── | ふつう独立っていうのは、 独立するにあたっての貯えであるとか、 独立後の仕事のあてをあるっていうのを 言うんですが、 ただ辞めただけ‥‥ですね。 |
たかしま | そうですね。 イラストがちょこちょこ雑誌に載ったんで、 その雑誌を持って、営業かけられるかなと。 |
── | 基本、ここまで、やっぱり、 無鉄砲ですね。 |
たかしま | とっても無鉄砲ですよね。 計画性なしですよね。 で、辞めて、 バイトを始めるんですよ。 食べていけないんで、 CADっていう3Dのソフトの学校をやってる会社が 講師を募集してるって言うんで、 使ってるマシンがUNIXだったんですよね。 CADは使ったことはないんですけど、 ちがう部署でCAD担当の友達がいて、 触らせてもらったりはしてたこともあったし ま、コンピュータ好きだしなんとかなるだろう、 っていうことで応募したら。 |
── | また無茶な。 |
たかしま | はははは。 でも雇ってくれて。 |
── | でもほんとうはたかしまさんは 経験則で、わかっちゃってたわけでしょう。 そのソフトが。 |
たかしま | そうですね。 使ってみたら、わかるし、 もとがUNIXですから、 トラブルも対処できるし。 わりと、スムーズに講師は続けられてて。 で、輸入してきたソフトなんで、 マニュアルがなかったんですよ。 ぼくは、そうやって触ってるうちに、 そのソフトについてわかってきたんで、 マニュアルを「じゃあ、ぼく作ります」 っていうことで。 |
── | 編集者の経歴も生きましたね。 |
たかしま | はい。 DTPもできますみたいな話をしたら、 マニュアルを作らせてくれることに なったんですね。 |
── | バイトのすることじゃないですね、もう。 |
たかしま | そうですね。 ただ、マニュアルも作って講師もやってると、 イラストを描く時間がなくなっちゃうんで、 「すいません、 ぼく講師辞めて、在宅ワークで マニュアルを作る仕事にしてください」 っていうことで、そこから、 在宅ワークができるようになったんですよ。 |
── | ほう。 |
たかしま | それで時間もけっこうできてきたところに、 MacFan時代の先輩編集者が あんな形で辞めたにもかかわらず、 ちょこちょこ仕事をくれ始めたんです。 |
── | 編集長は‥‥ |
たかしま | 編集長は、直接は、ま、 なにも言ってくれないんですけど、 でも、最終的に、クレジットも 「たかしまてつを」で入れてもらってたんで、 それを通してくれてたってことは、 陰ながら見守っててくれたというか。 ‥‥わからないですけどね。 そういう形で、ちょこちょこイラストの仕事を もらえるようになってきて、 家でマニュアルを作りながら イラストの仕事をして、っていう形で その頃に名刺も作るんですね。 「イラストレーター たかしまてつを」 っていう名刺を。 |
── | はい。 |
たかしま | だんだん、だんだん、 その仕事をくれてた編集者が また別のところに紹介してくれたりとか、 MacFanに載ってる絵を見たという人から たまに仕事をもらったりとかしながら イラストの仕事が増えてきたんで、 マニュアルを作ってた会社にも、 「すいません、そろそろ‥‥ 忙しくなっちゃったんで」と。 そこの社長さんもすごくいい方で、 ぼくがイラストの仕事をやっていきたい、 っていうのも話してはいたんで、 「じゃあ、うちの会社の中の 机をひとつきみ用にあげるから、 そこで、イラストの仕事もやっていいよ」 みたいなことも、 おっしゃってくださったりもしたんですけど、 でも、ぼくはもう、 そこまでイラストの仕事が膨らんでくると 「すいません、イラスト一本でいきたいんです」 っていうことで、お断りして辞めたんですね。 そこからですね。 初めて、イラストのみで 仕事を始めたっていうのは。 それが、いくつかな‥‥ 28、9ですね。 |
── | 早い。 そこからは、ずっと フリーのイラストレーターとして 生きてきたんですか。 |
たかしま | フリーのイラストレーターです。 最初のうちは、絵を描きつつ、 グラフィックソフトのレビュー記事みたいな 文章も書いたりもしてたんですけど、 一応イラストレーターとして、 なんとか、かんとか、食べていけましたね。 |
2008-12-16-TUE | |
(つづきます!) |