HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

幡野広志が撮ったもの、
感じたこと。

2021.3.10

生ガキと旧防災対策庁舎

南三陸町のさんさん商店街で生ガキをたくさん食べた。
一昨日もいわき市の小名浜市場で生ガキをたべた。

カキはいまが旬でとても美味しい。
とても美味しくて、写真をまったく撮っていない。
写真を撮りたい欲は、食欲にあっさりと負けるのだ。

カキを食べる前はついつい
カキであたってしまったらどうしよう?
なんてリスクのことを考えて
躊躇してしまうのだけど、
ひとつ食べてしまえば10個食べるのも
おなじだろうとたくさん食べてしまう。

がん患者で生ガキをたくさん食べている人を、
ぼくはぼく以外に知らない。
だいたいみなさんしっかり加熱したものを食べている。

美味しいものやたのしいことにはリスクはつきものだ。
しばらく生ガキはいいなかなぁとおもうほどたくさん食べて、
もしもあたったら、
結局しばらく生ガキはいいやとおもうのだろう。

地方で生ガキを食べられるのは
だいたい観光客相手のお店だったりする。
さんさん商店街のすぐちかくには
旧防災対策庁舎がある。

震災時に53名が避難していたが、
建物の屋上まで津波が襲い、
屋上のアンテナにしがみついて10人だけが生き残った。
いまも震災遺構として残されている。

2012年頃に旧防災対策庁舎を訪れたときとは
全く景色が違っていたので、
おもわず旧防災対策庁舎を移転させたのかと
勘違いしてしまった。

津波がくる前は街があって、津波がきて被災地になり、
10年たって綺麗に整備され、公園のようなつくりになり、
ここを目的とした観光の地になっていく。
そういう変化をまじまじと体感させてくれる。

さんさん商店街は
駐車場のひろい道の駅のようなつくりになっていて、
トイレもキレイだ。
ソフトクリームを売ってるお店も3店もあった。
お土産もたくさん買える。もちろん生ガキも美味しい。

とてもいい場所なので、ぜひ訪れてみてほしい。

旅の途中のあれこれ。

ここに、たしかに

永田泰大(ほぼ日)

広島平和記念資料館が2019年にリニューアルされた。
原子爆弾が広島にもたらした凄惨な現実を
未来へ伝えるために展示している場所だ。
ぼくは6年間広島に住んでいたが、
そのころは原爆資料館と呼んでいたような気がする。

リニューアルした資料館の展示は、
胸の深い部分に迫ってくるものだった。
十代の頃に見た以前の展示は
当時を再現した蝋人形などが並べられていて、
全体に、とにかく怖かったという印象があった。

それに比べて、
2年前の夏に見たリニューアル後の展示は、
ひとつひとつが悲しく、不条理で、生々しく、
具体的な事実を私たちに訴えかけてくるような気がした。
こういう言い方がいいのかどうかわからないけれど、
それはとても「いい展示」だったとぼくは思った。

リニューアル後の広島平和記念資料館がとてもよかったのは、
「あるひとりの物語」をきちんと伝えていたことだ。
あの日の広島にこういう名前のこういう人が住んでいて、
こういう服を着ていて、こういうところにいたとき、
こういうふうに熱線を浴びて、こういうふうに亡くなった。
展示は、そんなふうに「個人」を伝えることを
コンセプトにしているように思えた。

話は大きく変わるけれども、
ずいぶん前にロックフェスに行ったとき、
ザ・ハイロウズ(当時)の甲本ヒロトさんが
熱狂する大勢の観客に向かって
「こんなにたくさん集まってるけど、
 みんなは集団なんかじゃないぜ。
 ひとりひとりなんだ」と言った。
それを聞いてぼくはそうだそのとおりだと感じて、
なんだか彼に自分の名前が
呼ばれたような気がしてとてもうれしかった。

どんなときも、ひとりひとりの物語がある。
歴史として語られるときは
大きなかたまりになってしまうけれど、
ほんとうは、ひとりひとりの物語がある。
なにかにつけ、ぼくよくそう思う。

写真家の幡野広志さんと
福島から気仙沼へ向かうこの旅のなかで、
3つの展示を見た。
どれも、前もって調べていたわけではなく、
たまたま見かけたので、
入って見てみた、という感じだった。

小名浜の港で見た「いわきの東日本大震災展」。
荒浜小学校の校舎を利用した
「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」。
南三陸さんさん商店街で開催していた
「佐藤信一常設写真展示館 南三陸の記憶」。

どれも、深く、心に響いた。
小名浜の展示では
「震災の年に生まれた子供たち」がよかった。
その年に新しい生命が誕生したことを、
子どもも親も互いに感謝していて、すばらしかった。

荒浜小学校の遺構では、
なくなってしまった荒浜地区の町並みを
精密に再現したジオラマ模型に、
町の人たちが「荒浜の思い出や記憶」を
小さなプレートに書いて刺していく
という試みが見事だった。
ここに、たしかに、
こういう町があったんだという映像が
頭のなかにありありと思い浮かんだ。

南三陸の写真家、佐藤信一さんの展示は、
あの日、あのとき、津波にのまれる瞬間から、
復興に至るまでの道程を
その町にいる人の視点で追いかけていた。
いまは震災遺構として残されている
防災対策庁舎の屋上にのぼって助かった
10人の記事と写真が生々しかった。

そう、どの展示も、
ひとつひとつの具体的な物語を伝えていた。
いってみればありふれた、
私やあなたと変わらないようなふつうの人の、
ふつうの日常やふつうの生活が
ここに、そこに、たしかにあったということを、
それらの展示は見るものに伝えていた。

「ここに町があったんですよね」と
幡野さんはしばしば口にした。
それぞれの展示を見ているとき、
あるいは、なにもない広い場所へ出たとき。
幸いにして、現地をこうして
訪れることのできたぼくらは、
そのたしかな気配を感じることができる。

また、明日。


(2021/3/10 荒浜、南三陸、気仙沼)