profile

july2014
ある日の日記(22)


岡戸絹枝さんに最初にお会いしたのは、
岡戸さんがまだマガジンハウスにお勤めで
「クウネル」の編集長をされていた2004年のことだった。
私は数ヶ月後に京都の勤め先を退職して
イギリスへ引っ越すことが決まっていたが、
仕事の打ち合わせでちょうど東京に来ており、
マガジンハウスで働く友人のひとりが
「クウネル編集部へ寄っていったらどう」と言って
私を岡戸さんのところへ連れて行ってくれた。

足を踏み入れたクウネル編集部は、
大きな窓から昼の光がたくさん差し込む、静かで、
はじめての訪問者もどこかほっとできる空間だった。
同じマガジンハウスの社内でも、
雑誌ごとに編集部は全然違う空気が漂っている。
それまでに私が垣間見ただけでも、
ぴりっと緊張感が伝わってくるフロアから、
おしゃれな女性編集者が
花がこぼれるように美しいモデルを連れて
目の前を横切っていくフロア、
年配のベテランが多そうな
しっとり落ち着いたフロア、など色々だった。
「クウネルの編集部は、雑誌の雰囲気そのままだ」
私はこっそり、嬉しくなった。

岡戸さんは、白髪が混ざったグレーの短い髪、
耳もとにはパールのイヤリング、
タイトスカートに真っ白いシャツをお召しになっていて、
黒縁の眼鏡をかけていらした。にこにこ笑顔で登場され
「はいはい、あなたがイセキさん。はじめまして。
 ロンドンへ引っ越されるんですって?」
と、部屋の一角に置かれたソファーの
私の向かいの席に腰をおろされた。

付き添ってくれたマガジンハウスの別の部署の友人が
横から私の仕事についての説明を岡戸さんにしてくれた。
私自身はどんなことを喋ったかあまり覚えていないのだが
イギリスでやろうと考えていることをお話したのだと思う。
ふむふむ、と岡戸さんは頷いておっしゃった。
「よくわかりました。じゃあ、むこうに行って落ち着かれたら
 あなたのこと、クウネルでご紹介しましょう」
えっ。私は一瞬耳を疑った。
電光石火。岡戸さんはとても潔い方だった。

当時の私の職場は書店で、
担当は併設ギャラリーのマネジメントと雑貨の仕入れだったが
いずれにしても毎日本に囲まれて働いていたので
クウネルのことはよく知っていた。
創刊してから1年もたたないうちに
同僚の間でも特集が素敵だと評判になっていた。
「an・an」増刊として発売された第1号目の
イギリスのオルニー村のパンケーキ・レースの記事は
私もいまだに印象深い。
「ストーリーのあるモノと暮らし」
というキャッチコピーを掲げるクウネルは
岡戸さんの、こんな雑誌にしたい、という思いが
特集の隅々に反映されていると感じていた。
だから、そこで紹介していただけるなんて、
光栄で、ちょっと怖くもあった。

けれども、実はその後、ロンドンへ越した私のところに
具体的なお話はなかなかやってこなかった。
2年が経過し、仕事も次第に軌道にのって
日本のほかのメディアから取材をしたいというオファーを
いただくようになったが、私は岡戸さんの言葉が頭の片隅にあって
ふんぎりがつかずにいた。このまま待つべきか、否か。
そんなこんなで、またすこし時が流れたころ、
ご本人から、ある日、1通のメールが届く。
「イセキさん、取材をさせていただきたいと思っています。
そちらの暮らしはいかがですか」

クウネル編集部から、フォトグラファーの長島有里枝さんと
編集者の戸田史さんがいらっしゃることになり、
10ページにわたる丁寧な文章と美しい写真で
私の仕事にスポットをあてた特集を組んでくださった。
今思えば、岡戸さんは言葉どおり、私の暮らしが、心が、
新しい国でしっかり根をおろすのを待っていてくださったのだ
とわかる。イギリスに暮らして、4年目の春のことだった。

その後、岡戸さんはフリーランスに転向され、
クウネル以外にもご活躍の場は広がっていった。
一昨年には、n100出版の「talking about」という雑誌の
編集者として連絡をいただいた。
n100はもともと女性向けのファッションブランドで、
「次シーズンのモデルをイセキさん、やってくれませんか。
 撮影はロンドンで行いたいと考えています」との内容だった。

イギリスで、岡戸さんに再会できることになった。
4月、撮影日のロンドンは雨上がりの曇り空。
まだ吐く息も白い朝のリージェンツパークに
私たち一行はロケバスで到着した。
犬の散歩をさせる人たちの視線を背に、撮影がすすむ。
カムデンの運河わきの遊歩道、教会、と場所をかえ、
私は洋服を着替えながら、バスとの行き来を繰り返した。
薄着で屋外に立つのを心配して、岡戸さんが
「寒いでしょう、ごめんなさいね」と言って
休憩時間に冷えた私の手をとり、ずっとさすっていてくださった。

はたから見ると華々しいお仕事を歴任されてきた岡戸さんだが、
まったく気どらない方である。
私の手を一所懸命包む岡戸さんの暖かい手を、
今でも折にふれて思い出す。

今月はじめに、創刊されたてほやほやの
岡戸さんの雑誌「つるとはな」を読んだ。
裏表紙にまで記事が続く雑誌を、私は初めて見た気がする。
1ページも無駄にするものか、という気迫が伝わってきた。

大学のころ、お客さんの平均年齢おそらく60〜70歳の
能楽堂で4年間受付のアルバイトをしていた私は
まさに、お年寄りに囲まれた青春時代だった。
そして、老いはそのひと次第でポジティブなものになる
という実例を、そこでたくさん目にした。
人生の先輩に聞く、がテーマの「つるとはな」。
ぎっしり詰まった心からの写真と記事に
岡戸さんから「こういうことをやりたかったの」と、
まるでお手紙をいただいたような気持ちになった。

クウネルは、あのとき取材に来てくださった戸田さんが
4代目の編集長になった。
私にはもうすぐ、2人目の子どもが生まれる。
時間は止まることなく流れ、物事は変わっていく。
けれどもこの先、私も岡戸さんのように
いくつになっても前を向いて仕事に向き合い、
歳を重ねていけたらいいな、と憧れる。
後悔をしないように。

 
2014-11-30-SUN

 
まえへ このコンテンツのトップへ つぎへ

感想をおくる
「ほぼ日」ホームへ
ツイートする facebookでシェアする
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN