darling、墓まいる。 地味で静かな正月特別企画。 |
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いつも年末年始は、 正月休みならではの面倒がイヤで、 海外に逃げ出してしまうワタクシなのですが、 今回は、さる事情で東京にいなきゃならないことに。 だったら、何をしようかと考えまして。 生きてる人とのご挨拶はめんどくさいけれど、 亡くなった人とのご挨拶なら、 お互いに気楽だよね、と。 墓参りをすることに決めました。 このごろ、なんだか 「いまここに生きてない人」のことが、 とても大切な人のように思えてきまして、 あんがいまじめな気持ちで、 東京の墓地、霊園を訪れるということにしました。 |
第3回 美濃部家の墓に。 ・この企画、これで最終回にします。 わざわざ地味で静かなと銘打った正月企画、 今回で、もう最終回にします。 前回、みょうに反省しながらのレポートになりましたが、 それはかなりホンネです。 いくら墓で、亡くなった人たちは断らないからといって、 知りもしない人の眠っている場所を、 どたばたと訪れるというのは、 なんだか気が引けるということがよくわかりました。 墓に参る、ということで、 敬っているということも言えるのですが、 やっぱりどこか「有名人のお宅訪問」みたいな 余計なお世話っていう感じがつきまとうんですねー。 実際にやってみるまではわからなかったのですが、 いざ現実のお墓を探していると、 なんか自分が あんまりいいことをしているような気になれない。 墓の主から、「おまえ、誰やねん?」と 怒られるんじゃないかというような、 後ろめたさがありました。 偶然、「あ、ここは誰それさんのお墓だ」というくらいなら きっと、いいんです。 でも、誰それのお墓がここらへんにあるはずだ、と、 わざわざ探すのはなんだかとにかく品が悪い。 そんな気持ちは、その後も変わることなく、 もう、ぜひお参りしたいある人のお墓に行って、 それでもうこの企画はやめようと思ったのでした。 そのある人とは、その人が亡くなったことが ぼくにとっても とても大きな出来事だったといえる人。 ときどき「ほぼ日」のなかでも、 そんなことを書いたりしていたので、 わかる方にはわかったでしょう。 そうです、古今亭志ん朝さんです。 ・志ん朝さんのお墓には参りたい。 志ん朝さんは、 お兄さんの十代目金原亭馬生さんや、 お父さんの五代目古今亭志ん生さんと 同じお墓に眠っています。 この素晴らしい一家は、 「美濃部さん」という一市民としての姓を持っていて、 亡くなったら、その名の刻まれたお墓に入るわけです。 「美濃部強次」さんというのが、 古今亭志ん朝さんの、生活者としての名前です。 この人のお墓なら、ぼくがその前に立っても 恥ずかしくないような気がしたのです。 いや、親戚でもないし、弟子でもないから、 やっぱり遠慮はたっぷりあるのですが、 こそこそしないで手を合わせられそうなのです。 ほんとうは、正月三が日の最後の日、 1月3日にお参りしようと思っていたのですが、 それが1日ずれて4日になりました。 ぐずぐずしてしまったのです。 お花やお線香を持っていくべきじゃないか、とか、 カーナビが壊れたままだけれど、 ちゃんと目的地に着くだろうかとか、 お寺さんで「美濃部さんのお墓はどこですか」と、 訊かなきゃいけないんだろうなぁ、とか、 なんかよくわからない心配ごとが重くなって、 予定の日には、「今日はやめた」と、 勝手にやめてしまったのでした。 しかし、翌日になったら覚悟は決まった。 なんだか自信のようなものさえ湧いていた。 志ん朝さんのお墓まいりだけは、 引け目を感じないでやろうぜ、と、 自分に確認できたということでした。 こうなったら、のそのそしてるわけにはいかないんです。 菩提寺の名前もわかっているし、 その住所もあらかじめ調べてある。 カーナビはなんの地図も映しだしてくれないのだけれど、 インターネットの「地図情報」でだいたいの場所はわかる。 ネットの画面に薄めの紙をあてて、 だいたいの道を鉛筆で写し取りましたよ。 ネットの地図をプリントすればいいとお思いの方も おられるでしょうが、 プリンター不調につき、先日の引っ越しのときに廃棄。 また、本棚にあった東京都の地図帳も、 先日の引っ越しのときに捨ててしまっていたのです。 しかし、ほんとうに行くべきところへは、 自然に行けるものなのさ。 それは、ほんとにほんとなんですよ。 道をまちがえたかな、と思ったら、 逆にそっちが正解だったりして、 まだ正月休み中で道路が空いていたせいもあって、 あっというまに、そのお寺の真ん前に到着しました。 さて、それなりに狭くはない墓地のなかから、 美濃部家の墓をどうやって探すのか? それも、「まず、あのあたり」と カンで見当をつけていってみた場所に、 すぐに見つかりました。 すでに正月の墓参りの人がいたらしく、 新鮮な生花が供えてありました。 昨日、花や線香のことやら心配して来なかったのが、 バカみたいでした。 もし花を持ってきたとしても、もう飾る場所もありません。 人のお参りしなそうな日に来るときには、 ぜひお花を持ってきたほうがいいでしょうが、 新年早々に、一ファンが花を持ってくるのも、 かえっておこがましかったかもしれません。 墓地はもちろん、お寺のなかでは、 他に人の姿もないので、墓前に立って、 ゆっくりと手を合わせることができました。 やっぱり、本気で行ったせいで、 少しも恥ずかしくなかったです。 誰もいないのをいいことに、 自分を写しこんだ写真も撮らせていただきました。 墓の前に、そう、3分もいなかったでしょうか。 長いお祈りをしても、せいぜい5分でしょう。 なんだか、気持ちはよかったです。 志ん朝さんとは、 鮨屋のカウンターで偶然隣に座ったことが一回、 逗子のホール落語を観に行って、 楽屋でひとことふたこと話していただいたことが一回、 それだけの出会いでしたが、 声はそれこそ年中聴いています。 ひょっとすると、日常のなかにいるどの知り合いよりも、 耳にしている総時間は長いかもしれません。 このお墓のなかに、あの志ん生さんと、馬生さんと、 そして志ん朝さんという、3人の落語家が眠っている。 そう思うと、不思議にうれしい気持ちになりました。 どう言えばいいんだろう、 落語ってものがあってよかった、うれしい、とか、 家族というのはいいもんだなぁ、とかね。 そういうふうなことを思ったんですね。 墓の左にそれぞれの故人の戒名の刻まれた碑がありました。 戒名のなかには、 ちゃんと、芸人としての名前も入っているんですよね。 それを見て、またちょっとうれしい気持ちになって、 墓の前から去ることにしました。 あまりにも手ぶらで来たので、 こどもじゃないんだからとばかりに、 本道の前でちょっとお祈りをして、 賽銭箱に賽銭を入れて帰ってきました。 いやぁ、この墓参りは、ほんとうにしてよかったなぁ。 また、もし、自分で納得のいく墓参りができたら、 このページの更新をするかもしれません。 |
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2004-01-05-MON
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