第1回
男もすなる……
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糸井 |
大さん、肌、
ツヤツヤしてきれいですねぇ。
僕と同い年なのに、20代くらいに見える!
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大 |
フフフ。ありがとうございます。
さっきまで雑誌の仕事で、
化粧品をいろいろ試しているところを
写真に撮られてまして。
そのままの顔だから、
今日はちょっと厚化粧かも。
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糸井 |
厚化粧なんですか?
そんなふうには見えないけど。
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大 |
いつもメイクアップしてるわけじゃないのよ。
ただ、仕事でカメラに収まるとき、
ファンデーションはぬります。
ラジオの仕事は素顔で行くけど、
本番直前に頬紅だけはつける。
そうすると、疲れていても調子が出るんです。
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糸井 |
でも男がちょっとでもメイクらしきことをすると、
人から何か言われたりするでしょう。
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大 |
昔は言われてましたね。
メイクアップしてなくても、
ちょっと小ぎれいにしてるだけで
バイ菌を見るような顔されて(笑)。
でも化粧品会社にいたときは、上司から
「そうしていなさい」って言われてましたし。
まあ、実感として、今は楽になったかな。
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糸井 |
そういう時代になったんだ。
でもその昔だって、
男が化粧をしていた時代が長くありましたもんね。
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石田 |
化粧の歴史を大ざっぱにとらえると、
世の中が平和になって、
食べること以外にお金や時間をかけたり、
意識を向けられるようになると、
男性も華やかになっていく傾向があります。
美しい男性に非常に評価が集まると言いますか。
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糸井 |
マッチョよりビューティー。
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石田 |
今の日本も
そういう時代になっていると思いますし、
過去の歴史を遡れば、
元禄時代から享保くらいにかけての頃がそう。
美男子、とくに歌舞伎の若衆といった人たちが
たいへんもてはやされました。
さらに時代を遡ると、平安時代の宮廷貴族も、
絵巻物を見ればはっきりわかるように、
男性と女性、ほとんど同じメイクをしています。
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糸井 |
男もメイクしてる……。
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石田 |
ただ化粧も身分によってで、
農民や漁師とか第一次産業に携わっている人は
男女ともお化粧はしなかった。
江戸時代、既婚女性は
眉を抜いてお歯黒をしたと言われてますけど、
それも武家の女性と、
あとは江戸や京阪の町なかの女性なんですね。
お歯黒は明治くらいになって、
ようやく農村にも広がりましたけど。
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糸井 |
そうかぁ。
大さんは自分がきれいでいたいのと、
人もきれいにしてあげたいと思ったのと、
どっちが先ですか?
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大 |
ニワトリと卵みたい……たぶん、同時。
まぁ、スキンケアは子どもの頃から
ごく自然にやってましたけど。
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石田 |
いくつくらいから?
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大 |
よく覚えてるけど、
最初に化粧品を使ったのが3歳半の冬なんです。
僕は小田原育ちで、木枯らしが最初に吹いた日に
海でみんなと遊んでいたら、
顔にひび、あかぎれができてね。
昭和26、27年頃だけど、
父が進駐軍のPXからエリザベス アーデンの
ローションとクリームを買ってきて、
つけてくれたのが初めての体験。
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糸井 |
なんか、シャレてますねぇ。
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大 |
母にお風呂に入れてもらったあと、
父につけてもらってたんですけど、
そのうち父が入院しちゃって、
母が出てくるのを待ってると
顔がこわばっちゃうから、
自分でするようになって。
その頃はきれいになりたいという意識じゃなくて、
痛いのがイヤっていう……。
つけると肌がなめらかになって気持ちいい。
そうやって始めたことが習慣になったのね。
だから僕にとっては、
手を洗ったら手を拭くのと同じ。
当たり前のことだったのね。
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糸井 |
オオッ。
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大 |
僕がそういうことをしてると、
「男だから、お前、よせよ」
という友達もいたけど、
何とも思わない子もいたしね。
そう言えば、最近、
同窓会で面白いことを言われた。
「昔は大くんと口きけなかった」って。
「どうして?」って聞くと、
「別世界のやつだと思ってた」と。
それで、「ずっと変わらずやってきたんだなあ」
って感心したような顔をして僕を見てるの。
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糸井 |
大さん、筋が通ってるから、
カッコいいんだよね。
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石田 |
昔、同級生が声をかけられなかったっていうのは、
何か高貴な人に対する憧れみたいなものも
混じってたんじゃないですか?
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大 |
それは違うんじゃないですか。(笑)
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石田 |
かつては、高貴な人でないと
肌がきれいでいられなかったんですよ。
今の時代はその気になれば
誰でもスキンケアはできるけど、
歴史的には長い間、手入れした美しい肌というのは
お金持ちや身分が高い人たちの
ステイタスシンボルでもありましたから。
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糸井 |
お坊っちゃんだったんでしょう。
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大 |
そんなことないです。
父が早く死んで、母はかなり苦労してたし。
ただ、父が生きてた頃、
ハーシーのチョコレートなんか食べてました。
近所の子とはちょっと違っていた。
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糸井 |
いわゆるバタくさい子だった。
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大 |
そうかもしれない(笑)。
父がそういうふうだったの。
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