第1回
■四十歳のカメ |
糸井 |
石川先生のご専門は昆虫ですが、
ご自宅ではクサガメを飼ってらっしゃる。
そのことを書かれた『うちのカメ』という本には、
子ガメのときからすでに三十五年とありましたが、
その後のカメは?
|
石川 |
四十歳になりました。
|
糸井 |
はぁ、四十歳!
|
石川 |
見に来られて、「自分より年上だ」
とおっしゃる方が多くて。(笑)
|
杉浦 |
すごいですねぇ。僕が調べた記録では、
セーシェルに百八十何年生きたというカメがいて、
“マリヨンのカメ”と呼ばれて伝説になっています。
だけどそれはゾウガメですね。
飼われはじめたときにすでに五十年くらいたっていて、
一人の人間が子ガメのときから
ずっと飼ったというわけじゃない。
|
石川 |
クサガメで長く飼われた記録は、
フィラデルフィア動物園での
二十四年三ヵ月だそうです。
うちのは、結婚の翌年、
新宿の駅前を家内と一緒に
歩いていたときに買って以来、
四十年ですから、記録を更新中です。
|
糸井 |
他の動物で、四十年も長生きするものというと……。
|
杉浦 |
哺乳動物ならゾウ、鳥類だとツルくらいでしょう。
|
糸井 |
ラジオの『全国こども電話相談室』でも、
カメの相談は多いんですか?
|
杉浦 |
ええ。とくに春と秋。
春は、冬眠から覚めても餌を食わない、
目が白くなって開かないというような質問が多くて、
これが十月を過ぎると、餌を食べなくなった、
病気じゃないか、冬眠のさせ方を教えてくれ
という相談が増えます。
ひところはね、寒いから真綿にくるんで
タンスにしまっといてやったら、
春には干からびちゃってた、なんていうのも。(笑)
|
糸井 |
僕も一年半前からクサガメを二匹飼っているんです。
カメを飼っている人はけっこういますよね。
|
杉浦 |
たくさんの人から、
「うちのカメは、うちのカメは」
という話を聞きます。
TBSの駐車場の責任者やってるおじさんが、
やっぱり大のカメ好き。
そのカメは鳴くんだそうです。
|
糸井 |
うちのもこのあいだ声を出した、ピーッて。
カメ自慢しに来たわけじゃないですけど(笑)。
うちのカメ、二匹の体の大きさに、
ものすごく差がついちゃったんです。
あれは何なんでしょうか。
|
石川 |
それは多分、食べ物の取り方の上手下手です。
二匹を別々にして餌をやると、
小さいのも大きくなりますよ。
|
杉浦 |
糸井さんは餌は何を?
|
糸井 |
その名もズバリ、「カメの餌」というのを。
値段が高いんですけど。
|
石川 |
うちは、子どもの頃はミミズもやりましたが、
今はコイの餌です。
|
糸井 |
最近は煮干しもやっています。
|
杉浦 |
動物性たんぱくで、カメがよく食べるものなら、
何だっていいですよ。
|
糸井 |
面白いのは、石川先生のカメは
ずいぶん長いこと名前なしで、
二十年くらい経ってはじめて名前がつく。
そういう時間の流れ方に、僕は憧れましてね。
|
石川 |
直径三十センチくらいの丸い水槽で飼っていたんですが、
その状態は金魚を飼っているのと同じ。
金魚に名前はつけないでしょう。
それと最初は四匹いたのが、
死んだり盗まれたりして一匹になった。
一匹ですから、べつに名前つけなくても、
「カメ」でいいわけです。
|
糸井 |
確かに。(笑)
|
石川 |
二十数年経った頃、水槽から出して床に放してみたら、
そのうち家の中を自由に動きまわって、
好きな場所に行くようになりましてね。
そうなると人間との関係も違ってくる。
僕たちと同じ生活空間にいるわけで、
これはやっぱり名前がいるなあ、と。
それで、「カメコ」と呼ぶようになったんです。
メスですし。
|
糸井 |
現実が名前を呼びこんだ。
|
石川 |
そうなりますね。
|
糸井 |
じゃあ、もともとペットとして
お飼いになったつもりではなく……。
|
石川 |
ペットって一体何だということですよね。
動物を好きな人なら、身近に置いて
可愛がってやろうと思います。
その対象が犬とか猫が普通で、
犬なんかは社会性の動物だから、ちゃんと躾けられる。
これが魚になると、餌をやれば来るけど、
これは単なる条件反射。人も認識しないでしょう。
カメなんていうのは、その中間くらいですから。
|
糸井 |
多少は人間に親近感をもっているんでしょう。
|
石川 |
鏡を見せると後ずさりする。
少なくとも、自分の姿を見て愉快な様子じゃない。
もう25年くらい同類を見ていませんから、
自分の姿だとは認識していないのかもしれません。
僕たちのところには寄ってきますから、
人間に対してより親近感をもっていることは確かです。
|
杉浦 |
四十年おつきあいになって、
先生はカメを利口だと思われますか?
