第2回
■ペットの幸せとは? |
糸井 |
動物園の場合だと、生き物との関わり方は
また違うんでしょうか。
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杉浦 |
飼育係はみんな生き物が好きですが、
生き物の種類に見合った適性というのがあります。
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糸井 |
人間と動物との相性みたいなものですか。
カメには向いているけど鳥には向いていないとか。
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杉浦 |
ええ。自分はオランウータンをやりたくても、
オランウータンがその人間を寄せつけない。
ですから動物園というのは、
この人間ならばこの動物ができる
という見極めが大事で、
好きだから何でもできると思うのは間違いなんです。
それから、上野動物園だと東京都のものですから、
僕らが生き物を飼育するというのは、
東京都の財産である、
たとえばカメの面倒をみるということです。
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糸井 |
(おおやけ)
公のカメですね。(笑)
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杉浦 |
動物たちに三度のメシを食わせるのが仕事で、
三六五日、動物とつきあわなきゃいけない。
だから飼育係には、家に帰ってまで
犬や猫を飼っている人間は少ないです。
若いのに年寄りくさい趣味で、
昼休みに石を一所懸命に磨いていたり、
菊をつくったりとかね。
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糸井 |
仕事を離れたときは、
もの言わぬ対象を相手にする……。
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杉浦 |
そして、動物に対しては
自分の感情をもろにぶつけない。
稀に感情を入れ込む人間もいるけど、
死んだときにオイオイ泣き叫んでしまうんです。
でも、それだと仕事にならないでしょう。
動物とそういう接し方をしているものだから、
先生のお話を聞いてて羨ましいなあって。
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糸井 |
じゃあ、家では何もお飼いになってない?
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杉浦 |
池の中に、金魚が一匹いるだけ。
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糸井 |
さっぱりしてますね(笑)。
お話を聞いてると、お二人とも、
いわゆる“ペットブーム”という中での
生き物との関わり方とは違いますよね。
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石川 |
僕はもともと生き物が好きで、
それで昆虫学者になったくらいです。
だから飼っているものに対して愛情を注ぐし、
エモーショナルですけど、
やはり科学者の見方になっているかもしれない
ところはあります。
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杉浦 |
石川先生は、その生き物の性質、特質だとか、
基本をきちんと踏まえたうえで飼ってらっしゃるから、
カメは四十年も長生きしてるんでしょうね。
僕が昭和三十九年に始まった
『全国こども電話相談室』に
三十年以上も関わってきた大きな理由は、
身近な動物について、
「どうすればいいの」「どうなっているの」
という子どもたちの質問が必ずあるからなんです。
子どもたちの疑問は大切にしたい。
だけど今は、啓蒙書みたいな本があふれてすぎていて……。
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糸井 |
マニュアル本ですね
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杉浦 |
それがかえって、知識を浅いものにしてるんです。
子どもは上っ面だけ見て、
「僕にも簡単に飼えそう」だと思う。
でも生半可な知識はあっても、
肝心なことは知らなかったりするから、
何かアクシデントがあると対処できない。
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糸井 |
生き物に対するセンス
みたいなものが欠けていると……。
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石川 |
生物に対する基礎的な知識ですね。
将棋を指すのに、少なくともどの駒が
どう動くかは知らないといけない。
その基本を知っていれば、
あとはどんなバリエーションにも適応できます。
生き物でいえば、それぞれに特性があります。
その動物が本来どういう環境にいるか、
そこで生きるために
体はどんなメカニズムになっているか、
そういうことを知っておけば、
その動物に最低限何をしてやればいいのかが
自ずからわかります。
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糸井 |
それなら、
ペットに服を着せるなんてこともしない。
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石川 |
自分がしたいことを、
生き物も同じようにしたいんだ
と考えるのがおかしいんです。
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糸井 |
飼う側の人間の立場としては、
相手をよく知ることが
すべてのはじまりというわけですね。
ということは、
「あなたのしてほしいことを、相手にしなさい」
というテーゼで動くんじゃなく、
「あなたのしてほしいことを、
相手がしてほしいとは限らない」
というのがこれからのニュールールかもしれません。
これは人間同士にも言えます。
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石川 |
犬を飼うにしても、
人間を可愛がるやり方じゃなくて、
犬が人間のファミリーに
うまく溶け込んで生きていくには、
どうすればいいかを考えることが大事なんです。
つまり、犬にそのファミリーでの順位が
最下位であることを教えるための躾、
それが犬にとってはいちばん幸せなんでね。
もしそれができていなくて、
犬が家族の誰かに噛みつくようなことになれば、
犬自身が家族から嫌われて生きにくくなってしまう。
そういうことをわかっていない飼い主は多いですよ。
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杉浦 |
人間が生き物に何をしなきゃならないかを
わきまえたうえでペットをお飼いなさい、
ということですね。
それができれば、
生き物を飼うのはとても意味のあることですよ。
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糸井 |
そうだと思います。
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杉浦 |
今、子どもたちを見ていて
変わってきたなと感じるのは、
昔の子どもたちは泥まみれになって
自然の中に入っていくんです。
生き物が生きている姿に直に触れていた。
そういうところから、
基本的な知識を得ていたんだと思うんです。
ところが、最近は、どの子もきれいでしょう。
汚れることはやらない。
動物園の入園者が減ってきた大きな理由の一つに、
「動物園は臭いから」というのがあります。
そういう人種が増えている。
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石川 |
動物園はいいところなんですけどね。
いるのが全部、本物なんですから。
本物を見るのは知ることの基本です。
今、映像だとか、ほとんど疑似体験ばかりでしょう。
甥が子どもの頃の話ですが、
