って以来、 自らの表現としての写真は ほとんど 残していないんじゃないかと思います。 |
── | そうなんですか。 |
上田 | 僕にとっては もちろん、忘れたことのない「師匠」ですし、 世間の記憶に残っていて当然だと 思っているんですが、 今では 写真をやっていても、知らないという人もいて。 |
── | その時代のことを知らない世代からすると、 「写真家・有田泰而」についても やはり知らないわけですが、 「上田義彦」という著名な写真家が その方の過去の作品を 何ヶ月もかけてプリントし直して、 写真展を開催し、写真集を世に出すという、 そのことに、とても興味を覚えました。 |
上田 | ‥‥ただね、1973年から74年にかけて この「First Born」が 雑誌の『カメラ毎日』に連載されていたころは 有田さんは、とても大きな影響力を持っていた。 本当に、素晴らしい写真家だったんです。 |
── | 若き上田さんに対しても、影響を? |
上田 | はい、まだ写真学校で学んでいた時代に ものすごい衝撃を受けました。 |
── | 作品としては‥‥。 |
上田 | この「First Born」です。 |
── | では、それで上田さんは 有田さんのところへ弟子入りしたんですか? |
上田 | いえ、有田さんの助手をやらせてもらう前、 写真学校を出たあとすぐに 福田匡伸という、若いころニューヨークに住み アメリカの『LIFE』誌で静物写真などを撮り、 帰国後、その分野では第一人者となったかたに つかせていただいてたんです。 |
── | あ、そうなんですか。 |
上田 | 1年ほど、お世話になりました。 |
── | じゃあ、割とすぐに有田さんのところへ。 |
上田 | 福田さんは、本当に尊敬すべき写真家でした。 でも1年間、修行させていただいて 「やっぱり自分は 有田さんのもとで、人物を撮りたい」 と思った。 |
── | なるほど。 |
上田 | だから、福田さんに 「有田さんのところに弟子入りしたいんです」 と言って、辞めさせてもらったんです。 |
── | ‥‥ものすごい正直に言ったんですね。 |
上田 | それはもう、バカ正直に、言いました。 そうしたら、福田さんは 「お前、そんなこと 言わなくっていいんだよ!」って(笑)。 |
── | はー‥‥。 |
上田 | 「他の写真家のところへ行くからなんて わざわざ言うやつがあるか。 バカだなぁ、お前は」 と、言いながらも、許してくれたんです。 |
── | ‥‥そう言える福田さんも、すごいです。 |
上田 | そうして僕は、有田さんに連絡しました。 でも、そのときはすでに 別の助手のかたがいらっしゃったので 断られてしまったんです。 「今は、いらないよ」って。 |
── | ‥‥せっかく辞めたのに。 |
上田 | でも、それでもいいからと、 有田さんに、写真を見ていただきました。 そんなことが何回か続いたんですけど、 3度めくらいかなあ、 「お前、明日から来るか?」と。 |
── | え、いきなりですか? |
上田 | そのころ僕は、すでに福田さんのところで 助手の経験があったし、 「写真を見てもらうだけの関係も 意外といいな」と 思いはじめてはいたんですけど(笑)、 やはり「明日から来るか?」と言われたら 「はい、ぜひ!」と。 |
── | 上田さんのお写真をごらんになって 有田さんは どんなことをおっしゃったんですか? |
上田 | ‥‥「ああ、いいね」くらいだと思います。 写真を分析したりもしませんから、 まあ、単純に おもしろいと思ってくれたのかもしれない。 |
── | でも、突然ですね。「明日から」とは。 |
上田 | いつも、そうなんですよ。 助手を1年で「クビ」になったときも 「お前、明日から来なくていい」だし。 それを聞いた僕が 「それは困ります、 きりの良い年末まであと2ヶ月、 おいて下さい」 と言うと 「変わったやつだ。 しょうがネェな、じゃあそうしろ」 というような感じでした。 |
── | ‥‥読者の誤解がないように言っておくと、 40代半ばから亡くなるまでの30年近く 有田さんに連れ添った奥様の雅子さんによれば、 上田さんの場合は 有田さんが「もう、独立していい」と 判断したんだ、と。 つまり「クビ」なんじゃなくて。 |
上田 | うーん、そうなんでしょうかね(笑)。 |
── | 先ほど、学生時代に 有田さんの「First Born」に衝撃を受けたと おっしゃっていましたが、 その「衝撃」って 具体的な言葉にすると‥‥どのような? |
上田 | とにかく 「日本にも、こんな写真を撮る人がいたんだ」 ということに尽きます。 |
── | こんな写真、と言いますと? |
上田 | ようするに 日本人が撮るような肌合いの写真では、ない。 |
── | 肌合い。 |
上田 | それまで、ああいう家族写真を撮る日本人は いなかったと言っていいと思う。 かといって、アメリカ的だとか ヨーロッパ的だとかいうわけでもないんです。 |
── | そうなんですか。 |
上田 | あの写真には‥‥有田泰而という日本人と ジェシカというカナダ人女性が 出会ったことによって 起こった「奇蹟」が、写ってるんだと思う。 |
── | 奇蹟、ですか。 |
上田 | つまり「First Born」は、有田さんが たとえば「アメリカのすごい誰か」に憧れて 生まれた写真じゃないんです。 有田さん独特の感性が たまたまカナダ人だった奥さんの「皮膚」に 結晶したというか‥‥。 |
── | それは、どういうことでしょう? |
上田 | 白人の皮膚の質感というのは、 それ自体で、フォトジェニックなんです。 ある意味で、決定的に。 |
── | ‥‥はい。 |
上田 | 光‥‥に、反応するというか。 |
── | はー‥‥。 |
上田 | つまり、写真をやっている人間なら どうしたって カメラを向けたくなる被写体なんですけれど、 そこに有田さんの感性がぶつかることで ああいう「家族写真」が生まれたんだと思う。 |
── | それは「独特」ということですか? |
上田 | 独特ですね。何にも似ていない。 そのことを、学生のころの僕は 「なんて素晴らしいんだ!」と思っていて、 そしてその思いは 今も、ぜんぜん変わってないんです。 |
── | 最初、何の予備知識も持たないまま、 「First Born」を拝見したとき、 これが「家族写真である」ということに まったく、気づきませんでした。 |
上田 | でしょうね。 いわゆる、典型的な「家族写真」とは かけ離れていますから。 |
── | 上田さんも『at Home』という ご家族の写真集を出版されていますが‥‥。 |
上田 | 僕は、家族ができて、子どもが生まれたら 必ず写真を撮ろうと思っていました。 それは、やはり「First Born」の影響です。 |
── | そうでしたか。 |
上田 | 僕の写真は「First Born」みたいに ふたりの男女と、その間に生まれた子が 作り上げていく 「劇場」のような作品ではなくて 言うなれば「日記みたいなもの」です。 |
── | ええ、ええ。 |
上田 | 日々、何もしなければ どんどん忘れ去ってしまうんだけど、 ちょっと意識して撮っておけば 忘れずに、覚えておける風景‥‥というかな。 |
── | はい。 |
上田 | だから、有田さんの遺した「家族写真」とは 表現として、ぜんぜん違います。 でも、そういう表現上の違いはあれど、 僕は「First Born」から 「家族を撮るということの意味」を 教わったんじゃないかと。 |
── | そう、思われますか。 |
上田 | 思いますね。 有田泰而の「First Born」という作品から たしかに、教わったんだと思う。 「家族の写真には、大切なものが写る」 ということを。 |
|
<続きます> |
2012-11-22-TUE |