糸井 |
「毒だと思ったら吐ける」という能力は、
つまり、お試しができるということなんですね。 |
池谷 |
そうだと思います。
自分に合うものを探しやすくなる能力です。 |
糸井 |
飲みこめる能力を過信してしまうと、
『千と千尋の神隠し』のカオナシのように
どんどん、消化しきれずに吐くわけですよね。
あの映画のテーマは吐くことだと思うんです。
消化しきれないものを
飲みこんでいたという寓話。
あれは自分たち自身だよなと思う。
情報から物質から食料から、
自分に取り入れようとしますが、
消化なんてなかなかできやしないし、
取りすぎていたりするというか。
たとえばぼくは
自分の本棚を見ているだけで
気持ちが悪くなるんですよね。
「焦っているんじゃないか」と……。
タイトルだけが琴線に触れて
買いたいと思いこんだ自分は、
そういうペースで生きているというか、
ダサイなと思うんです。
体力がある時に
取りこむために買うならいいけど、
取りこめないしためこむだけで
つらい思いをするなら問題だから、
情報の断食みたいなことをする期間が、
必要なんじゃないかと思うんです。
これは活字情報だけではなくて、
人に会うこともそうで、自分が
「ハイ」ではなくて
「ロー」にいる時期って、
おもに自分の体調のせいで
相手のことを読みとる力が
なくなっていたりするんですよ。
そうすると、
相手の悪いところを読みとったりする。
「おまえは、どうしてそうなんだよ」
とか思いがちになる……
悪いことを読みとるためなら
会わないほうがいいので、その時には、
利害関係もチームプレーもしていない
犬とか猫とか家族とかに、
会っているほうがいいのかもしれない。
そういうことを思うんです。 |
池谷 |
なるほど。 |
糸井 |
だから、
利害関係なしでいられる
家族が信頼できなくなる時というのは
ほんとにつらいですよね。
親からしかられてばかりいる子とか、
親に殺されそうになったり
売られそうになった子とか。
それはものすごい世界だろうなぁ。 |