BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

ペット百景「カメは万年、飼育は専念」
(シリーズ3回)

第1回 四十歳のカメ

第2回 ペットの幸せとは?

第3回
■子供の目、大人の目
糸井 生き物と直に接するということは、
“生命”を感じることですよね。
これは、ただ見ているだけでは実感できない。
杉浦 こいつも、めし食ったり、寝たりして、
生きてるんだってね。
僕が小さい頃、トンボ捕りをする子どもの憧れは
ギンヤンマかオニヤンマでした。
ところが、ひと夏に一匹か二匹しか捕れない。
それで腹いせに、
簡単に捕れるシオカラトンボの羽をちょん切ったり、
尻尾を切ってワラを突っ込んだりとか、
そんなことばかりして遊んでました。
糸井 僕もやりました。
ワラで重りをちょうどいい具合につけると、
そのままどこまでも飛んでいくのが面白くて。
杉浦 ところがあるとき、
羽を切って飛ばしたシオカラトンボが
短くなった羽で必死に飛んでる姿を見ていたら、
すごくかわいそうになってね。
「あいつ、死んじゃうのかな」って。
それできっぱりやめました。
悪い遊びなんだけど、このとき生き物の命とか、
命あるものへのいたわり、というものを意識しましね。
糸井 「ほら、いつくしみなさい」って
観念用語で言われるより、
羽を切られたトンボからのほうが、
よほど、「かわいそう」とか「いつくしむ」
ということの意味を教えられます。
杉浦 たとえば花の美しさを、
大人は「ほら、きれいでしょ」と言いますね。
そうすると子どもは、「そうかな?」と感じても、
きれいと言うから、
きれいなんだって思わせられちゃう。
でも、「きれい」なんて抽象的な言葉を
子どもに言ったってわからない。
それより、お母さんが
うっとりして花を眺めている目線を見て、
子どもは自分で気づいたりする。
糸井 忙しいというのも、ひとつにはあるでしょうね。
お母さんにうっとり花を見てる余裕がないから、
「ほら見なさい。はい、きれい」
で簡単にすませてしまう。
でも感じるためには、
具体的な体験こそが、必要なんですね。
杉浦 子どもに生き物と接することを教えようというので、
今、ニワトリを飼うのはどこの
学校でもやっていますね。
でも、これも難しい問題がある。
指導する先生方が飼い方を知らないですから。
上野公園のこども動物園には
白色レグホンがいましてね。
黄色い制服を着た
シルバーガイドのおじさんたちが、
オンドリのカッとした姿より、
メンドリのちょこちょこした姿が可愛いものだから、
「よしよし」といって、よく餌をやるんですよ。
そしたらオンドリは制服をちゃんと覚えていて、
黄色い服を着た人たちがいると、
バーッと追いかけるんです。
石川 言うならば、おれの女に手を出した、
ということですね。
杉浦 群れになるとオンドリがメンドリを守ろうとする。
だから学校でも、餌をやろうとする子どもに
ニワトリが噛みついたりするんです。
こういう性質があるから、
こんなことに気をつけて世話をしなさい
と教えられる先生は少ないです。
石川 みんな知らないですね。
近ごろでは、大学に入りたての学生に
「教科書以外の生物学の本で、
読んだことがあるものは?」
と聞くと、ほとんど何も読んでいない。
生物学科の学生がですよ。
糸井 今の子どもが生き物とのつきあい方を知らないのは、
親や先生を含め大人の責任も
大きいということでしょうか。
杉浦 昔は、猫だとか犬だとかを拾ってきて、
飼っちゃいけないとお母さんに言われて、
「どうすればいいですか」っ
ていう子どもからの相談が
たくさんありましてね。
僕は、「内緒でおまえたちだけで飼っちゃえ。
給食の残りをみんなで
持っていって食わせればいいし」
と答えて、「ここだけの話だぞ」
とラジオでやっちゃったんですけど(笑)。
犬や猫を飼って、面倒をみるのは大変なことです。
でも現実には飼えなくても、
お母さんは頭ごなしに「ダメです」じゃなく、
生き物に対する子どものそういう気持ちを
大事に考えてやらなくちゃいけないと思います。
石川 生き物を見て、いとおしいという感情を失ったら、
人間はもうおしまいでしょう。
生き物を身近に置いて、
その本来の生き方を見ながら
学ぶことの意味は大きいし、
その生き物が自分に懐いてくれればまた嬉しい。
人間の心の安らぎにもなると思います。
そういうチャンスを、
大人は子どもに与えてほしいですね。
