糸井 |
小学生が、とんでもない
犯罪を犯したなんていう話って、
「いろんな基準を、
いっしょくたにしてしまった」
という要素も、入ってきますよね。
子どもなりに頭で考えたものと
現実との間でコントロールができなくて、
混乱しちゃうんじゃないかなぁ。 |
タモリ |
まさしくそうですよね。
その人の心の中では、
言葉だけのお話と現実とが、
別モノではないんだよね。 |
糸井 |
うん、
同じものになっちゃってるんだもんね。 |
タモリ |
偽善教育っていうのは、
やっぱり、小学生の頃から必要だね。 |
糸井 |
早い話が、
様式でどれだけ救われるかって話ですからね。 |
タモリ |
そうそう、
様式でどれだけ救われるかってこと。 |
糸井 |
「おはよう」って
言えるか言えないかっていうのは、
何の意味もなさそうだけど、
「あいさつ」って、意外に大きいですよねぇ? |
タモリ |
ええ、「おはよう」も様式です。 |
糸井 |
うん。
「おはよう」って言いながら、
「……うわぁ、早いですね!」
っていう言葉どおりのメッセージを
送ってるわけじゃないですもん。 |
タモリ |
(笑)昼ぐらいでも
「おはよう」って言いますからね。 |
糸井 |
ぜんぶが
本心のメッセージだと思ってるのは
おかしいんだね、要するに。 |
タモリ |
そういうことですね。 |
糸井 |
番組でいうと、
前説がおもしろくなかろうが
おもしろかろうが、
前説はやっといてくれよ、
みたいなところですね。 |
タモリ |
そうそう。
いちおう、あたためといてくれよ、
冷やしてもいいからねー、っていう。
そういう偽善の数々を、
違う言葉で
「礼儀」とか何とか言うから、
若い人の反発を食らうんだよね。
「偽善のたのしみ」
ってことにしてしまえば、
それはそれで、
たのしいんじゃないでしょうか。
「よし、徹底的に
やってみようじゃないか、偽善を」
って言えば。 |
糸井 |
じゃあ、お中元とか、
したほうがラクですよね。
冠婚葬祭も出かけたほうがいい。 |
タモリ |
葬式って、あれは、
自分のために行ってるんですからね。 |
糸井 |
「あいつは来なかった、
って言われるとまずい」
とか、ありますもんね。 |
タモリ |
「死んだ人よりも、
まわりの人を気にした出席」とか。 |
糸井 |
ただ、その意味では
「偽善の過ぎる人」っていうのが、
いちばん迷惑なんですよ。
つまり、葬式で泣きわめく人。
たとえば、タモリさんとぼくとで、
仮に誰かの葬式行ったとするじゃないすか。
そこでぼくがワンワン泣いてたら、
泣かないタモリさんが
鬼のように見えるじゃないですか?
そういう、間接的に
「泣け」と言われるような場面って、
何回か立ちあっているけど、
あれはやめてほしいなぁ……。
妙な話ですけど、
「見てやってください、
触ってやってください」
っていうのも、あるじゃないですか。
棺桶のフタの……。
あれも、実は親戚とかぐらいの関係だと、
あんまり触る気にならないんです。 |
タモリ |
なんないですよねぇ? |
糸井 |
まぁ、もちろん、
程度問題ですし、
本心から泣いている方には
問題はないんですけどね。
それに、様式から生まれた泣きが、
自分の泣きを呼ぶこともあるんだけど。 |
タモリ |
それこそ、本物の偽善ですよねぇ。 |
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(おわります。
……ひきつづき、別コーナーで新連載がはじまった、
横尾忠則さん、タモリさん、糸井重里の3人による
『Y字路』についての鼎談をおたのしみくださいね) |