糸井 同情する神経が、
誰の痛みにも動くわけではないのは
戦争する感情にも通じるものですね。

敵を残虐に殺すことができるなんて、
よく考えたら、すごいことですから。
戦争で味方が殺された時には
自分のことのようにつらいわけだし。
池谷 いかに愛情を感じているかどうかは、
味気も何もない方法で
測定できてしまうんですよね。
糸井さんが、ものごとをやるときに
愛情の多寡が問題になると
おっしゃっていましたけど、
愛情が物質的にも測定できるあたり、
脳科学の進歩ぐあいとからみあっていて
おもしろいなと思うんですけど。
糸井 自民党の人が苦しんでいると、
民主党の人はうれしいわけで、
民主党の人が苦しんでいると、
自民党の人はうれしくなる……
忠実な党員であればあるほど、
同情神経の「痛み」を感じるのでしょうね。

ただ、
自民党と民主党のちがいが
どこにあるかを
明確に説明できる人というのは
そんなにいないと思うんです。
「神髄まで民主党として生きている」
ということは説明できるとしても、
論理的なものですもんね。

論理で、痛みに近い感情が
左右できることになる。
県民意識とかも、あれ、なんなんですかね。
たとえば静岡出身の池谷さんの場合は、
長野対静岡の試合で、なんであんなに
静岡を応援できるんだというぐらいに、
ついつい、応援、しちゃいませんか?

池谷
します、します。

糸井
長野がぶつけたデッドボールに
ものすごく怒ったり……
身体性でもなんでもない県民意識が、
体の延長になってしまってるわけで。
池谷 好きな愛車のボンネットを
誰かにバットで叩かれたら痛いですよね。
あれも、体の一部になっているわけです。

人の身体性の曖昧さはよく言われています。
脳の反応を見ていても、
棒を使ってモノを引き寄せるときに、
ふだん指先に反応していた神経細胞が、
その瞬間だけは、
棒の先に反応するんですよ。
指ではなく棒に移り変わるんです。
そのぐらい、身体性はきりかわります。

自分の座っている机を
ポンポンポンポン触られたりしているのを、
まるで自分の体が触られているかのように
脳は感じている……
脳は一瞬で身体をかきかえるんですよね。

(つづく)
2005-08-07-SUN
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