糸井 週刊誌の表紙が
なんで女の人の顏なのかも、
もしかしたら、
プログラムされているだけ、
ということなのかもしれませんね。
なぜかはわからないけども、
人はそれをこころよく感じるという。
池谷 理由をつきつめていくと、
理由がなくなるということも
あるんですよね。

最近、そういうことに関して
おもしろい論文があったんです。
線虫(ミミズのちいさいようなもの)は
神経細胞がどうなっているのか、
すべてわかっているんですよね。
線虫はある刺激を与えると
逃げるんですが、
逃げかたがふたつあるんです。
泳いで逃げるパターンと、
バタバタして逃げるパターン。
そのふたつのうちのどちらかを、
線虫はどう決定しているのか……。
そういう論文があったんです。

そういうのって、
自分にもあるじゃないですか。
そもそもこうやっているのは、
なぜなのかをつきつめると、
理由がないような気がしますし。

それで
神経細胞がすべてわかっている
線虫の場合に、その決断を
どの神経がやっているのか、
つきつめた人がいるんです。

……このひとつの神経だ、と。
糸井 へぇー。
「わかる」こと自体がおもしろい。
池谷 どういう決定かというと……

ある状態の時にはAパターン、
ある状態の時にはBパターン。
これがただの「ゆらぎ」だったんです。
決定が、偶然に近いものだと知った後、
よく考えてみると、自分も、これまで、
そうだったんじゃないかと思いました。

結局、やってることに
確かな理由なんてないんですよ。
だから、最近は、さらに余計に
自分のやっていることには目的はありません、
と言えるようになっちゃったんですけども。
糸井 うん。
自己決定で
自分ができあがっているなんて思うのは
「思いあがり」なのかもしれませんよね。

(つづく)
2005-08-10-WED
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