師、忘れ得ぬ写真家。  写真家・上田義彦さんが語る 「有田泰而」と「First Born」のこと
数多くの広告写真やコマーシャルフィルムのみならず 「ネイティブ・アメリカンの森」や「家族」などを テーマとした作品で有名な上田義彦さんには 若いころ、1年だけ助手をつとめた師匠がいます。 名前は、有田泰而(ありた・たいじ)。 1970年代には、大きな影響力を持つ写真家でしたが、 あるころから写真を離れ、 絵画や彫刻などのアートを制作しながら 自ら切り開いたアメリカの森の中の一軒家で暮らし、 2011年、70歳で亡くなりました。 日本を離れて20年以上を経ていることもあり、 40代半ばより下の世代で その名を知る人は、そう多くはないようです。 上田さんは、そんな師匠・有田泰而さんの遺した 「First Born」という写真シリーズを 数ヶ月かけてプリントし直し、 展覧会を開き、写真集として発表しました。 第一線で活躍する写真家に 「誰かとけんかしてでも、僕がやりたい」とまで 言わせた「First Born」とは、「有田泰而」とは。 「ほぼ日」奥野が、うかがいました。
第1回 「有田泰而」という人。
第2回 師の写真を焼き直す、ということ。
第3回 「First Born」という奇蹟。




── 有田泰而さんという写真家について、
申しわけございません、
不勉強で、まったく存じ上げませんでした。
上田 いや、そうかもしれないです。
── インターネットで情報を集めようと思っても
詳しいことが、あまり出てきませんでした。

ある時点から、アメリカに渡られて
レッドウッドの森で暮らし、
絵画や彫刻などの創作に取り組んでいたとか、
どこか「謎めいた感じ」を受けました。
上田 確かに、1991年にアメリカへ渡って以来、
自らの表現としての写真は
ほとんど
残していないんじゃないかと思います。
── そうなんですか。
上田 僕にとっては
もちろん、忘れたことのない「師匠」ですし、
世間の記憶に残っていて当然だと
思っているんですが、
今では
写真をやっていても、知らないという人もいて。
── その時代のことを知らない世代からすると、
「写真家・有田泰而」についても
やはり知らないわけですが、
「上田義彦」という著名な写真家が
その方の過去の作品を
何ヶ月もかけてプリントし直して、
写真展を開催し、写真集を世に出すという、
そのことに、とても興味を覚えました。
上田 ‥‥ただね、1973年から74年にかけて
この「First Born」が
雑誌の『カメラ毎日』に連載されていたころは
有田さんは、とても大きな影響力を持っていた。

本当に、素晴らしい写真家だったんです。
── 若き上田さんに対しても、影響を?
上田 はい、まだ写真学校で学んでいた時代に
ものすごい衝撃を受けました。
── 作品としては‥‥。
上田 この「First Born」です。
── では、それで上田さんは
有田さんのところへ弟子入りしたんですか?
上田 いえ、有田さんの助手をやらせてもらう前、
写真学校を出たあとすぐに
福田匡伸という、若いころニューヨークに住み
アメリカの『LIFE』誌で静物写真などを撮り、
帰国後、その分野では第一人者となったかたに
つかせていただいてたんです。
── あ、そうなんですか。
上田 1年ほど、お世話になりました。
── じゃあ、割とすぐに有田さんのところへ。
上田 福田さんは、本当に尊敬すべき写真家でした。

でも1年間、修行させていただいて
「やっぱり自分は
 有田さんのもとで、人物を撮りたい」
と思った。
── なるほど。
上田 だから、福田さんに
「有田さんのところに弟子入りしたいんです」
と言って、辞めさせてもらったんです。
── ‥‥ものすごい正直に言ったんですね。
上田 それはもう、バカ正直に、言いました。

そうしたら、福田さんは
「お前、そんなこと
 言わなくっていいんだよ!」って(笑)。
── はー‥‥。
上田 「他の写真家のところへ行くからなんて
 わざわざ言うやつがあるか。
 バカだなぁ、お前は」
と、言いながらも、許してくれたんです。
── ‥‥そう言える福田さんも、すごいです。
上田 そうして僕は、有田さんに連絡しました。

でも、そのときはすでに
別の助手のかたがいらっしゃったので
断られてしまったんです。

「今は、いらないよ」って。
── ‥‥せっかく辞めたのに。
上田 でも、それでもいいからと、
有田さんに、写真を見ていただきました。

そんなことが何回か続いたんですけど、
3度めくらいかなあ、
「お前、明日から来るか?」と。
── え、いきなりですか?
上田 そのころ僕は、すでに福田さんのところで
助手の経験があったし、
「写真を見てもらうだけの関係も
 意外といいな」と
思いはじめてはいたんですけど(笑)、
やはり「明日から来るか?」と言われたら
「はい、ぜひ!」と。
── 上田さんのお写真をごらんになって
有田さんは
どんなことをおっしゃったんですか?
上田 ‥‥「ああ、いいね」くらいだと思います。

写真を分析したりもしませんから、
まあ、単純に
おもしろいと思ってくれたのかもしれない。
── でも、突然ですね。「明日から」とは。
上田 いつも、そうなんですよ。

助手を1年で「クビ」になったときも
「お前、明日から来なくていい」だし。

それを聞いた僕が
「それは困ります、
 きりの良い年末まであと2ヶ月、
 おいて下さい」
と言うと
「変わったやつだ。
 しょうがネェな、じゃあそうしろ」
というような感じでした。
── ‥‥読者の誤解がないように言っておくと、
40代半ばから亡くなるまでの30年近く
有田さんに連れ添った奥様の雅子さんによれば、
上田さんの場合は
有田さんが「もう、独立していい」と
判断したんだ、と。

