ジブリの仕事のやりかた。
宮崎駿・高畑勲・大塚康生の好奇心。


10  ものを作るのは身体である。


糸井 ジブリに入った人は、
いわばそれまでにも大学で投げていた
ピッチャーみたいな
技術のある人たちでしょうけど、
ジブリで大塚さんに教わって、また、
目が開くみたいなことがあるわけですか?
鈴木 目を見開かれて描けるようになる人もいます。
相性がありますから、
ダメな人もいるんですけれど。

ただ、大塚さんは、
「こうやると、たのしいじゃないか」
ということはちゃんと教えてくれるし、
大塚さんが「これは」と見こんだやつは、
ぼくなんかが見ているなかでは、
いいアニメーターになったようですね。

一時は新人教育から
離れていただいていましたが、
去年や今年は、
また大塚さんにやってもらっているんです。

特に今こそ、
大塚さんの血が必要だと思ったから、
ぼくが提案したんです。

今、アニメーション界においては、
ちょっとむずかしい問題が出てきているんです。

さきほど「1枚絵」と
「絵の動き」について話しましたけれど、
いまのアニメでは、
全体的な傾向として、動きを描くことが、
やっぱり、ヘタになってきていますから。
糸井 そうなんですか?
鈴木 そうなんです。
ぼくなりに理由をいろいろ考えてみたら、
養老孟司さんの説に従えば、要するに、
「現代人は身体を失ってきている」
ということが関係するのかもしれない、
と思うようになりました。

わかりやすい例から言えば、
昔だったら、薪を割って、
それに火をつけて燃やすことで、
はじめてお風呂を
わかすことができたものだけど、
もちろん今はボタンひとつで
すぐに同じことができるわけです。

そうやって育った人に、
かつての風呂をわかすシーンを
描けといっても、なかなかむずかしい……
そういうようなことが、
いくつか出てきているんです。

たとえば、
『千と千尋の神隠し』の冒頭に、
お父さんとお母さんが、
そこにあった食べものを
ワーッとかきこむじゃないですか。
だけどあのシーンでは、
若い人がぜんぜん描けなかったんです。

そこで宮崎駿なんかは、
「おまえは、ガツガツと
 メシを食ったことがないのか!」
と言うんだけど、
若手は「ありません」と答える。
そうなれば、宮さんはお手あげなんです。

これは象徴的な例ですが、
「現実感のある動きを描くことができない」
というのは、いま、アニメ界で
いちばんの問題になってきているんですよ。
糸井 あのお父さんとお母さんは、
憑き物に憑かれて、
ああやって食っているけど、ほっとけば、
あんなふうには食わない時代の人ですもんね。
あれは、宮崎さんの
亡霊が描かせている絵ですよね……。
鈴木 宮崎がかなり手を入れました。
若い人には描けなかったんです。

『千と千尋の神隠し』で、
お父さんとお母さんは、
食べたあと、腰かけから
ドシンと落っこちるじゃないですか。
若い人は、ああいうのも描けないですよね。

落ちたときに「痛い!」と思う感じを、
みんな、あんまり経験していないから。
この身体性の問題は大きいです。

誇張して言えば、身体性を失ったことで、
日本のアニメーションの
ひとつの伝統芸能が途切れようとしている。
これはむちゃくちゃな危機だと思うんです。

これからは、
手描きのアニメーターをやれる人が、
ずいぶん減るような気がしています。
糸井 実写の映画でも、
コンピュータグラフィックを使って
恐竜を動かすことはできても、
馬に乗って戦うだとかいうシーンが、
実はどんどんダメになっていますよね。
鈴木 実写の人たちも、
身体性を失ったまま、絵にしていますよね。
だからもう、そういうシーンには、
かつて日本がそうであったような、
後進国の人を
連れてきてやらないといけないんです。

テレビのドラマからも、
ものを食べるシーンが減りましたよね。
人間の持っているある種の動物性が、
減ってきているんです。
身体を失って、
人がロボット化してきている……
それに目をつけたのが
押井守の『イノセンス』だったんですけれど。