どんな動物でも絵本で見てよく知ってるんです。
あるとき母親が上野動物園に連れていって、
門を入ってすぐの所で最初に見た
毛の長いモルモットを指さし、
「これ何?」と聞いたら、甥はしばらく考えて
「ライオン」(笑)。
彼の知識は絵本だけでしたから。
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糸井 |
縮尺が狂っている。
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杉浦 |
それは笑えない話で、
絵や写真だけで理解しているというのは多いです。
水族館に来たのに
本物の魚を見ない子どもがいるんですよ。
水族館は照明をつけないと見えないでしょう。
するとマダイの赤い色なんかは白茶ける。
今の子は図鑑や本で覚えているから、
水族館のマダイはマダイに見えないらしく、
「こんなんじゃないよ」って頭から否定して、
ネームプレートの絵や写真ばかり見てる。
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糸井 |
先生、怒ってますね。(笑)
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石川 |
せっかく本物が目の前にあるのに、
疑似体験のほうを選んじゃうんですね。
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杉浦 |
そういう具合だから、
よし自分で生き物を飼ってやろう
と勢い込むような子が少なくなって、
テレビゲームだとかいろいろな
遊びと同列に並んだ中に、
ペットが存在する。
で、ペット屋さんに行けば、
「はい、これが餌、これが飼育箱、
これが飼い方の解説書」
と、全部セットで揃えてくれます。
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糸井 |
カタログ販売みたいな感じで。
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杉浦 |
お膳立てしてくれたものをそのままやれば、
間違いなく飼えちゃう。
でも、僕は本当はそうじゃないだろうと思う。
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糸井 |
もっと間違ったり、
頭を悩ませたりということも大切だと。
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杉浦 |
わからないから、
自分で調べたり、工夫したりするんです。
たとえば
「カメにはこの餌しかダメ」ではないんです。
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糸井 |
はい、さっき反省しました。(笑)
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杉浦 |
ミミズでもいい。
糸ミミズは金魚屋さんで売っているけど、
たまには泥ミミズを捕ってこようか。
じゃあ、泥ミミズはどこにいるんだろう、
どうやって捕るんだろう−−と
なっていくわけです。
糸井さんは、オタマジャクシから
カエルになったばかりの、
小さいヒキガエルを飼ったことはありませんか?
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糸井 |
子どもの頃、あります。
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杉浦 |
餌は何でした?
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糸井 |
玉子の黄身じゃなかったかな。
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杉浦 |
あれ、ショウジョウバエを食わせるといいんです。
ところが今の子どもたちは、
ショウジョウバエがいいと聞いても、
どうやって捕まえたらいいかわからない。
そしたらある子が、牛乳ビンの中に
バナナの皮をひとっぺら入れて、
台所の隅に置いておいたんですって。
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石川 |
飛んできたハエがその中に入る。
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杉浦 |
それをパッと押さえて、蝿帳の中に入れておく。
そこで繁殖したハエを
カエルに食べさせればいいんです。
よくそこまで考たねって、僕は言ったんです。
港区の芝小学校の子ですよ。
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糸井 |
素敵な子どもだなぁ。
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杉浦 |
生き物というのは時に死ぬし、犠牲にもなる。
でも、それを乗り越えて、
あっ、こうやったらうまく育てられた、長生きした、
というのがあるからこそ、
飼う楽しさ、喜びもあるわけでね。
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糸井 |
そこですよね。
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杉浦 |
そもそも生き物というのは、大昔、
最初からわれわれ人間が飼おう
なんていうものじゃなかったんですよ。
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糸井 |
「食おう」−−ですか。
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杉浦 |
食おう、の前です。
人間が最初につきあうのは犬ですが、
二本足で歩くようになったとき、
人間は足は遅いし何の力も持っていないから、
動物に襲われたら大変です。
そういうとき、
狼をルーツにする犬が身近にいてくれて、
動物の接近をすべて知らせてくれた。
つまり、はじめは人間が犬に頼っていたんです。
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糸井 |
人間のもう一つの感覚として使っていた?
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杉浦 |
犬の優れた聴覚が人間には必要だった。
だからペットじゃないんです。
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糸井 |
なかなかカッコいいなあ、その犬のポジションは。
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杉浦 |
それから生きるための手段として、
人間は動物を従えるようになり、
またどんどん頭を使うようにもなるんですね。
僕はスマトラのボホロフという山の中に入って
オランウータンを見たとき、すごく感心しました。
彼らは午後になると木の上に枝や葉っぱで
寝所づくりをするんです。
現地の案内人が、
「雨具の用意をしろ」と言うから、
なんで雨が降るのがわかるのかと思ったら、
オランウータンが大きな芭蕉の葉を持って、
自分の寝所に入ったからだと。
オランウータンは自分の毛の湿り具合で
雨が降るのがわかるんです。
それで雨で体を濡らさないように
大きな葉を寝所に持ち込む。
もしあの連中が持っていた大きな葉で
風にも壊れないような屋根をつくって、
同じ場所で暮らすことを始めたら、
人間はとても
追いつけないなと思いましたよ。
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糸井 |
お互いに助け合っていこうぜって、
オランウータンが
犬と暮らし始めたら、怖いですね。
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杉浦 |
怖いですよ。(笑)
(つづく)
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