つまり「クビ」なんじゃなくて。
上田 うーん、そうなんでしょうかね(笑)。
── 先ほど、学生時代に
有田さんの「First Born」に衝撃を受けたと
おっしゃっていましたが、
その「衝撃」って
具体的な言葉にすると‥‥どのような?
上田 とにかく
「日本にも、こんな写真を撮る人がいたんだ」
ということに尽きます。
── こんな写真、と言いますと?
上田 ようするに
日本人が撮るような肌合いの写真では、ない。
── 肌合い。
上田 それまで、ああいう家族写真を撮る日本人は
いなかったと言っていいと思う。

かといって、アメリカ的だとか
ヨーロッパ的だとかいうわけでもないんです。
── そうなんですか。
上田 あの写真には‥‥有田泰而という日本人と
ジェシカというカナダ人女性が
出会ったことによって
起こった「奇蹟」が、写ってるんだと思う。
── 奇蹟、ですか。
上田 つまり「First Born」は、有田さんが
たとえば「アメリカのすごい誰か」に憧れて
生まれた写真じゃないんです。

有田さん独特の感性が
たまたまカナダ人だった奥さんの「皮膚」に
結晶したというか‥‥。
── それは、どういうことでしょう?
上田 白人の皮膚の質感というのは、
それ自体で、フォトジェニックなんです。

ある意味で、決定的に。
── ‥‥はい。
上田 光‥‥に、反応するというか。
── はー‥‥。
上田 つまり、写真をやっている人間なら
どうしたって
カメラを向けたくなる被写体なんですけれど、
そこに有田さんの感性がぶつかることで
ああいう「家族写真」が生まれたんだと思う。
── それは「独特」ということですか?
上田 独特ですね。何にも似ていない。

そのことを、学生のころの僕は
「なんて素晴らしいんだ!」と思っていて、
そしてその思いは
今も、ぜんぜん変わってないんです。
── 最初、何の予備知識も持たないまま、
「First Born」を拝見したとき、
これが「家族写真である」ということに
まったく、気づきませんでした。
上田 でしょうね。

いわゆる、典型的な「家族写真」とは
かけ離れていますから。
── 上田さんも『at Home』という
ご家族の写真集を出版されていますが‥‥。
上田 僕は、家族ができて、子どもが生まれたら
必ず写真を撮ろうと思っていました。

それは、やはり「First Born」の影響です。
── そうでしたか。
上田 僕の写真は「First Born」みたいに
ふたりの男女と、その間に生まれた子が
作り上げていく
「劇場」のような作品ではなくて
言うなれば「日記みたいなもの」です。
── ええ、ええ。
上田 日々、何もしなければ
どんどん忘れ去ってしまうんだけど、
ちょっと意識して撮っておけば
忘れずに、覚えておける風景‥‥というかな。
── はい。
上田 だから、有田さんの遺した「家族写真」とは
表現として、ぜんぜん違います。

でも、そういう表現上の違いはあれど、
僕は「First Born」から
「家族を撮るということの意味」を
教わったんじゃないかと。
── そう、思われますか。
上田 思いますね。

有田泰而の「First Born」という作品から
たしかに、教わったんだと思う。

「家族の写真には、大切なものが写る」
ということを。


(c)Taiji Arita
<続きます>
2012-11-22-TUE
 




「First Born」写真展が開催されます。 写真集「First Born」も、同時に発売。


「First Born」

「First Born」(赤々舎)
有田泰而

東京・竹芝の鈴江倉庫にある
上田義彦さんの私設ギャラリー「Gallery 916」にて
11月22日(木)より
有田泰而写真展「First Born」が開催されます。
1990年代の初頭にアメリカへ渡り、
写真表現から離れ、
絵画や彫刻などのアートを制作し続けた有田さん。
広大な森を切り開いて暮らすうちに
多くのオリジナル・プリントが散逸してしまったため、
今回、弟子である写真家の上田義彦さんが
数カ月かけてプリントし直し、
そのうち50数点が厳選され、展示されるとのこと。
また、それらの作品を収めた
写真集「First Born」も、同日より発売です。
版元は赤々舎、全国書店で発売中。



有田泰而 写真展「First Born」

会 期 2012年11月22 日 (木)ー 12月28 日(金)
時 間 平日   11:00 - 20:00
    土・祝日 11:00 - 18:30 
休 廊 日曜日・月曜日
会 場 Gallery 916
    東京都港区海岸1-14-24 鈴江第3ビル6F
入場料 無料
問合せ  03-5403-9161(Gallery 916)
H P http://www.gallery916.com/






今回の「First Born」写真展・写真集が 生まれるきっかけは こちらの「カメオのピアスと桜えび」に。

「カメオのピアスと桜えび」
「カメオのピアスと桜えび」(集英社)
 清野恵里子・有田雅子 著


上田義彦さんが「First Born」を手がける
契機となったのは
文筆家の清野恵里子さんと
有田さんの奥様・雅子さんとの間に交わされた
メールによる「往復書簡」でした。
これを読むと、70年代の傑作シリーズが
どのように奇蹟的な経緯で
最終的に上田さんの手に渡ったのか、わかります。
清野さんと雅子さんの間でやりとりされる
「こころづかい」も、
読んでいて、やさしい気持ちになります。
Amazonでのお求めは、こちらからどうぞ。