糸井 |
週刊誌の表紙が
なんで女の人の顏なのかも、
もしかしたら、
プログラムされているだけ、
ということなのかもしれませんね。
なぜかはわからないけども、
人はそれをこころよく感じるという。 |
池谷 |
理由をつきつめていくと、
理由がなくなるということも
あるんですよね。
最近、そういうことに関して
おもしろい論文があったんです。
線虫(ミミズのちいさいようなもの)は
神経細胞がどうなっているのか、
すべてわかっているんですよね。
線虫はある刺激を与えると
逃げるんですが、
逃げかたがふたつあるんです。
泳いで逃げるパターンと、
バタバタして逃げるパターン。
そのふたつのうちのどちらかを、
線虫はどう決定しているのか……。
そういう論文があったんです。
そういうのって、
自分にもあるじゃないですか。
そもそもこうやっているのは、
なぜなのかをつきつめると、
理由がないような気がしますし。
それで
神経細胞がすべてわかっている
線虫の場合に、その決断を
どの神経がやっているのか、
つきつめた人がいるんです。
……このひとつの神経だ、と。 |
糸井 |
へぇー。
「わかる」こと自体がおもしろい。 |
池谷 |
どういう決定かというと……
ある状態の時にはAパターン、
ある状態の時にはBパターン。
これがただの「ゆらぎ」だったんです。
決定が、偶然に近いものだと知った後、
よく考えてみると、自分も、これまで、
そうだったんじゃないかと思いました。
結局、やってることに
確かな理由なんてないんですよ。
だから、最近は、さらに余計に
自分のやっていることには目的はありません、
と言えるようになっちゃったんですけども。 |
糸井 |
うん。
自己決定で
自分ができあがっているなんて思うのは
「思いあがり」なのかもしれませんよね。 |