岩井 |
映画とか映像の世界は、
どこかで「天才がやってる領域」みたいな
イメージがあるんです。
そういうことを思われがちだから、
ぼくはけっこうスタッフに
ガミガミ言ったりするんですよ。
ほんとに天才がやっているような
高い領域について話をしているんだったら
いいんだけど、そうじゃないことが多い。 |
糸井 |
例えば、どんなこと? |
岩井 |
映画のしあげとか、
いろんなときに言うんですけど、そうすると
「岩井はほんとうに完全主義者だ」
とかいう話になっちゃう。
でも、そうじゃないんです。
例えばタバコを買ったときに、
ふつう、箱が破れていたりはしないでしょう。
「みんながやってることって、
破れてるでしょう。
そういうことを、ちゃんとやらないと
だめだよね」
こういうことが最近すごく多い。
本でいえば、誤字脱字にあたることですね。
「これって、消費者に出すものだろう」
というボトムのところへの意識が、ない。 |
糸井 |
食品だったら、
食中毒を出したらそれで、
おしまいですもんね。 |
岩井 |
そうです、そういうことです。
ぼくらが映像をはじめて駆け出しのころは、
スタジオに入っても、
あらゆる機材がまだアナログだったから、
基礎を必要とされたんです。
でも、デジタルになったら、
何でもかんでも、あけたらもう
作業をはじめることができちゃうんですよね。
放送事故になるような
ちょっとしたノイズとか、
そういうことに対する意識が
なくなってきちゃった。 |
糸井 |
そうすると、ものごとに対する
敬意みたいなものが
生まれるチャンスがないですね。 |
岩井 |
そうなんです。
コンピュータの中だと、ものが汚れない。
例えばデザインをするときだったら、
紙があって、ボードがあって、
紙の端がちょっと曲がってきたり、
そういうところから
指汚れがはじまったりとか、する。
だから、なるべくそうならないように
「そっと」取り扱うんです。
そういうことがなくなったぶんだけ、
意識がついていかなくなった。 |
糸井 |
図面上で追体験するというのは
そうとう高度な技術だから、
完璧な企画書とか進行表をつくっても
うまくいかないですよね。
ぼくは『アポロ13』という本が
大好きなんだけど、
アポロ13号(註)が宇宙で故障しているときに、
同じものが地上にあって、
同じ故障を起こさせて、
その修復について考える部分がありました。
物と物で対応させて、時間軸も同じにして、
いわばシミュレーションをやってみる。
アポロ13註
1970年、3人のパイロットを乗せて
月へと飛び立ったアポロ13号は、
月まであと一歩のところで、
酸素タンク、燃料電池などが
爆発事故を起こした。
33万キロ離れたNASAと無線交信しながら、
やっとの思いで帰還を果たす。
船長ジム・ラベルが本にまとめ、
96年には映画化された。
『アポロ13』
新潮文庫
ジム・ラベル+
ジェフリー・クルーガー著
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コンピュータの技術も、根本的には
シミュレーションの回数がふえた
ということで進化したらしいんです。
だめだったポイントを捜すのって、
やっぱりそうとう偶然性があるから。
「デジタルは簡単になること、
速くなることだ」
というふうに考えている人って、
致命傷とか偶然性とかという、
「やってみる」ということに対して
教わってないんじゃないかな、
という気はするね。 |
岩井 |
そうですね。 |
糸井 |
アポロの話は、最初読んだとき、
アゴがはずれるほど驚いたんです。
「結局、同じものをつくって、
やってみるんだ」って。
岩井くん自身は、
「自分で文字をつくる」みたいに、
小さいころからそういう意識を
ずうっと持っていたの? |
岩井 |
ええ。
先生でも、黒板の字の書きっぷりが
格好いい人が好きでした。 |
糸井 |
ディテールをじっと見てたんだ。 |
岩井 |
黒板の文字のレイアウトがきれい、
とかでね(笑)。そんな
「リアルに完成されているようなもの」に
すごく魅かれたんです。
この感覚は、ぼくだけのものじゃないと思う。
60年代、70年代の少年期を生きてきて、
「完成されて世に出てくるもの」に
すごく魔力があった。 |
糸井 |
うん、あった、あった。 |
岩井 |
自分たちで何かをつくると、
疑似的なものしかできない。
わりばしかなんかで、
いっしょうけんめいつくっても、にせもの。 |
糸井 |
粘土を使ったりしてね。 |
岩井 |
ぼくらがどうつくったって、
本物というのは別に存在していて、
あこがれの本物とは、
歴然と線引きがされていた。
だから、本物に対するものすごいあこがれが
ありました。 |
糸井 |
それ、何といっていいかわからないけど、
わかるわ。おれもある。
だから、いま自分でやってることのなかでも、
「おれにもこれができた」という喜びが、
いつでもあるね。 |
岩井 |
そうなんです。
「本物ができた感動」ですね。
はじめて映画をつくって、
それが上映されたときに、
映写されているということの感動が
いちばん大きかった。 |
糸井 |
さっきの「活字」と同じだよね。 |
岩井 |
あ、ちゃんとスクリーンの両サイドが
きれいに切られているな、とか。 |
糸井 |
何なんだろうね、それね。 |
岩井 |
それってばかにならないことなんですよ。
そのときに流れてるものが
「らしく」なかったら、
自分の中でNGなんですよ。
映画じゃないよ、これ。
そこはキュッとちゃんと締めてやらないと、
というのが今でもあります。 |
糸井 |
金型が要るようなものというのも
同じようなところがありますね。
粘土細工とは違う、ダミーじゃない。
おれ、つくれるのかな。
「ほぼ日」の、おサルのクレジットカード、
つくっていいのかな(笑)?
この「大人になりたい感覚」は、
一生続くような気がします。 |
岩井 |
ええ。 |
糸井 |
さっき、岩井くんは完全主義だと
思われがちだと言っていたけれども、
「大人は嫌だ」という人からみたら、
「大人の、本物」ができたほうが
かっこわるいと思うでしょう。
破れた商品を出したときに、
「いいじゃん、そっちのほうがかっこいい」
という青春欲望がある。
けれど、自分は青春の時代があったけど、
どこかで涙の別れをしてるような気が
するんです。 |