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May2014
子どものブローチ 1

毎年、すくなくとも1回、私は日本へ帰る。
親兄弟や友だち、仕事でお世話になっている人たちに会いたい、
というのももちろんある。しかし、いちばんの目的は、じつは
岐阜県に暮らす母方の祖父母のところへ行くためだ。

子どものころ、学校が休みに入ると
母はたいてい里帰りをし、私は岐阜で長い時間を過ごした。
祖父母は勤め先を定年退職したあと、柿農園と田畑の
手入れをしながらふたりで暮らしていた。

普段、山に囲まれた盆地の京都に住んでいると
岐阜の平野はのびのびとした気持ちよさがあった。
見通しがよく、坂もすくないので
小さい体でも自転車で遠くまで遊びに行ける。
とくに夏休みは、祖父が用意しておいてくれた
虫とり網を持って、私は毎日ひとりで探検に出かけた。
石垣で、袋状になっている地蜘蛛の巣を引き抜いては
蜘蛛を取り出して観察し、
神社で、すばしっこいツクツクボウシを
1日に何匹つかまえられるか、自己記録に挑戦した。

リヤカーに乗せてもらって、
祖父母の畑仕事にくっついても行った。
暑く乾いた日に、畑に水をひく作業。
細い水路に、透き通ってきらきらした水がどっと
勢いよく流れ込み、土をうるおす。 
冬は、祖母が米を精米機にかけているあいだ
機械の下から出てくる米ぬかに手をつっこんで
ほんわりと温かく、油気のある手触りを楽しんだりもした。

あのころ触れたものの感触、柿の木に登って眺めた景色は、
祖父母に可愛がってもらった記憶と一緒に、
このまま私のなかに生涯ずっと刻まれるのだろう。

息子が生まれてから、祖父母は孫の私を通り越し
ひ孫が可愛くてたまらない、といった様子だ。
ロンドンから電話をかけると「会いたい」「いつ来るのか」と言う。
捨てられていた猫にひ孫とおなじ名前をつけて飼いはじめた、
と聞いたときは、ひっくり返った。
これは私の自己満足かもしれないが、つまり
私に今できる恩返しは、できるだけ日本に帰って
90歳の祖父母と私の息子を会わせてあげることに尽きると思うのだ。

岐阜の「ひいじいちゃんとひいばあちゃん」の家へ泊まりにいくと、
6歳の息子は、私が昔そうであったように
普段の暮らしではできない毎日の新しい発見に、目を輝かせる。

そして別れのたび、祖父はつとめて淡々と「元気でな」と言い、
祖母は「これで会うのも最後かもしれんな。もう年やさけえ」
と言って泣く。祖父母は高齢のわりに元気でしゃんとしているが
私はこんなとき、イギリスが遠く、ふたりが飛行機に乗って
会いに来るのが叶わないことに、悲しくなってしまう。

ひ孫の可愛さとは、どんなものなのだろう。
血のつながりでいうと、子どもや孫よりも遠いわけだが
私は、孫すらいないので想像がつかず、
いちど祖父に聞いてみたことがある。

祖父は、一考してからゆっくりと言った。
「90にもなるとなあ、昔から一緒におった周りのもんたちは
もう死んでほとんどいなくなったから、自分に残された
時間も短いもんやということはわかっとる。
そうやけども、この子にはまだまだこれから先、未来があるやろう。
だから、見とるだけで嬉しくなるんやな」

日々成長する幼子を愛おしく、遠くで見守ってくれている
祖父母に会いたくて、私は今年も日本に帰る。

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今月ご紹介するのは、小さな子どものために作られた
アンティークとヴィンテージの3つのブローチ。

デザインはまったく違うが、どれも
子どもへの愛情が詰まっている品だ。

これから親になるひとへ、生まれてきた赤ちゃんへ、
贈りたいジュエリーである。

 
2014-05-26-MON

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