この状況は、描くという側からすると、
一筋縄ではいかない問題です。
要するに、いろいろな経験をしていない人が
描こうとするから、描けないんですよね。
糸井 物理法則としては描けるけど、
気持ちを持った人が動くということが
描けないってことですか。
鈴木 そうです。
糸井 きっと、葉っぱが
ヒラヒラ落ちるなんていうのは、
どんどん上手になりますよね。
鈴木 おっしゃるとおりです。
だけど、人の身体に伴う動きを、
みんな、感覚として、
持っていないんです。
糸井 『魔女の宅急便』の頃に、
「宮崎さんはスカートの動きがわからないから、
 駅前の女子高生が
 スカートをヒラヒラさせながら歩くところを、
 ずーっとストーカーみたいに見ていたらしい」
という話を聞いたけど、
あれなんか、見事に、身体の動きを
感覚としてとらえるための過程ですよね。
鈴木 宮崎駿は、
一緒に電車に乗っていても、
たとえば、
隣で女子高生がしゃべっていると、
すぐに指折り数えはじめるんです。

何をしているのかというと、
ひとつの単語、ひとつのセリフを、
何秒でしゃべっているのかを
計算しているんですよね。
それによって、女子高生の言葉や
「現代というもの」をつかまえるんです。

あの人は、常に観察していますから……。
糸井 すごいなぁ。
それはジブリの企業秘密に近いぐらい、
大切なことですよ……。
鈴木 彼はそれを、四六時中やっているんです。
ほんとうによく観察しているというのが、
彼の特徴ですから。

身体感覚に関しては、ほとんど動物ですよ。
「人の気配」だとかについては、
ほんとうに鋭い。

「きくばり」という言葉を漢字にして
別の読み方をすると
「けはい」になりますよね。
宮さんの場合、気配りはしないけど、
気配には、動物並みにすごく敏感なんです。
糸井 (笑)
それと逆に、若い人の側では、
「視覚や身体の教養」みたいなものが、
どんどん失われていくというわけですよね。
演劇学校で訓練をする、
みたいなことが必要になるのかなぁ。
鈴木 いや、ぼくは、
そんな訓練をやっても、ダメだと思います。
埼玉県の桶川に、
「いなほ保育園」
というところがあるんですけど、
この園長さんが
非常におもしろいということで、
ぼくは会いにいったことがあるんです。

この保育園の最大の特徴は
「ぜんぶ、放ったらかしにすること」
なんです。

それで
何をやらせようとしているかというと……
「子どもがバランスよく立って歩くこと」
なんだそうです。

3歳児や4歳児の子どもは、
走ったり歩いたりするとき、
前のめりか後ろのめりになっていますよね。
それをバランスよく
立てるようになるためには、外に出て、
いろんなことをしないといけないんです。
ところが今の子どもたちの特徴は、
少子化で「いろんなことをする」という
機会をうばわれているんです。

「いなほ保育園」は、
どんなにあぶない状況になっても、
誰も何も先まわりして
危険に近づかないようにはしない。
ケガをしようが何をしようが
放っておくんです。

だけど、そこを通過した子たちは、
全員が違う立ちかたになるんです。
それぞれなりのバランス感覚を持つんですよ。
実際に保育園に見にいくと、
本来子どもというのは、こんなに元気で
エネルギーを持っているものなんだ、
ということが思い知らされますね。

でかい敷地で
自由闊達にやらせているんですけど、
冬に焚き火をして魚を焼くと、
3歳や4歳の子どもたちが、
頭からガブッと食べるんですよね。すごい。

現代では珍しいぐらい、
みんなが青っ洟を平気でたらしていました。
あの保育園に立っていると、
タイムスリップしたみたいな
気分になるんです。
子どもたちも元気で、
みんな、ものすごく敏捷だし……
昔の子は、当時は子どもが多かったせいか、
放ったらかしにされていただけなんだけど、
みんながそういう経験を
ふつうに通過してるんです。

乱暴者の問題児も、親ごと
近所に引っ越してその保育園に入れると、
もっと元気になるんですよ。
いろんな意味で
注目されている保育園なんですけど。

「でも、ここを終わって小学校へ行ったら、
 みんな、学習して
 ダメになっちゃうんじゃないですか?」
園長さんにそう聞いたら、
そんなことはありえないんだそうです。
子どもの基礎ができるのが
3歳から4歳なんだから、と……。

ほんとにおもしろい場所でした。
ああいうところに行くと、
人間の動きの基本がわかるから、
いろんなアニメーターに
「あそこに行っておいたほうがいいと思う」
と言うんですけどね。
糸井 なるほどなぁ。
  (ジブリの仕事のやりかた、
 鈴木敏夫さん篇は、ここまでになります。
 次回は、高畑勲さんのお話をおとどけします!)

感想メールはこちらへ! 件名を「ジブリの仕事」にして、
postman@1101.comまで、
ぜひ感想をくださいね!
ディア・フレンド このページを
友だちに知らせる。

2004-07-28-WED


戻る