ほぼ日 |
では、焼き肉の基礎知識から聞かせてください。 |
ヤキコ |
まず・・・うちの肉は村沢牛を使っています。
村沢牛は、長野で育ちます。
血統を三代先までさかのぼって調べ、
但馬系(※註1)など極上の雌だけが、
厳しく吟味されて買い求められます。
2年くらいの時間をかけて
一頭一頭に、きめ細やかな飼育が施されることで
有名な牛なんです。
普通はステーキとして使われる肉ですが、
この肉を、焼き肉屋で出しているのは、
京都ではうちだけなんです。
【註1:但馬系】
あの有名な松阪牛も兵庫県の但馬地方から生まれ、
その他にも但馬地方には中土井系、熊波系など
(総じて但馬系・兵庫系)の優秀な系統があります。
但馬系の特徴は脂身(霜降り)の
おいしさと言われています。 |
ほぼ日 |
あ、それはおいしいわ。 |
ヤキコ |
まだ、早いって!
メニューには「極上」(A4)(※註2)という
ランクで載っていて、
サシ(※註3)がきれいに入っていて、
30代の私は、
2枚も食べれば大満足してしまうような、
そんな味わいの肉です。
そのほかの肉にしても、
よその店で、「上」として扱われている肉を
うちでは「並」で出しています。
焼き肉屋なんだから、当り前かもしれませんが
うちではそんな風に「肉」には
徹底的にこだわってきました。
【註2:A4】
肉のランクはABCまであります。
その中でも1〜5まで分かれていて
A5が一番良いランクなのですが、
その中でもまた1〜10まで分かれています。
このランク付けは人間の目が頼りです。
【註3:サシ】
いわゆる霜降りの白い部分のことを、
業界ではこう言います。 |
ほぼ日 |
そんなこと知らずに食べてました。
すみません。 |
ヤキコ |
いえいえ、知らなくても、おいしいと思って
通ってくださるのがなによりありがたいですから。
コチュジャンも手作り(河原町店のみ)、キムチも
おばちゃんとは言いがたいくらい美しい、
キムチづくり専門のおばちゃんを2人雇っています。
文字通り、1年中、
キムチを作るのが仕事の人たちです。
チシャ菜ひとつにもこだわり、
山形から無農薬のサンチュを取り寄せています。
ほかの素材にも、力をぬいたことはありません。 |
ほぼ日 |
無敵ですね。
そういえば、キムチ、ほぼ日のみんなも
前にわたしがもらったのを食べて、
とても評判がよかったですよー。 |
ヤキコ |
それ、早く言ってくれたら、
また送ったのにぃ。
でも、
おいしいだけでは店は成り立たない、
それがわかったこの1年でした。 |
ほぼ日 |
しっかりしてきたんやねぇ。
キリッとしてた、いまの言い方。 |
ヤキコ |
必死ですから、ね。
じゃ、まず、店の歴史から話さないとね。
聞いて。 |
ほぼ日 |
知りたい! |
ヤキコ |
「南大門」は京都で45年続いている焼き肉屋で、
私は、30年前、その店の三女に生まれました。
はじめに父親がパチンコの事業をおこし、
それが波に乗ってきたころ、
「南大門」をオープンさせたのです。
旧南大門
店は、8階建てビルの1、2階が店になっていて、
席数は232席あります。 |
ほぼ日 |
はい。
大きい店ですよね。 |
ヤキコ |
創業当時の昭和30年頃は
まだ焼き肉という食文化が定着していなくて
珍しいものだったと聞いています。
父は、食に対してすごくうるさい人でしたから
「南大門」の創業当時も、
腕のいい料理人を他の店から引き抜いてきて、
自分も一緒に厨房に入り
試行錯誤しながらおいしいメニューを
作り上げて来ました。
旧南大門の当時のメニュー(河原町店以外では、
現在もこのメニューをお出ししています)
当時から素材には、こだわってきたので、
段々と評判が広まり、そのうちに
たくさんのお客さんが来てくださるようになり、
そのころはまだ京都の撮影所にも活気があって、
多くの役者さん達にも来てもらっていたそうです。
一日何百人と
ひっきりなしにお客さんが来られ、
土日の予約もほぼ取れなかったようです。
「南大門」はずっとそんな調子で、
今では、4店舗にまで増えました。 |
ほぼ日 |
そこまで、じゅんぷうまんぱんですね。 |
ヤキコ |
そうかもしれません。
時代が流れるとともに、
肉にもみこむタレや、
洗いダレ(※註4)の味付けなどが
その時々の調理長によっても、
微妙に変化していきました。
でも、「肉」自体へのこだわりは一貫して
今日まで変わらないスタイルで、
45年間営業し続けています。
父が病気で亡くなったのは、7年前。
これは、やっぱり、とても大きな事件です。
それまでは専業主婦でずっと家にいて
のんびりと暮らしていた母が、
突然、社長として、会社を継ぐことになりました。
そして、右も左もわからない母を手伝うために
同じく右も左もわからない私も、
一緒に会社で働くことになりました。
【註4:洗いダレ】
