三谷龍二さんの、これまでの「場所」。 三谷さんからのレポートを掲載する前に、 三谷さんがこれまでどんな「場所」にいたのかを お聞きしました。 全5回でお届けします。

その1 三谷さんの20代。
ほぼ日 これから「新しい場所」をつくる三谷さんに、
じゃあ「これまでの場所」は
どこだったのかなということについて
お聞かせいただけたらと思っています。
よろしくお願いします。
お生まれは福井ですよね?
三谷 はい。1952年福井生まれ、
18まで福井で育ちました。
ほぼ日 18までは普通の学生だったんですか?
三谷 もちろん(笑)。
ほぼ日 木工少年とか、
お家が工芸系の家とか、
そういうことではないのですね。
三谷 それは全然ないです。
父はサラリーマンですし、
ぼくもバンドをやったりとか、
普通の高校生でした。
18のときに大阪に引っ越して、
大阪の大学に行ったんですけれども、
19の終わりぐらいに
京都で劇団に足を突っ込んで、
そこから人生がちょっと変わってきちゃって。
ほぼ日 あらら。
三谷 僕の友達がたまたま入って、
「そのポスターを作りませんか?」
って言われたのが最初です。
グラフィックが好きだったんですよ。
ほぼ日 それはきっと、うれしかったでしょうね。
三谷 そう、うれしいなと思って。
それで頑張ってそれを作って、
ポスターやパンフレットのデザイン、
大道具みたいなのもやりました。
そのうちになんとなく
「台詞があるよ」
「ちょっと役があるよ」
みたいなことを言われて、
ちょっと出ていたりも、しました。
それが1971年から、
77年くらいのことでした。
ほぼ日 6年。じゃあ、結構どっぷりですね。
そのままその道に、
とは思わなかったですか?
三谷 役者の才能はなかったです(笑)。
それはもうはっきりわかってました。
それでもやって、
もうだめだなっていうところまで行って、
僕と一緒にやってた人たちも
徐々に辞めていき、
そんななかで、ぼくも次の道へすすみました。
25、6歳のときです。
京都から福井を経由して、
同級生が金沢の土木関係にいたので、
彼に会って「ちょっと仕事ないか?」と。
そうしたらば、
「今、中央道の工事をうちの会社がやってるから」
みたいなことで、中央道の茅野で
橋桁みたいなのを作る
日雇い仕事に就きました。
とりあえず当座生きていけるだけの
お金が欲しかったから、
1ヶ月半ぐらいがんばって
2、30万貯めて、松本に来ました。
たまたまそこに入る前の日、
松本にちょっと寄ったんですよね。
そのとき知り合ったやつを訪ねて
1ヶ月滞在して、
その足で東京に出ました。
ほぼ日 東京では何を?
三谷 それまでぼくのいた劇団って世界は、
なんか霞を食うようなところがあって、
ちゃんとした生業じゃないっていう
感じがあったんですね。
だから、それを辞めた以上は、
ちゃんと経済活動をしなきゃいけないだろう、
と思って。それで、経済活動の原型は
海のものを山にとか、
田舎のものを町へとか。
ほぼ日 はい、「交換」「交易」ですよね。
三谷 そうそうそう。そういうものをと思うから、
たまたま松本に来たときに駅前で
木のお面を見つけたんです。
ほぼ日 木のお面?
三谷 駅前のお土産屋さんに
道祖神みたいなものをベースにした
手彫りのお面があったんです。
「京都から来ました」って言ったらば、
仕入れに来たお店の人かと思ったらしくて、
そんな対応をしてくれたんです。
「じゃあ、これを売ろうかな」って急に思って、
何回か通って、卸してもらうことができた。
それを持って東京に出て、
それで露店したり、
行商したり、してたんですよ。
ほぼ日 はぁ、たくましい!
三谷 お面っていうのはラテン語で
「ペルソナ」でしょう?
それで自分の仕事をする場所として
「ペルソナ工房」ってつけたんです。
ほぼ日 このときに!
工房ってつけたところに
「作る」という気持ちがある気がします。
でもいまの「木の器」のイメージと、
ぜんぜんちがいますね。
三谷 このときはまさか木の器を作るとは
思っていなかったです。
とにかくそのお面を参考にして、
木彫りを覚えようと思って。
ほぼ日 ということは、
彫刻刀を買ってくるところから?
三谷 彫刻刀はちょっと前に買っていたんですよ。
中央道の工事現場にいたときに、
自由な時間に、
木切れを彫ろうと思って。
ほぼ日 ちょっと時間があるときに?
三谷 そうそう。
ほぼ日 読書とか、そういうことの
代わりにということですか?
三谷 そういう感じですよ。
職業にまでしようとは
考えてなかったけれど。
ほぼ日 手遊びというか。
三谷 そうそう。
木工って基本的に
そういう身近なものなんですよ。
ほぼ日 なるほど‥‥。
「彫刻刀1本で遊べるぞ」っていうことが
三谷さんの原点かもしれないですね。
彫刻刀は文房具屋さんで売ってますし。
三谷 その辺ブラブラすれば、木切れはあるし。
ほぼ日 はぁー!
でも、思いつかないですよ、普通の人は。
「本を読もう」「音楽を聴こう」と、
受け取る側の時間潰しや趣味は思いついても、
「彫刻刀が1本あったら楽しいぞ」
っていうふうにまず思わないです。
彫刻刀を買ったときには
具体的になにをしようとか
この人をお手本にしようとかは
なかったわけですよね。
三谷 ないない。
たまたま画材屋さんに入ったときに
目についたんだな。
ほぼ日 たまたまなんですか。
たまたま、筆じゃなかったんですね。
三谷 そう。筆ではなかったんですね。
なんとなく木工って
できるような気もしたんです。
で、そうこうやってるうちに、
そのお面を仕入れた先で、
「手伝ってくれないか」って
逆に言われたんですよ。
「そんなブラブラしててもだめだ」って、
心配されたみたい。
それで、東京から松本へ来たんです。
ほぼ日 東京に未練はなかったですか?
三谷 あんまりなかったです。
そして、その会社みたいなところに
1年半ぐらいいたかな。
そして、そのころ、こどもができて結婚、
自分で仕事を始めると同時に、
職業訓練校の木工科に行きはじめました。
ほぼ日 いっぺんにいろんなことが
回りはじめたんですね。
三谷 そう。それまでは、
本当に遊びだったようなことがね。
(つづきます)

2010-09-17-FRI

 
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