渡邉良重(わたなべ よしえ)


1961年、山口県生まれ。山口大学(教育学部)を卒業し、
1986年にDRAFT入社(~2011)。2012年にKIGI Co.,Ltd.を設立。

企業、ブランド、商品などのアートディレクションを手掛けるほか、
KIKOFをはじめ、プロダクトブランドD-BROS、
洋服のブランドCACUMAなどのデザインコンテンツをいくつか持ちながらも
プライベートで作品を制作し発表するなど、
自在な発想と表現力であらゆるジャンルを横断しながら、
クリエイションの新しいあり方を探し、生み出し続けている。
2015年7月、東京・白金にギャラリー&オリジナルショップ
「OUR FAVOURITE SHOP」をオープンさせた。
http://ofs.tokyo/

植原亮輔(うえはら りょうすけ)


1972年、北海道生まれ。多摩美術大学(テキスタイル)を卒業し、
1997年にDRAFT入社(~2011)2012年にKIGI Co.,Ltd.を設立。

企業、ブランド、商品などのアートディレクションを手掛けるほか、
KIKOFをはじめ、プロダクトブランドD-BROS、
洋服のブランドCACUMAなどのデザインコンテンツをいくつか持ちながらも
プライベートで作品を制作し発表するなど、
自在な発想と表現力であらゆるジャンルを横断しながら、
クリエイションの新しいあり方を探し、生み出し続けている。
2015年7月、東京・白金にギャラリー&オリジナルショップ
「OUR FAVOURITE SHOP」をオープンさせた。
http://ofs.tokyo/

宮田 識(みやた さとる)


日本デザインセンター退職後、1978年に宮田識デザイン事務所(現・株式会社ドラフト)を設立。
「キリン一番搾り」、「麒麟淡麗<生>」、「ウンナナクール」、「世界のKitchenから」などの
商品・事業開発の企画を中心に、広告・SPの企画デザイン、ブランディングを手がける。
1995年に「D-BROS」をスタートさせ、プロダクトデザインの開発・販売を開始する。
東京アートディレクターズクラブ会員。

──
良重さんと植原さん、
おふたりが
就職先としてドラフトを選んだ理由を、
教えていただけますか。
渡邉
わたしはね、
実はドラフトで3つ目なんです。会社。

はじめの会社は4ヶ月で辞めちゃって、
ふたつめの会社は、8ヶ月かな。
──
はい。なんだか、意外です。
渡邉
わたし、美大を出ているわけじゃなく、
山口大学の教育学部から
筑波大学の研究生になったので
デザイナーの友だちが
ほとんどまったく、いなかったんです。
──
美術の先生になろうと思っていらした、
ということですよね、たしか。
渡邉
だから、就職先を見つけるのにも、
ほんともう、手探り状態だったんですが、
ふたつめの会社にいたときに、
ちょうど
『コマフォト』(『コマーシャル・フォト』)と
『イラストレーション』という雑誌に
宮田識デザイン事務所の記事が載っていたんです。

わたし、「宮田識デザイン事務所」のことは
知らなかったんだけど、
そこで、
以前、写真美術館で見て「いいな」と思っていた
ポスターが紹介されていたんです。
宮田
それ、何のポスター?
渡邉
あの、写真雑誌の『ZOOM』の。

見た瞬間「わ、このポスターいいな」と思って
強く印象に残っていました。
で、ああ、あのときのポスターは
この「宮田識デザイン事務所」というところで
つくっていたのかと思って、
「宮田識デザイン事務所」に手紙を書きました。
──
それは、会社に入れてください、と?
渡邉
そう、ずうずうしくも、
「もし今、社員を入れるつもりがなくても、
 面接だけ、していただけないでしょうか」
とお願いしたんです。

で、後日、面接していただいたんですけど、
そのとき‥‥宮田さん、
覚えていないかもしれないけど、社内では
「男の子がほしい」となってたらしく。
──
でも、面接してくださった?
渡邉
わたしの名前、「よししげ」と読めるから。

だから「あ、男の子から就職の手紙が来た」
と思ったそうなんです、みんな。
──
え、それで‥‥。
渡邉
でも、電話で、女だったのがバレたんですけど、
もう電話かけちゃった手前、
いちおう、面接はしてくださったんですね。

ただ、そのときは、話の流れ的に
「入れないんだな」というのがわかったんです。
面接の最後に、宮田さんからも
「今の会社で、あと半年くらいがんばってみて、
 それでもダメなら連絡ちょうだい」
と言われて。
──
じゃ、落ちた。
渡邉
いえ、それが、そのときにはもう、
前の会社には退職の意思を伝えていたので、
「もう辞めるの決まってるんです」
と言ったら、入れることになりました(笑)。
──
急に(笑)。すごい。逆転サヨナラ弾ですね。

ちなみに、宮田さんは、
そのあたりのこと、覚えていらっしゃいます?
宮田
覚えて‥‥ないなあ。
渡邉
当時の「宮田識デザイン事務所」は
ADC(東京アートディレクターズクラブ)の
グランプリ‥‥
当時は「最高賞」って言ってたんだけど、
そういう賞も獲ってたんです。