|
石川 |
知能が高いとは考えていませんでした。
しかし、こうして長く見ていると、
バカにしたほどではないなと(笑)。
知能程度というのは、その動物が生きていくために
何が必要かということですね。
そのニーズに対して充分な能力があればいいわけで、
余分な能力は必要ない。
|
糸井 |
いいですね、その定義。
|
石川 |
犬だと社会性の動物ですから、
グループの中に力関係があって、
自分より上にいる者に対しては一目置き、
下に対しては君臨する。
生きていく知恵として、それを心得ているわけです。
コミュニケーションの手段も必要で、
サルだと毛づくろいをするし、
音声による言語のような
形になっているものもあります。
ところがカメは孤独性の動物だから、
コミュニケーションする必要がないんです。
|
糸井 |
孤独性……?
|
石川 |
グループをつくらない、
社会生活をしないということですね。
求愛行動以外は、
個体間のコミュニケーションはなくて、
ほかのカメと会っても、
食べ物をめぐってケンカすることでもない限り、
ただ行き過ぎるだけ。
|
杉浦 |
以前インドネシアのジャワ島に、
ジャワサイに会いに行ったとき、
だだっ広い草原にハコガメが一匹いましてね。
あんな寂しいところに、ポツンと一匹、
身動きもせずにいる姿を見て、
まさに孤独に生きてるんだなと思いました。
|
石川 |
だからカメには言葉がないと思っていたら、
カメコには「カメ語」
というのがいくつかありまして。
夜はバスルームに置いてある
水槽にもどるんですが、
自力では水槽に入れない。
その場合、入ろうと無駄に暴れたりせず、
バスルームの隅にじっとしていて、
われわれが行くとはじめて水槽のまわりを回るんです。
それは、「入りたい」という
カメコのボディランゲージなんですね。
|
糸井 |
その光景、なんかいいですねえ。
|
石川 |
それから僕が居間にいると足元にまとわりついて、
膝に乗せると寝てしまう。
つまり足元に来るのも、膝に乗りたいという
カメコの言葉、意思表示ですね。
これは余談ですが、なぜ膝に乗りたいかというと、
たぶんあったかいところが
好きなんじゃないかと思うんです。
カメコは家内より僕のところによく来ますが、
女性より男性のほうが体温が高いためじゃないかな。
だからカメにとって愛情というのは「熱」である、
と思っているんですけどね。(笑)
|
杉浦 |
そういうふうにおっしゃれるのは、
先生がやっぱり学者だからですね。
普通の人たちはそこまで分析しません。
ただ、やたらに擬人化してしまうだけで。
|
糸井 |
それにしても、
カメコはちゃんと学習しているんですね。
|
石川 |
水槽から出てからの二十年で、
自分の欲求を満たすためには
どうすればいいかというのを、
やっといくらか身につけたんでしょうね。
空調ボックスの上があたたかいことを覚えたら、
水槽から出すとまっすぐにそこに行きます。
自分で上がれないから、じっと上を見上げてる。
で、僕らが上に乗せてやる。
夜になって降りたくなると、
われわれが差し出した手にちょこんと乗ってくる−−
そういうことを規則正しくやってるわけです。
|
糸井 |
最大に重要な環境の一つとして、
飼い主がいたということですね。
|
石川 |
ええ。クサガメの能力としては
最大限を発揮しているんだろうと思うんです。
子ガメ時代はいつも餌を他のカメに取られていた、
ドジで落ちこぼれのカメなんですけどね。
知能があるなと感じることは他にもあって、
一つは「イヤ」というとき
前足をグーッと挙げるんです。
|
糸井 |
拒否のポーズ、ですか。
|
石川 |
カメコを持って水槽のあるバスルームに行く途中、
違う方向に向けると、この動作をします。
いかにも「イヤン」という感じで(笑)。
これも意思表示でしょうね。
それから、首を持ち上げて
こっちの顔をしげしげと見るというのもやります。
これにもまいっちゃって(笑)。
まあ、こっちが思い入れているほど、
カメコは身を入れて
見ているのかどうかわかりませんが。
(つづく)
|