杉浦 僕が昭和二十七年に上野動物園に勤め始めたとき、
園長は古賀忠道さんでした。
売札のおばさんから、
こんな話を聞いたことがあります。
戦後、上野には浮浪児がいっぱいいました。
モク拾いや靴みがきをやってて、
食べるためとはいえ、評判は悪かった。
その子たちは動物園に行きたいけど、
お金がないから隠れて入って行く。
それを見た古賀さんは売札場のおばさんに、
黙って入れてやりなさいとおっしゃった。
お母さんと一緒にキリンを
見ている子どもたちの目と、
真っ黒に汚れた浮浪児たちが
夢中になってキリンを見ている目とは同じだと。
そして、「この子たちのために」
という古賀さんの思いが、
上野動物園のいち早い復興につながるんです。
糸井 泣きそうになるお話ですね。
杉浦 動物を見る子どもたちの
美しい目を大事にしたい、
そういう姿勢を今の
大人たちにも求めたいんですよ。
糸井 無意識に、子どもがもっていたはずの
生き物への興味を、
なくさせてしまっているということも
ありますからね。
杉浦 あるとき、女の子からこんな電話がありました。
「金魚が死んだけど、お母さんが
箸でつまんでポリバケツに捨てなさいって」
と言ったきり、ずっと黙ってる。
聞くと、毎朝起きたらすぐに
水槽に見にいってた金魚が、
その朝死んでいた。
お母さんは朝の支度で忙しいし、
死んだ生魚の処置としては、
生ゴミと一緒に捨てるのが
適切だと思ったんでしょう。
お母さんに悪気はなかったと思うんです。
ところが子どもは、
死んじゃった金魚がかわいそうなんだ。
すごく悲しいんだ。
石川 お母さんは、
自分で生き物を飼ったことがないんですよ。
杉浦 その子は金魚を捨てることもできず、
悶々として夕方の四時まで待って、
電話してきたんです。
それで、「きみは宝物を入れるような
小さい箱を持ってないかい? 
その箱に白い脱脂綿を敷いて金魚を寝かし、
箱を公園の片隅にでも埋めてやるといいよ」
と言ったら、その子は、
「わかった」と答えたかと思うと、
すぐにガチャンと電話を切っちゃった。
僕は「ありがとう」
なんていう言葉はどうでもいいの。
今やれることが決まって、
その子は多分、急いで箱を
探しにいったんだと思う。
そして、これであの金魚を
ポリバケツに捨てなくてもすむんだと、
すごくほっとしたんじゃないかな。
糸井 こうしてお話をうかがっていると、
「ペットとは何か」という定義なんて、
どうでもいいという気になってきます。
石川先生のおたくのカメコも、
ペットという括り方では説明できないし。
石川 四十年というのは親子でも
一緒にいないですから。
うちでは、「カメコどうしている?」
「水槽の中で餌食べてる」「日向ぼっこしている」
という会話がしょっちゅう交わされてる状況で、
常に身近にいるし、
ペットという感覚はまったくない。
このあいだ、クサガメの子どもが売られているのを
見ましたらね、非常に可愛い。
今もこれを目にしたら、
僕はまたカメを買うだろうと思いました。
糸井 いいなぁー。
杉浦 この先生のところのカメは抱っこすると、
目と目を合わせてくれるんだよと言ったら、
子どもは「ひゃーッ」ってびっくりしますよ。
感動ですよ。
糸井 「イヤです」のポーズもあります。
杉浦 生き物を見ていて
気づくことというのはいっぱいあって、
子どもの生き物に対する興味を大人が
伸ばしてやれば、
心はもっと豊かになると思います。
「このウサギさん、
なんで目が赤くなくて黒いの?」
と子どもが疑問をもちますね。
「黒いから黒いの」と答えるのは説明じゃない。
抱っこしてよく探すと、足の先がちょっと黒い。
少しでも黒い色素があると、目も黒くなるんです。
それがないと赤い目になる。
だから、「どれどれ」とウサギをよく見て、
「ああ、ここに黒いのがあった。
どこかに黒いのがあったら、目も黒いんだってさ」
と言えば、その子はまた一つ、
生き物の面白さを知ることになる。
まっ白で目が赤いのは「アルビノ」というんですけど、
その説明はもっと高学年になって教えればいいんです。
石川 生き物について一つわかると、
またわからないことが増える。
だから面白いことや発見はいっぱいあります。
僕なんか、この年になってもその連続。
みんな意識をもって見ないだけなんですね。
糸井 生き物と関わるということは、
なかなか奥が深いですね。

(おわり)

1998-11-15-SUN

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