焼き上がった肉をつけて食べるタレのことです。
このタレで、その焼き肉屋の好き嫌いが決まることもある
重要な味の決め手。
洗いダレをあえて出さない店もありますね。
ちなみに今の主流は、「甘め」だそうです。 |
ほぼ日 |
家にいた人が、経営に入っていくというのは、
大転換だったでしょうねぇ。 |
ヤキコ |
で、働くといっても、食べに行く以外は、
店に出ることはほとんどありませんでした。
当時は、机の上でする仕事が、
自分の仕事のすべてだと思っていました。
でも働き始めてしばらくすると、
自分の父が、
どういうことを目指して進んできたのか、
ちょっとずつですが、わかり始めてきました。
うちの会社では、
パチンコ、焼き肉屋、サウナ、
様々なサービス業を手がけているのですが、
最終的に父は、亡くなる前に
釜山にホテルを建てました。
完成間近に亡くなって、
自分の目でその姿を見ることは
できなかったのですが、
がんばってがんばって、大きなホテルを遺しました。
父の故郷は韓国の貧しい村なのですが、
そこに錦を飾りたい、と考えていた
父の想いについてはまた改めて言うとして、
父は、究極のサービス業をやりぬくことを
強くのぞんでいたんだと思います。 |
ほぼ日 |
そっかー・・・。 |
ヤキコ |
日々仕事をしながら父のことを考えていると、
だんだん自分がこの会社で、
どんな仕事がしたいのか、
どんな仕事をするべきなのかもわかってきました。
おそらく将来は、
家の仕事を手伝うんだろうと思いながらも、
なんとか自分の夢を探そうとして、
ネイルアートの学校に行ってみたりした時期も
ありました。
でも、父の会社に入ってみて、
自分の夢が、父の夢と重なるようになりました。
究極のサービス業をやりぬくこと。
父がこだわりぬいて、
私も子供のころからよく通っていた
愛すべき「南大門」を、守ること。
それが自分の仕事だと思いました。
ただ、古くから店を知っている
社員の人たちに混じって、
こんなに何も知らない自分が、
店の何に、どう口が出せるのだろうと思って、
じっと考えていました。 |
ほぼ日 |
そうか。
いくら娘だといっても、
素人が口を出すという感じに
とらえられてはいけないものね。 |
ヤキコ |
その頃、世の中の不況にともなって、
「高級焼肉レストラン」のイメージのある
うちの店は、確実に売り上げが
落ち始めていました。
焼肉屋ってどうあるべきなのか。
よその店と、うちはどこが一番違うのか。
どこが良くて、どこが悪いのか。
なんで、こんなにおいしい肉を出しているのに
ほかの店よりお客さんが入らないんだろう?
他の店や、最近増えてきた韓国家庭料理の店や、
オオバコ(※註5)の居酒屋などを
何軒も食べ歩きながら、考えました。
そうしているうちに、どうやら、店が流行るには、
おいしいだけでは、だめなんだ
ってことがわかり始めていました。
【註5:オオバコ】
比較的席数が多く、スペースの広い店のこと。 |
ほぼ日 |
もう経営者的な目ができてきた・・・。 |
ヤキコ |
冷静な目で自分の店のことを
見られるようになってきた。
父の愛したお店はどんどん古くなり、
みるみる売り上げが落ちていきました。
もうその頃の「南大門」には、父の意志など、
跡形も残っていない有り様でした。
そこに追い討ちをかけるように
狂牛病のニュースが流れ、
客足が、文字通り「ぱったり」と途絶え、
売り上げは一気に落ちていきました。
それはもう、こわいくらいの勢いでした。 |
ほぼ日 |
すごかった。
ほんとに、どこの焼き肉屋さんでも、
お客さん、いなかったものねぇ。 |
ヤキコ |
生肉は出せないので、「刺し身こんにゃく」を
替わりにメニューに加えましたが
もちろん何の足しにもなりませんでした。
それまでの店は、
活気がなくなりつつあったとは言え、
土曜日や日曜日は、20分や30分待ちをしてくださる
ウエイティングのお客さんがいたのに、
そんなお客さんもまったくいなくなり、
「お店を閉めた方がいいのではないか?」
という声が
会社の幹部から出てくるようになっていきました。 |
ほぼ日 |
わぁ。 |
ヤキコ |
でも、どうしても私は「南大門」を
なくしたくありませんでした。
父が必死でつくり、
守ってきた店を絶対に失いたくない。
このまま店を潰してしまったら、
父に対して申し訳ない。
店がどうしようもなくなってきたとき、
役員の人達の反対を押しきって、
「リニューアルしよか」と
母が言いました。 |
ほぼ日 |
おかあさんがですか。 |
ヤキコ |
そう。母が。
義兄の力添えもあったのですが、
多大な予算を投じて、
父が築いてきた今までの南大門を
大幅にリニューアルをすることを
ものすごく悩んだ末、母が決断しました。
きっと母も私と同じ気持ちだったんだろうと思います。
|
(つづきます)