わたし、そこらへんの知識がまったくなくて。
宮田
社員が5~6人くらいの、
まだまだ、ちっちゃな会社だったしね、当時は。
渡邉
だから、あのとき『コマフォト』を
見てなければ、宮田さんに手紙も書いてないし、
今、こうしてキギとして
デザインの仕事をしていることも、ないんです。
──
ちなみに
ADC(東京アートディレクターズクラブ)の
グランプリというのは
昨年、キギさんも
KIKOF(キコフ)で受賞されてましたね。

では、植原さんのきっかけは‥‥。
植原
俺の場合も『コマフォト』なんだけど、
募集広告に、やられちゃって。
──
募集広告。
植原
就職活動のとき、
仲間がどんどん就職先を決めていく中で、
ひとりぽつんと、残されちゃったんです。

そんな時期に『コマフォト』を見てたら、
「ドラフトの新人を募集します」と。
──
ドラフトの新人!
植原
かっこいいでしょ? すごく自信満々に見えた。

しかも俺、巨人ファンなんで、
「ドラフトの新人を募集します」と言われたら、
応募するしかなくって(笑)。
──
なるほど(笑)。

ちなみに、植原さんのときには
もう「宮田識デザイン事務所」じゃなく
「ドラフト」だったんですね。
植原
うん。で、俺もそのとき、ドラフトについては
詳しく知らなかったんで、調べたんです。

そしたら、まだ札幌に住んでいたときに
街の中で、足を止めて、
しばらく眺めちゃったポスターがあるんだけど、
それが、ドラフトだったのね。
渡邉
あ、ラコステのポスター。
植原
そう、CD(クリエイティブディレクター)が
宮田さんで、デザイナーが良重さんの。
──
わあ、すごいですね。運命的というか‥‥。
植原
前の「宮田識デザイン事務所」から
「ドラフト」って名前に社名を変えたところも、
可能性を感じていたんです。

つまり、ただの個人事務所じゃないというか、
ようするに、
新人でも実力があれば活躍できるような、
そういうチャンスのある会社なのかな、って。
──
おふたりを組ませたのは、宮田さんですか?
宮田
まあ、それがボスの役目だから。
渡邉
いちばんはじめは、
仙台にあるベーカリーカフェの仕事。

caslon(キャスロン)っていうんだけど、
ドラフトも出資して
共同でつくったお店だったんですね。
──
はい。
渡邉
宮田さんがCDで、わたしがデザイナー。

でも、ロゴから広告からお店のことまで
丸ごとぜんぶやるから
「誰かもうひとり必要だね」って話してたら、
ウエさんが「やりたい」って。
──
立候補。
渡邉
あれは、2年目‥‥3年目くらい?
植原
2年目の後半。
渡邉
それまで、社内のウエさんのこと、
「この人、本当にデザインが好きなんだな」
というふうに見ていたんです。

でね、宮田さんがAD・CD、
わたしがデザイナーという組み合わせで
やっていたときは、
わたし、しょっちゅう「質問」してたの。
──
宮田さんに。
渡邉
たとえば「デザイン、どうですか?」とか、
「表紙つくってみたんですけど」とか。

でも、あるときに、宮田さんに
「俺がトイレに行く途中でつかまえるな」
って、言われたんです。
──
ええ。
渡邉
たしかに、宮田さんは
どんどんどんどん忙しくなっちゃってるから、
他に相談できる人がほしいなあ、と。

で、相談するなら、デザイン好きな人がいい。
──
はい。
渡邉
当時のドラフトには、デザイン好きな人って
もちろんたくさんいたんですけど、
そのなかでも、
ウエさんは、根性が、ちょっと違ったんです。
──
と、言いますと?
渡邉
何だろう、「デザインが好き」と言ったときの
「根性」みたいなものが、他と違った。

たとえば、ウエさんがつくった、
ミハラくん
(アパレルブランドのミハラヤスヒロ)の
インビテーション・カードって、
開くと黒地に赤い椅子がポップアップする、
そういうつくりだったんです。
──
ええ、飛び出す絵本みたいなイメージですね。
渡邉
でも、もともと白い紙に色を印刷してるから、
ポップアップしたときに
赤い椅子の「側面」が白くなる、どうしても。
──
「側面」というのは、用紙の厚みの部分。
渡邉
そう、その、何ミクロンだか知らないけど、
その、ほそーい「白」が嫌だからって、
ウエさん、
1枚1枚、側面をマジックで塗ってた。

あれ、何枚あったか忘れちゃったけど‥‥。
植原
2000枚くらい。
渡邉
2000枚ですよ?
ひとつひとつ、マジックで塗ってたんです。
植原
封筒もちょっと変わったやつにしたくて、
自分で切って折って、つくりました。
──
それも同じ2000枚、ですよね‥‥。
渡邉
そんなふうにしてる姿を見て、
「ああ、この人、デザインが好きなんだな」
と思って、
で、せっかく一緒にやるなら、
こういう人と組みたいなぁと思ったんです。
──
その時点で、
今のキギに育っていく芽は吹いていた、と。
渡邉
そうですね、もう‥‥20年くらい前の話。

<つづきます>