岩井俊二監督と、
ほんとにつくること。

対談「これでも教育の話」より。

第5回
「らしく」あること。
(岩井俊二さんのプロフィールはこちら)



岩井 映画とか映像の世界は、
どこかで「天才がやってる領域」みたいな
イメージがあるんです。
そういうことを思われがちだから、
ぼくはけっこうスタッフに
ガミガミ言ったりするんですよ。
ほんとに天才がやっているような
高い領域について話をしているんだったら
いいんだけど、そうじゃないことが多い。
糸井 例えば、どんなこと?
岩井 映画のしあげとか、
いろんなときに言うんですけど、そうすると
「岩井はほんとうに完全主義者だ」
とかいう話になっちゃう。
でも、そうじゃないんです。

例えばタバコを買ったときに、
ふつう、箱が破れていたりはしないでしょう。
「みんながやってることって、
 破れてるでしょう。
 そういうことを、ちゃんとやらないと
 だめだよね」
こういうことが最近すごく多い。
本でいえば、誤字脱字にあたることですね。
「これって、消費者に出すものだろう」
というボトムのところへの意識が、ない。
糸井 食品だったら、
食中毒を出したらそれで、
おしまいですもんね。
岩井 そうです、そういうことです。
ぼくらが映像をはじめて駆け出しのころは、
スタジオに入っても、
あらゆる機材がまだアナログだったから、
基礎を必要とされたんです。
でも、デジタルになったら、
何でもかんでも、あけたらもう
作業をはじめることができちゃうんですよね。
放送事故になるような
ちょっとしたノイズとか、
そういうことに対する意識が
なくなってきちゃった。
糸井 そうすると、ものごとに対する
敬意みたいなものが
生まれるチャンスがないですね。
岩井 そうなんです。
コンピュータの中だと、ものが汚れない。
例えばデザインをするときだったら、
紙があって、ボードがあって、
紙の端がちょっと曲がってきたり、
そういうところから
指汚れがはじまったりとか、する。
だから、なるべくそうならないように
「そっと」取り扱うんです。
そういうことがなくなったぶんだけ、
意識がついていかなくなった。
糸井 図面上で追体験するというのは
そうとう高度な技術だから、
完璧な企画書とか進行表をつくっても
うまくいかないですよね。
ぼくは『アポロ13』という本が
大好きなんだけど、
アポロ13号(
註)が宇宙で故障しているときに、
同じものが地上にあって、
同じ故障を起こさせて、
その修復について考える部分がありました。
物と物で対応させて、時間軸も同じにして、
いわばシミュレーションをやってみる。

アポロ13註
1970年、3人のパイロットを乗せて
月へと飛び立ったアポロ13号は、
月まであと一歩のところで、
酸素タンク、燃料電池などが
爆発事故を起こした。
33万キロ離れたNASAと無線交信しながら、
やっとの思いで帰還を果たす。
船長ジム・ラベルが本にまとめ、
96年には映画化された。

『アポロ13』
新潮文庫
ジム・ラベル+
ジェフリー・クルーガー著

コンピュータの技術も、根本的には
シミュレーションの回数がふえた
ということで進化したらしいんです。
だめだったポイントを捜すのって、
やっぱりそうとう偶然性があるから。

「デジタルは簡単になること、
 速くなることだ」
というふうに考えている人って、
致命傷とか偶然性とかという、
「やってみる」ということに対して
教わってないんじゃないかな、
という気はするね。
岩井 そうですね。
糸井 アポロの話は、最初読んだとき、
アゴがはずれるほど驚いたんです。
「結局、同じものをつくって、
 やってみるんだ」って。
岩井くん自身は、
「自分で文字をつくる」みたいに、
小さいころからそういう意識を
ずうっと持っていたの?
岩井 ええ。
先生でも、黒板の字の書きっぷりが
格好いい人が好きでした。
糸井 ディテールをじっと見てたんだ。
岩井 黒板の文字のレイアウトがきれい、
とかでね(笑)。そんな
「リアルに完成されているようなもの」に
すごく魅かれたんです。
この感覚は、ぼくだけのものじゃないと思う。
60年代、70年代の少年期を生きてきて、
「完成されて世に出てくるもの」に
すごく魔力があった。
糸井 うん、あった、あった。
岩井 自分たちで何かをつくると、
疑似的なものしかできない。
わりばしかなんかで、
いっしょうけんめいつくっても、にせもの。
糸井 粘土を使ったりしてね。
岩井 ぼくらがどうつくったって、
本物というのは別に存在していて、
あこがれの本物とは、
歴然と線引きがされていた。
だから、本物に対するものすごいあこがれが
ありました。
糸井 それ、何といっていいかわからないけど、
わかるわ。おれもある。
だから、いま自分でやってることのなかでも、
「おれにもこれができた」という喜びが、
いつでもあるね。
岩井 そうなんです。
「本物ができた感動」ですね。
はじめて映画をつくって、
それが上映されたときに、
映写されているということの感動が
いちばん大きかった。
糸井 さっきの「活字」と同じだよね。
岩井 あ、ちゃんとスクリーンの両サイドが
きれいに切られているな、とか。
糸井 何なんだろうね、それね。
岩井 それってばかにならないことなんですよ。
そのときに流れてるものが
「らしく」なかったら、
自分の中でNGなんですよ。
映画じゃないよ、これ。
そこはキュッとちゃんと締めてやらないと、
というのが今でもあります。
糸井 金型が要るようなものというのも
同じようなところがありますね。
粘土細工とは違う、ダミーじゃない。
おれ、つくれるのかな。
「ほぼ日」の、おサルのクレジットカード、
つくっていいのかな(笑)?
この「大人になりたい感覚」は、
一生続くような気がします。
岩井 ええ。
糸井 さっき、岩井くんは完全主義だと
思われがちだと言っていたけれども、
「大人は嫌だ」という人からみたら、
「大人の、本物」ができたほうが
かっこわるいと思うでしょう。
破れた商品を出したときに、
「いいじゃん、そっちのほうがかっこいい」
という青春欲望がある。
けれど、自分は青春の時代があったけど、
どこかで涙の別れをしてるような気が
するんです。

<つづきます>

2003-04-21-MON

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