「自分にはなにかできないだろうか?」
そう10年前に自問自答して、
結局なにもできなくて無力感をあじわった。
2021年という10年の節目で発売した
『気仙沼漁師カレンダー』の撮影のために
2019年にひんぱんに気仙沼を訪れるようになった。
縁もゆかりもなかった気仙沼の街にたくさんの友達ができて、
気仙沼のことが大好きになった。
今回の旅の目的地が気仙沼でなかったり、
もしも気仙沼漁師カレンダーを撮影していなかったら、
たぶんこの旅をしていなかったような気がする。
「自分は被災者じゃないしな。」
「なにかすることが迷惑なのではないかな?」
そうやってやらない理由を考えていたような気がする。
10年前に自問自答して、
結局なにも行動できなくて無力感をあじわったのも、
この考えが原因だった。
震災後に移住をして被災地で生活する人や報道関係者、
被災地を応援するために訪れるアイドルやタレントさんたちも
似たようなことを感じると知った。
今回の旅でなんどか「いい写真は撮れました?」と聞かれた。
買い物をしているときや、食事をしているとき、
歩いているときに知らない人から聞かれたりする。
じつはこれって被災地あるあるだったりする。
「いい写真は撮れました?」という言葉の奥には
「知らせてほしい」という期待や願いをぼくはいつも感じる。
被災地以外で撮影しているときはもちろん、
気仙沼漁師カレンダーを撮影しているときだって
知らない人からいきなり
「いい写真は撮れました?」なんて聞かれることはほぼない。
というか写真家的にはボディーブローのように効いてくる、
とてもプレッシャーがかかる声かけだ。
カレーを作ってる最中に
「美味しいカレーはできた?」って聞かれたら
誰だってちょっとプレッシャーだろう。
自分が役に立てている自負なんておこがましくてないし、
写真だってちゃんと撮れているかあやしいもので
また自問自答してしまうのだけど、
そんな自問自答とは関係なく
気仙沼の人たちは笑顔で迎えてくれて、
また来てねと笑顔でバイバイしてくれる。涙が出そうだ。
自問自答をとくヒントを
気仙沼の人が教えてくれるような旅だった。
10年というひとつの節目に、
被災地を訪れることができて本当によかった。
10年とけなかったナゾナゾがとけたようなスッキリ感がある。
東日本大震災は被災地域が広範囲ゆえに、
それぞれの街に特色がある。
隣町にいくだけでガラッと変わったりする。
ぜひいろんな街の被災地を訪れてほしいのだ。
訪れてよかったときっとおもうはずた。